- 出演者
- 吉村崇(平成ノブシコブシ) 松井ケムリ(令和ロマン) 大久保佳代子 いとうせいこう みりちゃむ
動物四十七士はたべっ子どうぶつの先駆けとなる商品。たべっ子どうぶつは動物のキャラクターが描かれたビスケットで現在パッケージの動物たち3DCGアニメーションにした映画が公開中。グッズ展開やコラボイベントで新たなファンも獲得し、今再び注目を集めている。たべっ子どうぶつが販売開始された1978年から遡ること9年。カール、キャラメルコーン、サッポロポテトなど後の人気商品が誕生した時代にたべっ子どうぶつの先駆け商品として発売されたのが動物四十七士。ギンビスの創業者・宮本芳郎はより多くの人に食べてもらいたいと考え開発を開始。厚みを半分にしてサクサク食感を実現させ、子どもに親しみのあるバター味に変更。動物四十七士はその名の通り47種類あるが、たべっ子どうぶつは46種類。はじかれたのはコアラ。その理由は耳が長く欠けやすいため。
まずはアイスについて。アイスが家庭で食べられるようになってから約100年。進化を遂げてきた画期的なアイスが登場してきた。マイナス8度で飲むアイスがコンセプトのクーリッシュや割れる音にもこだわり研究しているチョコモナカジャンボなど、普段美味しく食べているアイスにも先人たちの努力の結晶・偉大なアーレーが存在。
雪見だいふくは冬に食べるアイスの定番だが、雪見だいふくのアーレーはわたぼうし。見た目はほぼ同じだが、アイスをお餅で包んだ雪見だいふくに対し、わたぼうしはアイスをマシュマロで包んでいる。鶴乃子をヒントにわたぼうしは開発されたという。その翌年、国民的なアイスを目指し、マシュマロを餅に変更し雪見だいふくが誕生した。
ジャイアントコーンは食べ始めから終わりまでどこを食べても食感が違うご褒美アイスの定番。そのアーレーはグリココーン。ソフトクリームが日本に上陸した1951年以降、コーンアイスは売店販売がメインだった。そんな中、家で食べられるコーンアイス商品の販売を目指すべく、アメリカのアイスから着想を得て開発されたのが1963年のグリココーン。しかし、グリココーンは高価だった。発売3年でリニューアルされ、ジャイアンツコーンとして発売された。さらに1984年に商品名を健在のジャイアントコーンと変更。
シェアアイスの先駆けが、森永乳業のダブルソーダ。バータイプでシェアできる初めてのアイスだった。兄弟が多い当時の社会に合わせて開発されたという。街では、きれいに割れなかったという声が多く聞かれた。きれいに割れないことも商品としての面白みとなっていたという。2017年には、販売が終了した。スタジオでは、再現したダブルソーダを試食。大久保らは、きれいに割ることができていた。吉村は、昔はこれが大のご褒美だったなどと話した。
井村屋のあずきバーは去年、シリーズ全体で約3億本を売り上げた。あずきバーのアーレーが、やわらかあずきバー。あずきバーは、素材がシンプルなため、固めたら結果的に硬くなったという。やわらかいあずきバーが欲しいという消費者の声を受け、1992年に、やわらかあずきバーを発売したが、売れなかった。1997年と2010年にも改良を重ねて、やわらかいあずきバーを販売するも、失敗。今もやわらかいあずきバーを求める声は多く、井村屋は、今後もやわらかいあずきバーを作りたいという。再現したやわらかあずきバーを試食し、大久保は、いい硬さ、食べやすいなどと話した。
最新ハイテクおもちゃが業界を席巻する中、レトロおもちゃが一大ムーブメントを起こしている。大注目なのが、「ブタミントン」。約40年前に発売され、ブタ型のマスコットで羽根を飛ばすバドミントン型対戦ゲーム。ことし4月にリバイバル発売され、おもちゃ屋が選んだことし売れるおもちゃランキングで第1位となった。令和世代の乃木坂46・菅原と一ノ瀬がレトロおもちゃを体験。昭和世代代表として、平成ノブシコブシ・徳井がレクチャーする。
最初に遊ぶレトロおもちゃは、1975年発売の「モーラー」。大流行のきっかけとなったCMを紹介。謎の生物がウネウネ動く不思議なCM。自動で動き出すのかと思いきや、実は先端についた紐で操作しなければ動かないアナログおもちゃ。実物とCMのギャップに子どもたちは騒然。トラウマおもちゃとしても知られているという。モーラーに挑戦するも、イマイチ楽しみ方がわかっていないためスタッフが実演。モーラーは、昭和レトロブームの後押しで2021年に4代目を発売。SNSには動画を投稿する人も。若者を中心に密かな盛り上がりを見せている。
1981年発売の「チクタクバンバン」は、時計を止めずに線路をつなぐパズルゲーム。遊びながら洞察力や反射神経を鍛えられると話題になり大ヒット。これまで様々なキャラクターでリメイクされてきた昭和の傑作ゲーム。2人が挑戦。ルールは、ベルが鳴ったらパネルを動かす人が交代していき、コースアウトや走行不能で負け。2人が勝負し、勝った菅原と昭和代表の徳井が対決。徳井の勝利かと思いきや、コースアウトとほぼ同時にベルの音がなり、一ノ瀬の審判で徳井が負け。負けた徳井は罰ゲームで変顔をした。
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- チクタクバンバン
1999年発売の「ファービー」。1999年にアメリカから日本に来たおしゃべりペット。その愛くるしい姿が評判を呼び、発売当初からおもちゃ屋さんには大行列ができた。国内で約330万個も売れた平成を代表する大人気おもちゃ。電池を入れるとすぐ喋る。昨年国内では12年ぶりにバージョンアップして復活。令和版ファービーは新機能が盛り沢山。耳をカラフルに光らせながらダンスする。最新機能の占いでも遊んでみると、後で答えるとマイペースだった。
1956年発売の「ホッピング」。バランス感覚を競うおもちゃで大流行。ホッピングで飛び過ぎで胃下垂の子どもが続出したという都市伝説も。今は進化系ホッピングも登場。アメリカ発の「Vurtego ポゴスティック」は、技術を磨けば3mも跳べるという。
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- Vurtego ポゴスティックホッピング
進化系ホッピングVurtegoで乃木坂46一ノ瀬美空が大ジャンプに挑戦。体重が乗らないとはねないが徳井さんが挑戦すると後ろに跳ねてしまった。
2025年欠かせないものといえば「スマホ」その礎となった先駆け商品となったスマホの母は「電卓」だった。電卓開発の歴史を遡るとスマホにつながる驚きの秘密があった。20世紀初頭科学技術の進歩の中で自動計算機が求められ世界中が学者が開発、1964年に初のオントランジスタ電卓「コンペット CS10-A(シャープ)」535000円が誕生した。発売をきっかけに1960年代後半から70年代にかけ電卓戦争時代が到来、50社以上が市場に参入した。企業の一つカシオ広報によると当時の最先端技術であったため高度経済成長期に入っていたため計算に大きな需要があり、半導体技術を持った企業が流れ込んだという。開発競争が加熱する中、1972年歴史的な世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」が誕生、当時の価格帯は4万円台まで下がったがカシオミニは12800円でサイズは1/4以下だった。そこから1人1台の計算機が主流となり家庭にも普及していった。カシオミニの登場で電卓戦争は終結したがその間にイマにつながるテクノロジーとして液晶画面やテンキー式、小型化などが開発され技術が合体しイマのスマホに生かされているという。その後、1978年には喫煙サラリーマンの味方「クオーツライター電卓(CASIO)」やそろばんと融合した「ソロカル」など変わり種が登場。開発者たちの努力・挑戦があらゆる分野に影響し計算技術を文字に展開し電子辞書、時間で時計や映像でデジタルカメラになるなど半導体技術を使い色々なメディアに展開され今のAIの時代にも通じる変化となった。
スマホの誕生以前から複数の機能をかけ合わせた合体家電が存在した。「テレビデオ」や「ラジカセ」など様々な商品が生み出される中、究極と称されたのが「ラテカピュータ」。ラジオ・テレビ・カセットテープレコーダー・コンピューターが1つに合体したもので、1979年に発売された。開発者の西村幸祐さんは上司から「世の中に無いものを作れ」と言われて開発に着手し、仲間とともに西村さんの自宅で泊まり込みしてまで作り上げたという。しかし生産台数はたった200台と惨敗に終わった。西村さんは惨敗の要因に「消費者の感覚を見失った」ことなどを挙げた。ただ西村さんは当時を振り返って「楽しかった」などと話した。
エンディングトーク。みりちゃむさんは「今の時代に生まれて良かった」などと話し、吉村さんは「いつか『スマホなんて使ってたんですか?』と言われる時代が来る」などと話した。
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