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今回は伝説のアートディレクター堀内誠一を特集。数々の雑誌を生み出してきた中で絵本も残してきた。代表作はぐるんぱのようちえん。
オープニング映像。
東京・立川にあるPLAY! MUSEUM。今、堀内誠一の展覧会が開催している。やってきたのは小雪。アートディレクターであり絵本作家でもあった堀内誠一の作品たち。貴重な原画が展示されたぐるんぱのようちえんのブースも。西内ミナミ作、堀内誠一絵のぐるんぱのようちえんは、発行部数250万部をほこるベストセラー。主人公は一人ぼっちの象のぐるんぱ。毎日泣いてばかりだったが、ある日皆のすすめで働きにでることに。はりきって進んだぐるんぱだが、どこへ行っても作るものが大きすぎて追い出されてしまう。そんな時、12人の子どもを持つ忙しい母親と出会い、子どもたちのために大きな物を作り幼稚園を開いて大成功し幸せになったという話。ぐるんぱのようちえんが出版された1960年代から70年代は絵本黄金期と呼ばれる時代。いないいないばあやぐりとぐら、ねないこだれだなどの数々の名作が誕生した。堀内が絵本を作るようになったのはすでにデザインの仕事をしていた24歳のとき。この黄金期を先導した人物との出会いがきっかけだった。後の妻に紹介されたのが福音館書店の編集長の松居直。工学博士や保育士などを採用し、敗戦を経て衰退した絵本に新たな風を吹き込んだ。堀内は、すぐに松居と意気投合し、1枚の絵もみせていないのに絵本を描いてみないか?と持ちかけた。そして、デザインの仕事をしながら、沢山の名作絵本を手掛けていく。
堀内誠一は1932年に図案家の父のもとに生まれた。様々なデザインに囲まれて育ち、絵を描くのが大好きな子どもだった。地図を描くことも得意で小学生の頃に太平洋戦争の戦況を伝えるためにソロモン諸島などの複雑な地形を黒板に描くのが彼の仕事だった。大人になってもたくさんの手書き地図を雑誌に掲載した。展覧会を企画したキュレーターの林さんは、一回いった街は覚えていたという。その土地の特徴や小さな路地一つ一つ、オススメの店情報など、ポップだが緻密。終戦を迎えると家計を支えるためにわずか14歳で伊勢丹百貨店に就職した。外国の雑誌や、デザイン集などが集まる百貨店をエンサイクロペディアのなかに住んでいるようなものとたとえ、隅から隅まで探検した。沢山の刺激をうけながら、ウインドウディスプレイやリーフレットを手掛け、伊勢丹のPR誌を任されたのは20歳のとき。そのセンスを買われ、他企業からもオファーを受け、PR誌をデザインした。そして様々なデザインの経験を積んで、作り上げたのがanan。1970年に現在のマガジンハウスで創刊された。堀内はロゴデザインに紙面全体のレイアウト、企画、取材、写真撮影まで、あらゆることを手掛けた。後に堀内とともにPOPEYEなどを手掛けた石川さんは衝撃的だったという。
当時ほとんどなかった海外ロケのananでは定番に。堀内はananを魔法の絨毯と呼び、取材にかこつけてアメリカやヨーロッパやインドなどを世界中を駆け巡り多いに楽しんだ。読者に新しい生き方や、価値観、そしてみたことのない世界を教えてくれた。
ananが生まれる五年前に生まれた絵本のぐるんぱのようちえん。福音館書店の依頼を受けて堀内の会社でコピーライターをしていた西内ミナミに話を書いてもらい絵を描いたという。さっと塗った水彩とカラーインクに鉛筆やマーカーペンをアクセントにした表現。また子どものような砕けた描き方だが、アートディレクターならではの計算が隠れている。大きなビスケットや、お皿など、失敗作が荷物になっていくぐるんぱ。ページの端にパラパラ漫画のように描く。そんなぐるんぱのようちえん誕生の裏には驚きのエピソードが。ぐるんぱのようちえんが描かれたのは長女の花子さんが4歳のとき。細部までしっかり描きこまれた様々な仕事場の背景。
猛烈なスピードで絵本や雑誌を生み出していった堀内。しかし41歳のときにananをやめて突如フランスに移住したが、忙しさから逃れ、家族との時間を過ごしたいと考えたはずだと堀内の長女が語った。そして新たな本が生まれたという。
100冊近くの絵本や本の挿絵を描いた堀内誠一。並べると話によって画材などを変えて描いている。物語によって水彩やマーカー、色鉛筆などを使い分けて新しい画材がでるとすぐに試した。描けば描くほど絵本への探究心は膨らんでいく。パリへ移住を決めた理由も絵本の仕事をきちんとしたいという思いも強かったという。堀内はパリへつくと、ヨーロッパ中を旅した。家族と出かけることもあれば、日本から遊びにきた友人たちとめぐることも。そして見て聞いて体験したことを鮮やかなイラストにして知人に送った。それらを凝縮したような絵本がパリで誕生したのが、母親に飛び方を教わった小雀が主人公の絵本。
後に堀内は、子どもに読んでほしい20冊をセレクトするが、唯一自分の作品で選んだのがこの本だった。しかし出来は不満足と本人が語っている。堀内はこの物語にふさわしい絵を求めて何度も描きなおしをした。出来上がった絵から、尖った構図や色彩は感じられない。大事なのは物語の素晴らしさを子どもたちに伝えること。画材や技法はシンプルに余計なものを削ぎ落とし優しい表現だけを残した。
堀内の構想スケッチのからだのえほんは体の仕組みを伝える化学の絵本だった。子どもの好奇心に答え、人体の不思議や奥深さを伝えるもの。しかし54歳で亡くなったが、まだ新たな企画を立ち上げていた最中の出来事だった。
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