2025年6月8日放送 21:50 - 23:09 フジテレビ

Mr.サンデー

出演者
宮根誠司 藤本万梨乃 鈴木悠 瀧口友里奈 石戸諭 
カメラが捉えた週末ニュース
長嶋さん告別式 松井氏と最後の素振り

3日に亡くなった長嶋茂雄氏の告別式が行われた。多くの野球関係者が参列し弔事に立ったのは愛弟子の松井秀喜。1992年のドラフト会議や秋季キャンプのことを振り返り感謝の言葉を伝えた。王貞治は日本人の誇りと称賛。東京ドームには記帳所が設けられ、長嶋氏との別れを惜しむ多くファンが訪れた。

キーワード
プロ野球ドラフト会議東京ドーム松井秀喜王貞治読売巨人軍長嶋茂雄
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

ゲスト紹介

ゲストのノンフィクションライター・石戸諭、ビジネスジャーナリスト・瀧口友里奈を紹介した。

(ニュース)
九州北部・四国が梅雨入り 大雨に警戒 沖縄 “”史上最速の梅雨明け

気象庁は九州北部と四国の梅雨入りを発表した。いずれも平年より遅い梅雨入りとなった。明日以降、警報級の大雨となる恐れがある。きょう鹿児島市では。沖縄は2015年と並び史上最速で梅雨明けしたとみられる。

“30℃超”でもパンダ 150分待ち、7月上旬並み 祭り 大盛り上がり

きのう夏日となった和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドでは、今月28日に返還予定の4頭のパンダに別れを告げようと来園者が長蛇の列を作った。待ち時間は150分にも及び、行列に並ぶ人の表面温度は約30℃超、地面は約40℃に達していた。東京都心では最高気温28・6℃を観測。台東区では鳥越祭が行われた。大混雑の神奈川・江の島では気温は26℃台だったが室温は70%超となっていた。

いま注意「梅雨型熱中症」 その対策 梅雨入りラッシュで蒸し暑く

きのう埼玉県熊谷市の埼玉慈恵病院では熱中症患者が救急搬送された。エアコンをつけずに就寝したところ脱水症状を起こし動けなくなったという。梅雨時期の熱中症について、日本救急医学会・三宅康史医師は「湿度が高いなか気温も上がり汗をかいたが乾かないことで体を冷やすことができず体温が高くなり熱中症にかかる、これが梅雨型熱中症」と指摘。対策としては「暑い環境に出ない方は意識して汗をかく、涼しい時に少し散歩をする、ぬるめの湯に少し長めにつかり汗をかくなどが大事」と話した。

気象情報

全国の気象情報が伝えられた。

キーワード
台風1号気象庁
スタジオトーク

流域地図などを活用しながら防災してほしいなどと話された。避難場所や避難経路の確認、非常用品の準備など大雨への備えについて紹介。

小泉農水相「複雑怪奇」 コメ流通の“ブラックボックス”徹底追跡

小泉農相が繰り返し指摘し、価格高騰の原因とも言われるコメ流通のブラックボックス。そもそもコメは生産者から集荷業者に集められ、卸売業者を経て小売店に並ぶ。番組は流通ルートをたどり、どこで価格が上がったのかを追跡。ブラックボックスの中身の全体像に迫った。まず向かったのは横浜市保土ケ谷区のスーパー。おとといの銘柄米の価格は税込みで5kg5000円以上と安い時と比べて1.8~2倍ほどの価格で推移しているという。しかし仕入れ値が反映されて高くなっているだけで店の利益が増えているわけではないとのこと。続いてこの店にコメを卸した業者を取材すると、スーパー同様に仕入れ値が上がったため高く卸すしかなかったなどと話した。他の複数の卸売業者も困惑するほどのコメ不足と異常な値上がり。業者から聞かれたキーワードは「スポット取引」。専門家によるとスポット取引とは主に卸売業者間で行われる取引のことで、コメが余っている業者が不足している業者に売るなど効率よくコメを流通させる仕組みだそう。しかしコメ不足に陥って売るコメがなくなった業者が多少高くても他の業者から確保しようとした結果、小売店に届くまでに介在する業者が増え、コストが増加し価格高騰につながるとのこと。実際にスポット取引を行なう業者はコメ不足になるとオークションのようになるなどと話した。

キーワード
スーパーマーケット セルシオ 和田町店保土ケ谷区(神奈川)品川区(東京)小泉進次郎茨城県衆議院農林水産委員会高崎市(群馬)

都内にあるコメ小売・卸売り店がブラックボックスの実態に迫るスポット取引表を見せてくれた。全国の卸売業者などが売り出したいコメの情報が1俵の単価や銘柄などの情報とともに記されていて、コメの売買の仲介業者がこうしたデータをネット上で日々公開し、それをコメが不足している業者が見て仕入れているという。コメの流通をめぐるブラックボックスの中に見えてきたのは、コメ不足の中スポット取引を行なうことで小売店までのルートが複雑化した実態だった。今月5日、小泉農水相は国会で卸の大手で売上高や営業利益が急増しているなどと語ったが、取材した大手卸売業者は価格高騰は需給のバランスであり不当な価格の釣り上げなどはしていないなどとコメントしている。取材で見えてきたのは卸売業者がスポット取引でコメを確保し合う実情と、根底にあるコメ不足だった。

キーワード
品川区(東京)大田区(東京)小泉進次郎
スタジオトーク

ブラックボックスを取材したことでスポット取引の存在がわかった。通常生産者から卸売業者・小売店へとコメが流れるが、売るコメがない場合に卸から卸へのコメの取引が行われていたとのこと。瀧口は分断されたプレーヤーが各自最適化した結果として価格が高騰したため、改善するためには流通過程を透明化することが重要などと話した。

小泉農水相 コメの“緊急輸入も選択肢”

小泉農水相はおととい、緊急輸入なども含めてあらゆる選択肢を持って向かいたいなどと語っている。輸入米には2つの流通ルートがあり、ひとつがミニマムアクセス米。政府が関税ゼロで年間約77万tを輸入し、このうち10万tが主食用となる。もうひとつが民間企業が関税を支払い独自に輸入する米で、高関税でも国産米よりも割安とのことで現状急増しているとのこと。

キーワード
イオンコロワイド吉野家小泉進次郎松屋フーズ
スタジオトーク

石戸は時限付きでの米の輸入は合理的で、政権もコメの問題については合理的なためいずれ輸入に踏み切ると思うなどと話した。

キーワード
小泉進次郎
時代を駆け抜けた太陽 長嶋茂雄という生きざま
コーナーオープニング

ミスタープロ野球として時代を駆け抜けた長嶋茂雄さん。関係者などの証言や30年に及ぶ取材映像から長嶋さんのプロとしての流儀と覚悟が見えてきた。長嶋さんは無名の高校時代が嘘のように六大学野球のスターに駆け上がると、圧倒的センスと底抜けの明るさで戦後の日本を照らし続けた。

キーワード
宮崎市(宮崎)長嶋茂雄
“貴重映像” 長嶋茂雄さん 知られざる姿 人前で見せないミスターの「努力」

2013年に放送したドキュメンタリー番組の取材過程で見つかった1本の8mmフィルムには、スランプにあえぐ長嶋の姿が映っていた。撮影者は当時打撃コーチを務めていた荒川博氏。荒川氏は取材当時、長嶋のためにしたためていた極秘の練習ノートまで見せてくれた。そこにはスタートして努力のあとをみじんも見せなかった長嶋とは異なる、誰も知らない長嶋がいた。

キーワード
長嶋茂雄
長嶋茂雄さん 覚悟と流儀「プロとは表現力」

1936年、千葉県佐倉市に誕生した長嶋茂雄さん。かつて長嶋さんは、野球人生はバッドもボールもない中で始まったと語り「三角ベースボールをした」と話していた。大学に入るとプロで活躍する自分をイメージしていたことが自身の著書で語られている。「プロとは表現力、観客に感動を抱かせる、それがプロの使命であり、姿勢」(長嶋茂雄「野球は人生そのものだ」/中公文庫より)。1958年に巨人に入団。デビュー戦は4打席4三振だったが、その年に本塁打王と打点王の2冠を達成し新人王に輝いた。翌年の展覧試合では、陛下退席まで残り3分というタイミングでサヨナラホームランを放ち、国民的ヒーローとなった。徳光和夫氏は「一挙手一投足が燃える男だった。明るい太陽のようであり、全力プレーをし常にスターは輝いていないといけない」と語った。盟友・王貞治氏は「エンターテイナー。特別な意識を持ってやってたことがファンにも届いた」などと話した。巨人V9時代のショート・黒江透修氏は「(長嶋さんが)行けたら自分が捕るとパッと来てやる。」などと語った。

“魅せるプレー” 長嶋茂雄さんの流儀、“人に努力見せない” 独自の覚悟と流儀

巨人V9時代のショートだった黒江透修が長嶋茂雄の無邪気なプレーの数々を語った。ゴロさばきには異常なまでの執着を見せた長嶋だったが、フライが上がると腰に手を当て捕る気なし。黒江は「フライは落としたらカッコつかない」などと話した。ボール球でも無理やりヒットにし、試合が間延びすればド派手なエラーで盛り上げる。全てはファンのため。思い切り空振りしてもヘルメットが飛ぶと歓声が聞こえ、空振りでも喜んでくれるのだとひらめいたという。長嶋自身も気に入っていた写真を撮った元サンケイスポーツカメラマンの遠藤忠に話を聞いた。入社直後から長嶋の姿を撮り続けた遠藤自身の最高の一枚は空振りの写真。遠藤は「表情はいいよ」などとコメントした。その写真は長嶋が亡くなった翌日、見開きという異例のレイアウトで新聞紙面を飾り、その存在の大きさを改めて感じたという。練習シーンについて遠藤は「人に見せたくないみたい」などと話した。遠藤は誰もいないグラウンドでひとり黙々と汗を流す長嶋の姿を捉えている。努力は見せないという姿勢は自らの著書にも示されている。著書で長嶋は「プロとは夢を売る商売」などと語っている。読売巨人軍の柴田勲は、報道関係者は長嶋が後楽園でティーバッティングしている姿を「絶対見たことないと思う」などと述べた。試合が終わってからすぐに素振りをし、翌日の試合では「お客さん入っているな、よし頑張るぞ」と話していたという。

長嶋茂雄さん “引退試合”で見せた涙

1974年10月14日、長嶋茂雄がバットを置く日が訪れた。この日の後楽園球場はダブルヘッダー、スタンドは最後の勇姿を見ようと5万人の大観衆で埋め尽くされた。ところが第1試合が終わった直後、まだもう一試合あるというのに感極まった長嶋はファンの前に姿を現した。「ファンにはかっこいいところだけを見せればいい」と言い続けた長嶋が泣いていた。「今日引退をするが我が巨人軍は永久に不滅」などと挨拶。プロ野球を国民的スポーツに押し上げ、颯爽と駆け抜けた17年だった。元読売巨人軍の柴田勲は長嶋が現役を引退する前の3年間に使っていたグラブを見せた。引退式の前に長嶋がくれたという。

“国民に幸せを” 長嶋茂雄監督の覚悟 日本代表を率いた時の舞台裏

元読売巨人軍の中畑清は、入団して1年目からスタンドのお客さんの目を意識して練習、試合をしていたという長嶋茂雄の言葉を聞いた時に、考え方が元々違うと感じたという。中畑は後に、オリンピックを目指す長嶋ジャパンを支えることになるが、「日の丸を背負った時の長嶋茂雄は異常だった」などと述べた。当時、長嶋は「かつてない興奮と使命の重さを痛切に今感じている」などと語っていた。「そのプレッシャーが長嶋の体に負担をかけたのでは」と語る中畑は、病気になってリハビリを表に見せていくのは同じ苦しみで闘っている病の仲間を元気づけたいという気持ちの表れだと指摘。

病に倒れても表舞台に出続ける長嶋さん 大切にする「へこたれない心」

病に倒れてからは人を元気づけるためにあえて姿を見せる。松井秀喜と共に国民栄誉賞を受賞。長嶋はここでも不自由になった体を隠そうともせず、堂々とバットを振ってみせた。長嶋茂雄は道徳の教科書にも載ることに。その人生に感動した福岡の中学生たちが手紙を書くとそこからまた一つの物語が生まれる。ユニフォームと共に努力と書かれた色紙、手紙が届く。

1 - 2

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.