- 出演者
- 松岡修造 小木逸平 大越健介 ヒロド歩美 眞家泉 下村彩里 安藤萌々 所村武蔵
オープニング映像。
サカイ引越センターは昨年度より多い400人を採用。新年度からドライバーの時間外労働は目安として月に80時間以内に絞らねばならず、これまでよりドライバーの確保が課題に。同社は5年前から人材確保に努めてきた。静岡には「コネクトエリア浜松」という中継輸送施設が誕生。長時間労働を避けられるうえ、より多くの荷物を運べると期待されているという。
取材中の会社では1年前から2024年問題の準備をしていた。それでもドライバーの労働環境が過酷であることに変わりはなく、3日間も家に帰れないという。その前は、1週間帰れないのもザラだった。しかし、働けば働くほど稼げる仕事という魅力もあった。2024年問題で、仕事へのモチベーションが下がってしまったドライバーも数多くいるようだ。ちなみに、中継輸送については検討の段階。実際の現場では、シフトのやりくり、外注などでカバーしているが、このままでは輸送がパンクするとの懸念がある。
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- 2024年問題
天皇皇后両陛下の長女愛子さまが日本赤十字社に入社しきょうから嘱託職員として勤務する。愛子さまは「社会人としての一歩を踏み出しだのだと身の引き締まる思いがいたしました。両親には頑張って行ってらっしゃいと励ましの言葉とともに送り出していただいた。早く職場になじみみなさまのお役に立てますよう頑張ってまいりたい」などと話した。愛子さまはボランティアグループの育成、普及などを行うボランティア活動推進室に配属される。
能登半島地震から3カ月。
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- 令和6年能登半島地震輪島市(石川)
石川県七尾市の和倉温泉から中継。元日の地震では震度6強を観測、地震前には遅い時間でも観光客などがいたが現在は人影はなく昼間でも店は閉じている。飲食店街では深夜まで賑わっていたが水道は復旧したが下水が直っていないために営業再開の目処は立っていないということ。和倉温泉の旅館の多くは温泉を運ぶ管や建物自体が壊れているため全てが通常営業再開とはなっていないという。きょうから営業再開した旬彩旬魚 あぐらは旬の能登食材を使った料理が人気の店でランチ営業から地元客で賑わった。店主沢野さんは営業できない間は近所で炊き出しボランティアをしていて共にボランティアをしていた婦人会が再開を祝に訪れたということ。店主の沢野さんは「やっとスタートが切れたかなという気持ち。まだ正確には水道が飲料水として使えないので支援してもらった水でやっている。元の生活に戻れるような街でまた和倉に来てもらえるような生活に戻れれば」などと話した。
中国江西省で31日未明に暴風雨が発生、中国メディアによるとこの影響で高層マンションの窓ガラスが吹き飛び20階などの住民などが投げ出され3人が死亡した。また3階建ての住宅1棟が倒壊し1人の死亡が確認されている。
台湾の馬英九前総統は中国政府の招待で11日まで台湾の大学生たちと中国各地を訪問する。馬英九氏は去年3月総統経験者として初めて中国を訪問し出発前には台湾の人々の声を伝えるとしていて習近平氏ら最高指導部との会談が実現するかに注目が集まる。
全国の気象情報を伝えた。
東京・日本オリンピックミュージアムから中継。パリオリンピックの開幕まで116日となっている。現在は1992年のバルセロナ大会から8大会分の日本の公式ウェアや聖火リレーのトーチなどが展示されている。
柔道のパリ五輪代表・阿部一二三選手がオリンピック前最後の大会に出場。決勝では49秒で一本勝ちを奪い勝利した。一方妹の阿部詩選手は秒殺の連続でオール一本勝ちで優勝した。
男子ゴルフの中島啓太選手がヒーロー・インド・オープンで優勝を果たした。日本人史上5人目となる欧州ツアー制覇となった。これで世界ランキングが日本勢2番手となり、パリ五輪出場圏内に浮上した。
ドジャースの大谷翔平選手がカージナルス戦に2番・DHで出場。大谷選手は第1・第2打席と連続三振に倒れるも、第3打席にエンタイトルツーベースヒットを放ち、その打球速度は186.4kmとのこと。これは2015年以降のドジャース最速安打だという。この試合でドジャースはマンシー選手のホームランで逆転し、5対4で勝利した。
カブスの鈴木誠也選手はレンジャーズ戦の9回、満塁のチャンスで2点タイムリーを放ち今季初打点。また今季初のマルチ安打もマークした。
ケニアで行われた世界ラリー・第3戦で、勝田貴元選手は自己最高タイの2位でフィニッシュ。優勝したロバンペラ選手とともにトヨタがワンツーフィニッシュとなった。
パリオリンピック出場を決めたバスケットボール女子日本代表。丸1年の休養を挟みながら存在感を示したのが馬瓜エブリンさんである。2021年の東京五輪でエブリンさんは日本バスケ史上初となる銀メダルに貢献した。翌年にはWリーグも制覇し最高潮のキャリアだったが1年間の休養があった。最高潮のときに休むことで新しいエブリンを見るけることができ、チャレンジのチャンスと捉えた。挑戦したのはビジネスでBack Dooorという会社を設立し 社長業を始めた。アスリートと企業、ファンの架け橋となり奔走したという。余白のおかげでプレーも変わり、もともと自分が決めることを追求してきたがパスを選択するようになった。
松岡さんは斬新だったのが最もいいときだったから失敗できることだなどと話した。もう1つのチャレンジはメディアの立場でバスケを伝えた。