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オープニング映像。
井上芳雄がやってきたのは聖ルカ礼拝堂。1901年に東京・築地に誕生した聖路加国際病院は、平成になって建てられた本館とあわせて日本の病院ランキングで1位になったこともある巨大な総合病院。現役の病院として使われているという。特徴的な多角形のフォルムに、ほぼ全面がガラス窓のモダンな佇まい。十字架を掲げた高い塔が見える。その中は左右に別れた石造りの階段がある。
井上芳雄がやってきたのは今日の作品の聖ルカ礼拝堂。新約聖書に登場する、医者の聖人のルカがその名の由来。荘厳な堂内はゴシック様式で高さ20mで印象的な骨組みの形作りで、ゴシック建築の特徴のリブヴォールトと呼ばれる。まばゆいステンドグラスは光の聖書と呼ばれ、文字が読めない人にでも聖書の教えがわかるように作られた。魚はキリスト教のシンボルで、船は進行の旅を表し星は希望や導きの象徴。なによりも珍しいのは病院と礼拝堂が完全に一体化した建物になっているということ。
聖路加国際病院の初代院長のルドルフ・ボリング・トイスラーは多くの患者を受け入れながら先端医療の教育にも努めた。1876年にアメリカ・ジョージア州に生まれたトイスラーは、医療を通じキリスト教て布教活動をする宣教医師として来日。1901年に築地にほど近い佃島に木造の小さな診療所を建てた。それがトイスラーの仕事の始まりだった。貧しい人は無料で診察していたために経営は当初厳しかったという。その中でも質の高い医療が評判を呼び、病院はどんどん大きくなっていった。しかし、1923年に関東大震災により、病院は倒壊しトイスラーは奮起。病棟と礼拝堂を一体化させ医療と信仰を一つの場所で行う特別な病院を作ろうとした。
聖ルカ礼拝堂の設計を任されたのはチェコ出身に3人の建築家。中心となったアントニン・レーモンドは、巨匠のフランク・ロイド・ライトの元で学び、数々の斬新なモダニズム建築を残した。レーモンドの個性が現れた場所は旧館の屋上にあり、レーモンドの完成予想図では病棟の正面に張り出した印象的なデザインは、見事に実現された。装飾性を廃した幾何学的でモダンな建築の美しさに。しかし当初の設計と今大きく異なっている場所があるという。元々の設計ではニューヨークのエンパイアステートビルを思わせる天を突き刺すような尖塔だった。現在の建物はどっしりと落ち着いた塔は、最初の設計よりも高さが抑えられ信仰と希望を空へ届けるような印象が特徴。トイスラーがレーモンドの作った模型を前に、関係者にプレゼンする映像では、財界からなどから寄付を募り新病院の建設は日本中が注目する一大プロジェクトに。しかしその裏で、レーモンドの最先端の設計はトイスラーの設計とは異なるものだった。トイスラーは鉄骨による骨組みが完成した段階で、レーモンとどの契約を解除し新たな建築家との契約を結んだ。杉並区にはその建築家が手掛けた建物があった。立教女学院の聖マーガレット礼拝堂は、聖路加国際病院の完成一年前に作られた。アートが連なり、重厚で温かみがある空間。中世ヨーロッパの雰囲気が漂うこの礼拝度を設計したのはクリスチャンであり、日本で数々の教会を手掛けたジョン・バン・ウィ・バーガミニ;新たに書き直した聖路加国際病院の設計図は当時の建築基準もあり、塔の高さは半分になり、先鋭的なデザインからどっしりと落ち着いた姿に。
病棟の完成から3年、聖ルカ礼拝堂が完成した。本格的なゴシックの荘厳さで内部を満たしながらも、バーガミニはトイスラーの思いをくんで温かみのある空間を作り上げた。礼拝堂の入口の上には美しいパイプオルガンが設置されている。
聖路加国際病院旧館の5階にやってきたが、作られた当初は、バルコニーから礼拝に参加できる造りになっていた。パイプオルガンが設置される前は礼拝堂には4つのバルコニーがあり、それぞれのバルコニーは各フロアの病棟と繋がっていて、礼拝堂への行き来が自由にできたという。この病院で入院している人や働いている人全てがここにくれば礼拝ができた。トイスラーは礼拝堂を病院の心臓と言葉をのこしていた。そして井上は礼拝堂一階の入口でネズミのレリーフを発見。壁にもハエ、蚊、ノミ、ダニまで伝染病を媒介する虫や動物を覚えてもらうためにほどこされたもの。そしてトイスラーは1934年8月10日に聖路加国際病院にて逝去した。彼が目指した病院の使命を忘れないために続けられていることがあるという。
12月になると聖ルカ礼拝堂ではパイプオルガンのミニコンサートが開催する。その音は入院している人や病院で働く人のために奏でられているという。
次回の「新美の巨人たち」の番組宣伝。
