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今回は、渡辺いっけいが伊豆で鏝絵の世界を堪能する。
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- 鏝絵
オープニング映像。
西伊豆の海で路線バスの旅を楽しむ渡辺いっけいは、松崎町になまこ壁というものがあるらしいと向かっていた。静岡県賀茂郡松崎町は静岡県で最も人口が少ない街。なまこ壁はこんもりと盛り上がった漆喰がなまこを連想させることからそう呼ばれている。伊豆の長八美術館にきた渡辺いっけい。館内には、伊豆の長八作 ・鏝絵がある。「富獄」は、見事な遠近感が伝わる。すべてが漆喰で描いた絵。渡辺いっけいは、色んな要素を取り混ぜていいとこ取りしているなどとコメントしていた。使うのは左官仕事の道具の鏝。波間に揺れる船に乗る人は一センチに満たないサイズで描かれている。
伊豆の長八(本名 入江長八)は神様と呼ばれた伝説の左官職人。学芸員のうつ見志乃さんは、長八さんは特に遊び心のある方だと話す。その遊び心は四方を囲む装飾にも。漆喰の竹が本物と思われ、防腐のためにペンキを塗られたという。常葉大学名誉教授の日比野秀男さんは、左官の仕事でこれだけリアルに表現していることがまずびっくりすると語る。「龍」の雲は硬い漆喰で描かれたことを忘れさせるほどしなやかに。「近江のお兼」は歌舞伎の演目にも登場する力自慢の遊女を描いている。
伊豆の長八こと入江長八は、文化12(1815年)、伊豆国松崎村明地に生まれる。松崎村は冬になると駿河湾から強風が吹き込んでくるため、壁や屋根の養生のために村には多くの左官職人がいた。12歳のときに村の棟梁・関仁助に弟子入し左官職人となる。19歳の頃江戸に向かう。日本橋の左官棟梁・波江野亀次郎に弟子入りし、左官の腕を磨きながらも、狩野派の絵師・喜多武清に弟子入りした。左官仕事の基本は壁を平らにしつらえること。しかし長八の人生はそこから大いに飛躍していく。
松崎町松崎の浄感寺(長八記念館)は、幼き日の長八が学んだ寺で、その恩返しにと描いた絵が「雲龍」。和紙に炭、一部に漆喰を使って描いた絵画。さらに「飛天の像」は、狩野派で学んだ表現力と鏝の技術の見事なまでの融合。日比野秀男は、伝統がない中で自分で編み出しが技術であり表現、そういうところに芸術性を感じると話す。漆喰と鏝を駆使して、立体で描き出せば平面の絵画に負けない作品を生み出せる。その作品は内国勧業博覧会にも出品され大きな評判を取ったという。同時代を生きた彫刻家の高村光雲は「伊豆の長八は江戸の左官として前後に比類のない名人であった」などと述べている。
鏝絵の技を松崎町の左官職人・中村一夫さんに再現してもらう。中村さんは長八の作品に感銘を受け、独学で鏝絵の技を磨いてきた。漆喰の材料は消石灰、すさ、海藻の3つ。長八が得意とした龍をお願いした。下絵を書いて大まかな形を決め、大きな鏝でしっくりを盛り付けて形を作っていく。胴体も鱗の一枚一枚を丁寧に。頭と胴体が出来上がり、ここからさらに細部を制作していく。細いパーツは針金を芯にして強度を増す。中村さんはアクリル絵の具を使って着色する。中村一夫さんの龍が完成した。ここまでの作業に5日を要した。
中村一夫さんは「長八さんは僕は神様だと思って敬ってます」などと話す。その神業はときに鋭く、時に柔らかく優しげに。鏝絵の神様は自らの作品について何も語らず。
渡辺いっけいが鏝絵にチャレンジ。下絵を描いて、下絵を鏝でなぞり漆喰に写し取る。うつ見志乃は、漆喰がすごく繊維質なのでそこが難しいかもしれないと話す。
このあと、長八の最高傑作を。鶴が舞っている華麗な姿に驚きの秘密が。
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松崎町 岩科北側にある重要文化財 旧岩科学校は明治13年竣工の擬洋風建築。長八は東京で名を成した後も仕事を頼まれると故郷・松崎に戻った。鏝絵の鶴図は、紺碧の宇宙に138羽の鶴が舞っている。よく見れば鶴はタンチョウとマナヅル(諸説あり)の2種類。鶴たちは男女の児童が登校してくる姿を表している。138は当時の在校生の数と伝えられる。常葉大学名誉教授の日比野秀男さんは、空間芸術というか部屋全体を鏝絵で表現した、長八の一番大事な作品、集大成と考えて良いと思うなどと説明した。
松崎町から約40kmの静岡県沼津市戸田に、重要文化財 松城家住宅主屋が残されている。ここにあの3つの窓が。邸内にも長八の作品が数多く飾られている。そして、神様が辿り着いた究極の鏝絵。
沼津 氏戸田の松城家住宅主屋。本来は掛け軸をかける床の間に、化石のような文様が壁一面にあるのが「擬床の間」。壁面の漆喰が湿っている状態で、薄い布をかぶせ、その布をつまんで絞るように描かれた。伊豆の長八、比類なき前衛アート。渡辺いっけいは、入江長八について、めちゃめちゃかっこいい人などとコメントしていた。
新美の巨人たちの次回予告。
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