- 出演者
- 古谷敏郎
オープニング映像。
パリ五輪のサーフィンには茅ヶ崎市出身・松田詩野が出場する。茅ヶ崎のサーフィンの歴史は100年以上前に遡る。当時の町長がハワイからサーフボードを取り寄せたことが始まりだと言われている。伝説のサーファー・鈴木正さんは1960年代に日本人で初めてハワイの国際大会に出場。82歳となった今も大会に出場するなど現役バリバリのサーファー。サーフィンをするだけではなくサーフボードを作る伝説の職人とても知られている。24歳の時に米国に渡り本場のサーフボード作りを習得。帰国後は茅ヶ崎に日本初の国産のサーフボード工場をつくりサーフィン文化を普及させた。
素掘りトンネルとは主に江戸時代から戦前にかけて重機を使わず人の手で掘られたトンネルのことで千葉県は全国でもトップクラスに多く100以上あると言われている。君津市にある素掘りトンネルは今から300年以上前に川の流れを変えるため掘られたトンネル。今はこのトンネルのある場所は清水渓流広場(濃溝の滝・亀岩の洞窟)になっていて夏になると水遊びをして涼を感じる人もいる。絶景スポットとしてもSNSで話題になっている。3月と9月の早朝にトンネルから差し込む光がハート形に見える。素掘りトンネルは房総半島各地に残っている。作られた目的は農業用水を通したり集落同士を結んだりなど様々。数多く作られたのは房総丘陵の砂泥互層という地質が掘りやすい一方で崩れにくかったからと言われている。その多くは地元の人たちの手で掘られたが予算も少なく完成した時に完成祝いもなかった。君津市にあるトンネルは分岐して横にもトンネルが作られていて、その先には湖と切り立った崖に小さな神社がある。あの土地から見えた湖はダム湖で神社は今も地区で大切にされている「日枝神社」。トンネルは集落からの道がダムで水没したために代わりに掘られたと考えられる。
東京23区で廃棄される粗大ゴミの中で最も数が多いのは布団。約100万枚に上る。そんな中、寝具メーカーが不毛布団を再生させ繰り返し使えるようにする羽毛布団リフォームに力を入れ始めた。埼玉県本庄市に今年新しく寝具メーカーがつくった羽毛布団の再生工場。多い時には1日に800枚以上の布団が依頼者から送られてくる。依頼が急増したのは3年前のコロナ禍。費用はこの会社の場合、新しく買うよりも抑えられる。羽毛の再生利用を進める背景には原料不足の問題がある。布団に使われているのは水鳥を食肉に加工する際にとれる羽毛。その多くを中国と台湾からの輸入に頼っている。しかし食文化の変化で牛肉や豚肉が好まれ水鳥が以前よりも食べられなくなり羽毛の生産量が減少。かつて1万トン以上あった輸入量は30年間で約5分の1に大きく減った(財務省「貿易統計」を元に算出)。工場では年間5万枚をリフォームすることができる。布団の廃棄が減ることでCO2排出の削減も期待されている。
「豆もやしと鶏ひき肉の韓国風炊き込みごはん」の作り方。豆もやしは洗って耐熱皿に入れ、電子レンジ600Wに5分かける。フライパンに、鶏ひき肉、にんにく、酒、塩を混ぜてから中火にかけ、パラパラになったら火を止める。ご飯と材料を入れて早炊きする。しょうゆ、砂糖、ごま油、一味とうがらし、すりごま、青じそを混ぜて香味だれを作る。炊きあがったら混ぜて完成。
視聴者から届いた写真を紹介。
「ひるまえほっと」の次回予告。