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今回は2週連続でお届けしているマチュピチュの後編。
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- ペルーマチュ・ピチュの歴史保護区
15世紀に最盛期を迎えたインカ帝国がアンデス山脈一帯を支配した。マチュピチュはインカ帝国最盛期の王パチャクティが季節の良い時期に滞在し祈りや政を行うために築いた聖なる場所だった。そのためマチュピチュには少なくともおよそ750人が常駐していた。農業で食料を自給しながら儀式のための施設を維持管理していたと考えられている。高さ約2700mのワイナピチュはマチュピチュにとって大きな意味を持つ山だったと考えられる。段々畑や建物の跡のようなものが残されている。ワイナピチュは地元の言葉で「若い峰」という意味。遺跡を挟んで向かい合うマチュピチュは「老いた峰」を意味する。ワイナピチュは聖地マチュピチュを見下ろせることから、見張り台だった可能性もあると考えられている。
遺跡から伸びる石畳の道が森の奥へと続いている。こうした道が何本もマチュピチュから各地へと伸びていた。そのうちの1本がマチュピチュの裏手の崖の下に続いていた。崖を削って道を開いたのではなく、石を積み上げて築かれていた。石組みがなく木の橋がかけられた場所もある。いざという時には丸太を外し侵入者を防いだと言われている。インカ帝国はアンデス一帯に総延長4万kmにも及ぶ道を張り巡らせた。インカは周辺の王国やその文化を支配しながら道を整備していった。チムー王国で作られた土器もインカ道を通ってマチュピチュへと運ばれた。インカ道の一部は今も歩くことができる。
聖地マチュピチュには何本もの道が作られた。マチュピチュは遺跡に留まらず山々を含む一帯が世界遺産。そのエリアの中、川沿いに始まりマチュピチュ遺跡を目指す45キロほどのルートがある。世界遺産の中を歩けるこの道は世界各地からトレッキングに人が集まる。ウィニャイワイナ遺跡はナン日も歩き続けたインカの人々が休息・宿泊するための拠点としても使われたと考えられている。インカ道を含むマチュピチュは高度な文明とその景観が評価され世界遺産になった。
TVerの告知。
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「世界遺産」の次回予告。
麓のマチュピチュ村で福島県大玉村と友好都市になって10年を祝う式典が行われた。大玉村出身の野内与吉さんはマチュピチュ村のかつての村長。19世紀末から20世紀にかけて約2万人の日本人がペルーへ渡った。その1人、野内さんはペルーで結婚し現在のマチュピチュ村でホテルを経営。現地で温泉を発見するなどの功績もあり約80年前、マチュピチュ村の村長になった。
近年、JICA・日本企業・ペルー政府が共同で調査を進めている。ドローンに載せたレーザーなどで遺跡を詳細に計測し3Dデータとして記録している。ワイナピチュの裏側に広がる深い森にはまだ知られていない遺跡があると言われている。ドローンに載せたレーザーなどで地形を解析すると、木々の下に隠れた地表が浮かび上がってきた。地表の様子を見ると輪郭のようなものが見えた。新発見の遺跡ではないかという。
「ベスコングルメ」の番組宣伝。
