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「牧之原市史料館」 のテレビ露出情報

蔦屋重三郎は東洲斎写楽などの人気浮世絵師を世に送り出したほか、平賀源内などの偉人との交流でも知られる江戸のメディアプロデューサー。前回は独自のやり方で吉原細見など吉原に関する書籍や人気作家を起用した黄表紙や洒落本を紹介。今回は試練やプライベートなどに迫る。歴史作家・時代考証家・山村竜也さんが解説。この時期は狂歌が大変はやり始めた。狂歌は、形式にとらわれない和歌の一つで社会風刺などを盛り込み"連"というグループもあった。蔦重もグループに参加、メンバーは大田南畝、朋誠堂喜三二、元木網など。蔦重は、その歌をまとめて本にしていた。当時、狂歌本はなかったので売れたという。蔦重に妻がいたとは言われているが名前も時期も不明。商売繁盛を願う恵比寿溝が描かれた狂歌絵本には蔦重の家紋がついた着物を来た女性が描かれており、これが妻、一緒にいるのが子という説もある。人気作家の朋誠堂喜三二、恋川春町、山東京伝などをプロデュースしてヒットを連発した。当時の老中・田沼意次は商業中心の重商主義で経済を活発化しようとしたが田沼が失脚後、新たな権力者となった松平定信は寛政の改革を敢行し、幕府の威厳を取り戻すため出版規制などを実施。しかし蔦重は出版を続けた。黄表紙「鸚鵡返文武二道」(作:恋川春町)は松平定信の著書「鸚鵡言」のタイトルをもじったもの。醍醐天皇が自ら質素倹約に励む内容で過去の時代設定で寛政の改革を茶化した。幕府から呼び出しを受けた恋川春町は藩と幕府の板挟みとなり、出頭を引き延ばしていたが数カ月後にいきなり死亡。死因は不明だが自殺したとも言われている。蔦重も思い罰金刑に処されるなど不遇の時代を送るが浮世絵で再起を図る。喜多川歌麿は美人画、東洲斎写楽は「役者絵」。東洲斎写楽は突如28枚の役者絵を発表し世間を驚かすが、その後140点あまりの作品を残して姿を消した。太田南畝、式亭三馬らの「浮世絵類考」によると「歌舞伎役者の似顔絵を描いていたが、あまりにも真実に迫ろうとして不都合な様まで描いたので長く活躍ができず1,2年でやめてしまった」とある。東洲斎写楽の正体は「葛飾北斎」との説もあるが、正体は阿波藩の能役者・斎藤十郎兵衛とする説が有力。
住所: 静岡県牧之原市相良275-2

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月27日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
作家の平岩弓枝さん。時代小説の御宿かわせみシリーズなどで知られる。作品の多くはテレビドラマになった。江戸情緒あふれる人情噺が人気を集めた。平成28年には文化勲章を受賞。人間を書く仕事をしてこれたことはありがたいことだと思うと語っている。昭和7年東京生まれ。代々木八幡宮の宮司の娘。高校と大学では演劇に夢中になった。裏方をやっていたという。日本女子大学文学部国文[…続きを読む]

2025年2月5日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
江戸文化の仕掛け人、蔦屋重三郎の人生に迫る。1750年、蔦屋重三郎は江戸の吉原で丸山重助の子として誕生するが、7歳のときに両親が離婚する。その離婚と同時に、吉原で引手茶屋を営んでいた蔦屋喜多川家に養子に出される。青年になり、引手茶屋の軒先で本の販売とレンタルの商売を始める。22歳のときに吉原大門前に書店耕書堂を開業。24歳のときに細見鳴呼御江戸の序文に平賀源[…続きを読む]

2025年1月21日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース(静岡局 昼のニュース)
現在の牧之原市にあたる相良藩の藩主で幕府の重役を担った田沼意次ゆかりの文化財などが県が設けている制度「しずおか遺産」に認定された。県は県内の歴史や文化を多くの人に知ってもらおうと文化庁が設ける日本遺産の県内版「しずおか遺産」の認定を2022年度から進めている。放送中の大河ドラマ「大河ドラマ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に渡辺謙演じる田沼意次が登場するが、ゆか[…続きを読む]

2025年1月18日放送 13:05 - 13:50 NHK総合
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜紀行
田沼意次はかつて武家屋敷が立ち並んだ東京都文京区で生まれた。江戸時代の相良海老には茶の湯や将棋などを嗜む多能の人と記されている。九代将軍・家重に重用された意次は呉服橋門の内側の屋敷を与えられた。意次は正直者・律義者であると家重が遺言として語ったとされている。その後、意次は神田橋門内に屋敷を与えられ老中として政務をこなした。

2025年1月12日放送 20:00 - 20:45 NHK総合
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜紀行
田沼意次はかつて武家屋敷が立ち並んだ東京都文京区で生まれた。江戸時代の相良海老には茶の湯や将棋などを嗜む多能の人と記されている。九代将軍・家重に重用された意次は呉服橋門の内側の屋敷を与えられた。意次は正直者・律義者であると家重が遺言として語ったとされている。その後、意次は神田橋門内に屋敷を与えられ老中として政務をこなした。

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