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オープニング映像。
日本には水族館は100以上ある。国土面積あたり世界一の数で水族館大国でもある。その中で地上40mという最も特殊な場所につくられたのが今日の作品のサンシャイン水族館。2011年にリニューアルし、天空のオアシスとして生まれ変わった。その屋内エリアではここで山崎怜奈に問題が出されたが、明治15年に日本初の水族館が上野動物園で誕生したがその名前は?と問題が出た。その答えはうおのぞき。当時は水族館と言葉がなくコイやブナ、オオサンショウウオといった日本の淡水魚を展示していたという。
大水槽のサンシャインラグーン。ラグーンは外海から隔てられた水深の浅い水域。ここには45種、1500もの生きものたちが暮らしている。なによりユニークなのは水槽の色と形。この水槽を手掛けた水族館プロディーサーの中村元さんはそのとっておきの秘密について白を手間に配置し、エメラルドグリーン、ブルー、グラデーションにしどこまでも続いているように演出している。青のグラデーションの実験をすると水槽の奥にいくと飼育スタッフはみなくなる。今水槽にはある名画に用いられた工夫と同じ技法が使われている。その名画とは?と問題がでた。
サンシャイン水族館の水槽には水槽を照らすLED照明の色を白から徐々に深い青に変えていってグラデーションをつくり、奥行きを生み出していった。さらに奥の壁を深い青色に塗って奥の擬岩も深い青色に塗装し遠近感を演出。
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画家が一枚のキャンバスに美しい世界を描くように。この水槽もまた1枚の絵画のように水槽は作られていた、西洋絵画では遠くのものが青くみえる性質を利用した空気遠近法がありレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザにも同じ技法が使用されている。
1978年にサンシャインシティが誕生。注目は日本で初めて高層ビルの屋上に開館したサンシャイン国際水族館。その画期的な試みは成功し、多くの来場者で賑わった。それから33年後の2011年に全館リニューアルのプロデューサーを任された中村さんは水槽のコンセプトなどのグランドデザインを手掛けたのが中村さん。中村さんはこの場所にも大水槽がほしいと考えた。しかし大きな問題があった。
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中村さんは大水槽を作るために弱点を武器にすると答え編み出したのはユニークなおにぎり型の水槽。これにより水量をおさえながら9mの奥行きを確保。しかし水槽の中にビルの柱が2本。これらは樹脂で覆い囲って海中の岩場として有効活用。また水深が2.4m以上とれないという弱点を逆手に取り、ラグーンを再現。それだけにとどまらず、照明の光を水槽の外にこぼし、魚の影や水のゆらめき側に観客につくった。こうして海の中にいるような感覚にさせた。
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北海道北見市留辺蘂町の北の大地の水族館は中村さんがリニューアルを手掛けた。水族館の中に日本初の滝つぼを再現。激流野中を泳ぐ地元の淡水魚のオショロコマをドラマチックに。さらに別の水槽では冬になると凍る。世界初の冬に凍る水槽は川の底で海の寒さに耐えしのぐ魚を楽しめる。日本初、世界初という誰もみたことがない水族館だが中村さんは弱点だった過酷な北の大自然をあえていかすことで命の美しさを際立たせた。
1980年に三重県の鳥羽水族館に入社しアシカの飼育員に。しかし興味があったのは飼育より展示だったという。入社2年目でかえるの展示を手掛けたが人気がなく誰もが反対をしたが人気だったという。その中の環境でカエルを探すという作業をするのが醍醐味だが、人々はカエルが生きている姿を見に来ていると感じたという。こうした野生の環境をみせて展示する生体展示に魅力を感じていた。また世界初のスナメリの出産の撮影にも成功した。テレビでも放映され多くの人が水族館に押し寄せた。2002年に鳥羽水族館を退社し日本でただ一人の水族館プロデューサーとして多くの水族館を生まれ変わらせてきた。
サンシャインアクアリングはアシカが泳ぐ水槽。圧巻は天空のペンギンとよばれる水槽。
全のペンギンは多くが岩場に立っていただけだったが、中村さんはペンギンと海と触れ合った時に水中で飛んでいると思ったという。ビルの屋上でいかにペンギンを飛ぶようにして泳がせるか、生み出したのが斬新な水槽。観客の頭の上にペンギンたちの海を作ったという。造園技法と同じように無限に広がる空を借景にした。こうして天空のペンギンという、世界初の絶景が誕生した。
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