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「アグネス・ラム」 のテレビ露出情報

続いての神ウエーブは美白。紀元前3000年の古代エジプトでは日差しが強く、明るく白い肌を持つことが美の象徴とされていた。このため当時の人達は米ぬかとジャスミンオイルを塗って白い肌を目指したと言われている。一方飛鳥時代の日本では持統天皇に唐の僧侶が白粉を献上したことがきっかけで、肌に白粉を塗って美白に見せる文化が広がっていった。平安時代には灯りの無い宮廷でも美しく見えるよう白く見える肌を持つことが美人の象徴だとされた。江戸時代になると白粉の塗り方などを書いた化粧の指南書が出版され、美白文化は庶民にも浸透していった。またこの頃になると白粉を牛乳で溶いて顔に塗ってから寝るという日明けケアのパックの文化も広がっていった。昭和の高度経済成長期になると女性の社会進出の機会増加に伴って化粧品の消費量も増加し、美白パウダーという商品が発売されたことをきっかけに美白という言葉が世の中に浸透していった。一方1966年に当時18歳の前田美波里が資生堂の化粧品ポスターに採用され、美しい小麦肌に日本中が目を奪われた。当時小麦肌は海水浴などに行ける余裕がある富裕層のシンボルとされていて、高度経済成長期の庶民の憧れとして日焼けがブームとなった。1973年になると山口小夜子の化粧品ポスターが話題となり、美白のスーパーモデルへの憧れから再び美白ブームが起こった。1977年には当時19歳の夏目雅子が起用されたCMがきっかけで再び小麦肌に注目が集まり、榊原郁恵やアグネス・ラムなど小麦肌の美女たちが当時の芸能界を席巻していった。80年代に入ると小麦肌が目を引くビールのイメージガールが登場し、小麦肌への憧れがより強まっていった。1992年には安室奈美恵がデビューし、ファッションやメイクを真似るアムラーやコギャルブームを生み出した。またこの頃にはギャルに特化した雑誌も登場し、ガングロギャルが出現するなど小麦肌ブームが勢いを増していった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月7日放送 7:30 - 7:59 TBS
所さんお届けモノです!富山 観光大使の1日満喫グルメ
富山県八尾町にある諏訪町本通り。江戸時代の風情が残り、日本の道100選にも選出されている。江戸時代から続く老舗「宮田旅館」は、かつて徳川慶喜や五木寛之などが滞在したとされる名旅館。

2024年10月20日放送 19:58 - 20:56 テレビ朝日
ポツンと一軒家徳島県のポツンと一軒家
徳島県のポツンと一軒家を訪ね、主のミツ子さんと長男の稔さんに話を聞いた。築150年の母屋に上げてもらった。居間や仏間があり、亡き父の三回忌をした。ミツ子さんは挙式もこの仏間でした。ミツ子さんは昔は谷に橋がなく山を歩いて嫁入りしたと話した。麓の集落で7人兄妹の末っ子として生まれたミツ子さんは隆敏さんと結婚し3人の子宝に恵まれた。隆敏さんは林業と土木業を兼業して[…続きを読む]

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