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地震から2度目の夏を迎えた能登。輪島や珠洲では人口の約3割が流出したとのデータも。それでも集落を残したい。地震と豪雨で孤立した地域では2年ぶりの祭りが復活した。カギを握るのは外からの力。液状化が深刻な地域では住民たちが決断を迫られていた。地域の絆を託すのは新たな花畑。人口が減るふるさとでどう生きるか奮闘する人々の記録。
地震と豪雨の被害が最も大きかった地区の一つの珠洲市大谷町。犠牲者22人。集落の建物も大きな被害を受けた。建物の8割近くが解体されている。地震前824人だった住人は半分以下の378人になった。地震前に推計されていた大谷地区の人口推移は、高齢化が進み、徐々に減っていくと予想されていたが、実際はこの2年で急減。20年ほど後に訪れるはずだった未来が既にやって来てしまった。それでも区長の丸山忠次さんは集落を残すことを諦めていない。地区を離れる住人の家から能登地方特有の珠洲瓦を集めていた。塩害に強く、海風から町を守り続けてきた黒い屋根瓦。今では生産されていない貴重な瓦を将来また使えるよう保管している。40年以上、静岡の機械メーカーに勤めてきた丸山さん。定年後、ふるさとに戻り、6年前に区長となった。地震後、再び大谷町を離れることも頭をよぎったという。ただ自宅に大きな被害はなかった。耳にしたのはふるさとに残りたいという切実な声。今は仮設住宅に暮らす人の中にも大谷町に戻りたいと願う声は少なくない。大谷町で生まれ育った平義一郎さん。自宅は去年9月の豪雨で1階部分に土砂が流れ込んだ。大規模半壊という判定で、家の再建のための補助金は170万円ほど。もう住めないと一度諦めた。しかし今年ボランティアが泥をかき出してくれた。床を自分で貼り直せば、壁と内装を直す費用は賄えるかもしれない。ただ、この家で暮らすのを心配する人もいる。離れて暮らす息子たちは一緒に住もうと提案したが、父の思いは変わらなかったという。この日、平さんは2階に片付けていたある物を持ってきた。この家を受け継いできた家族の写真。もう一度ここに帰ってくるという決意だった。
珠洲市大谷町では“自律分散”という新たな街作りを目指している。区長の丸山忠次さんは移住してきた若者の力を借りて復旧作業等にあたっている。ボランティアで訪れたことをきっかけにこれまで5人が移住。今は珠洲市の企業やレストランでアルバイトをして生計を立てているという。丸山さんは「なぜ被災した場所にやって来てくれるのか私たちも分からない。まだ見捨てられていないと感じるし、すごく助かっている」などと話した。また海沿いには外からの力の拠点となるレストランがある。ここでは被災地を巡るガイドツアーを企画し、関係人口を増やそうとしている。レストランの店長も2年前に名古屋から引っ越してきたとのこと。
丸山さんは伝統の「キリコ祭り」を復活させようとしている。キリコ祭りの復活を聞いて大谷町に戻ってきたのが石田武志さん。今は遠く離れた都市部の仮設住宅で暮らしており、家族が新しい生活に馴染み始めたことを考えて大谷町に戻る選択はできなかったという。石田さんは祭りの2週間前に新調した法被を持ってきた。石田さんは「祭りがとにかく大好き。ここにいたんだと証明できるものを何か残しておきたい」などと話した。そして迎えた祭り当日。石田さんはどうしても祭りに参加させたいと孫を連れてきていた。石田さんは「ずっとこれからも来ます」などと話した。祭りを終えた丸山さんは「祭りのためにみんな戻ってきてくれた。でももっと盛り上げたい」などと話した。
液状化被害から立ち上がり新たな繋がりを模索する新道地区。今度はバーベキュー大会を開くことにした。山崎勇人さんは「離れていても元新道町内という絆はある」などと話した。
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人口減少が20年進んだ大谷町でも新たな計画が動き始めた。交流拠点を来年建てることになった。
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