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「三角公園」 のテレビ露出情報

「三角公園の歌姫」こと坂田佳子さんが本拠地に戻ったと聞き、昔馴染みのファンが戻ってきた。佳子さんに憧れ北海道から西成に移り住んでしまったえまこさんは母親が佳子さんにそっくりだという。えまこさんは両親に捨てられ、アル中の祖父には毎日暴言と暴力を振るわれたという。小学校の頃から誰とも話せず引き込まったえまこさんは高校を中退すると静岡の工場で1年働いたが、ふと死のうと思って北海道に戻り飛び降りた。雪で助かったがそのまま精神科に入院し2年で逃げ出し、ニューハーフのショーパブで働いた。その頃できた彼氏の紹介で後に「お母さん」と慕うことになる女性と出会った。えまこと名づけてくれたその人は佳子さんにそっくりだったが2023年、50歳でこの世を去った。佳子さんをYouTubeで知って、各地でアルバイトを転々とし、ついに西成で本人に出会えた時は号泣したという。
佳子さんも西成に救われた一人。一時は名のあるジャズクラブの専属歌手として人気を集めたこともあったが、酒に溺れ仕事は激減。夫からも別居を言い渡され、辿り着いたのが西成の三角公園だった。2024年4月、自分の原点を見つめ直そうと、佳子さんはニューアルバムの制作に取り掛かった。レコーディングを引き受けてくれたのはジャズピアニストの柴田コウメイさん。2024年5月、これまで話にしか聞いたことのない別居中の夫が現れた。多少客の入りが悪くてもこの地でライブをしているのは、夫が広島で暮らしているから。夫は三角公園で歌い始めてからの彼女を知らない。出会いは2人の職場だった広告代理店で、夫の一目惚れだった。2枚値もアルバムジャケットは赴任先だった鳥取で夫が撮った写真。それほど中の良かった夫婦の間を壊したのは彼女のアルコール依存症。夫の部屋に来る時は必ず手料理を振る舞う。
あと半年と余命宣告をされた仁美さんはそれを3か月過ぎ、もう佳子さんのライブに行くことさえ厳しくなっていた。仁美さんはがんと診断されて以来、やりたいことノートを作り、その多くを叶えてきた。車椅子での生活になってからも医師が止めるのも聞かず海外に出かけた。寝ていることさえ辛いと話していた仁美さんが三角公園に現れた。
住所: 大阪府大阪市西成区萩之茶屋3-7

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年12月7日放送 14:00 - 14:55 フジテレビ
ザ・ノンフィクション生きる歌2 三角公園の歌姫とわたし 前編
2023年6月、かつては「三角公園の歌姫」と呼ばれた坂田佳子さんも今では熱狂的なファンに囲まれていて、居酒屋でのライブが当たり前になっていた。乳がんの骨転移の疑いがあった。母はお琴の先生で、父は大手企業の役員という家庭に育った佳子さんは「出来損ない」と罵られても歌っている時だけは生きていると思った。高校卒業後に駆け落ちし大阪でホステスに。広告代理店で働きなが[…続きを読む]

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