富山・小矢部市にある豆腐屋「斉藤商店おやべ」では、勇旗が豆腐を担当して作っている。勇旗は重度の知的障害と自閉症があり、寛明が付きっきりで見守り、寛明の妻・明美が支えてきた。勇旗は2歳の頃に障害があると判明し、医師からは知的開発は難しいと診断されていた。寛明は勇旗のために13年間務めてきた会社を辞め、勇旗に言葉と数字を自ら教えてきた。小学校に入学した勇旗は当時は今より障がいに理解がなく、偏見や誹謗中傷の言葉を浴びる日々を送ってきていた。当時、寛明は実家の豆腐屋の仕事を手伝うようになり、職場に勇旗を連れて行っていたことが転機となっていた。勇旗が中学生の頃に寛明は今の工場を勇旗がずっと働ける場として造った。単純作業を繰り返す豆腐作りは勇旗にとって相性が良かったなどと伝えた。