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アンコール遺跡群は9世紀から約600年に渡り栄えたクメール王朝の夢の跡。まだ見つかっていない遺跡も多く、カンボジア全体で5000に迫るとも言われている。アンコール・ワットは12世紀前半、ヒンドゥー教に帰依していた王が当時の都に建立した大寺院。1860年代、フランス人の学者がこの地を訪れ巨大寺院の存在をヨーロッパに知らしめた。塔の先端に至るまで繊細な装飾が施されている。最も神聖とされるこの場所はヒンドゥー教の神々が住まう聖なる山、須弥山を表していると言われる。中央の塔には身分の高い者しか入れなかった。現在では1か所が整備され登ることができる。2021年から改修工事が行われていた東門が去年ようやく通行可能となった。最盛期のクメール王朝は今のラオス南部やタイ東北部までを治めた東南アジア屈指の大国だった。即位した王は新たな都や寺院を築いていった。その中には最新の調査によって長年の謎が解き明かされつつある遺跡も。
クメール王朝のかつての都アンコール・トムは一辺3キロの堀に囲まれた城塞都市。高さ8mの城壁の内側で約10万人が暮らしていた。都のほぼ中央に建つのがバイヨン寺院。それまでクメール王朝はヒンドゥー教を信仰する国だった。しかし12世紀末に即位した王は仏教に深く帰依し、この地に仏教寺院バイヨンを建てた。その最大の見どころはそびえ立つ石の塔に彫られた無数の顔。仏とも、ヒンドゥー教の神の顔とも言われるが真相は謎のまま。バイヨンでは今、修復作業が行われている。日本は約30年前からカンボジアと共同で遺跡の保全や調査を続けている。建物の土台の内側は固められただけの土や砂だった。バイヨン寺院には一般的に基礎と言われる硬い岩盤や杭がない。土は粘土質で砂には細かな石英が含まれている。木の棒で叩いて固めていく版築で固められた盛土の上に建てられている。内部の壁には当時の暮らしを伝える彫刻が数多く残されている。そこには版築の様子も刻まれている。版築により固められているとは言え、気がかりなのは雨。雨季が1年の半分を占めるカンボジアで何故バイヨンが倒れないのか長く謎とされてきた。最近分かってきたのは、強く降ってはすぐに止むスコールとの関係性。雨は床下1~2mまで染み込むが、それ以上深くは達しない。盛土は一時的に緩むが、水が乾くと石英同士が表面張力で引き合うことですぐに強度を取り戻す。
19世紀、フランス人学者によって世界に知られたアンコール・ワット。歴史や暮らしぶりが壁面に彫られたバイヨン寺院など芸術的にも価値ある建造物が数多く残されている。バイヨンを築いたのはクメール王朝最盛期の王ジャヤヴァルマン7世。この王が母のために建てた寺院が森の奥に残っている。12世紀末に建てられた寺院タ・プロームは巨大な樹木が根を張るように遺跡に絡みついている。ジャヤヴァルマン7世が亡き母を弔うために建てた仏教寺院だった。しかし、クメール王朝が衰退し始めた15世紀頃から寺は次第に放置され樹木が寺を覆い尽くしていった。タ・プロームで去年、調査が行われ貴重な遺物が発見された。首から先がない彫像が見つかった。タ・プロームでは後に仏教からヒンドゥー教へ信仰が変わり、彫像の多くが破壊されてしまった。彫像の頭部はフランスの調査団が発見し別の場所に保管していた。
「世界遺産」の次回予告。
アンコールの多くの遺跡がカンボジア内戦で破壊された。修復に携わる知識人まで虐殺された。1992年、遺跡群が世界遺産に登録された時、同時に危機遺産にも登録された。1993年、東京で国際会議が開かれフランスと日本が中心となり修復のための枠組み作り方が始まった。30年に渡り日本は技術を伝え続けてきた。遺跡からほど近い村の村人たちは農業を営みながら遺跡の保全や修復に携わってきた。
「ベスコングルメ」の番組宣伝。
