- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
群馬県前橋市にある大型のショッピングセンターには群馬県民にはおなじみのスーパーベイシアがある。ベイシアは北関東を中心に136店舗を構え、売上は3000億円を越える。その大きな特徴は広い売り場。テニスコート20面分あるという。5万点以上の商品が並ぶ品ぞろえ。店をフーズパークと名付け食のテーマパーク化を進めている。ラーメン横丁というコーナーには即席麺が400種類以上あり、地元の麺やご当地、海外の麺も販売している。惣菜コーナーのバラエティ豊富で、惣菜と弁当あわせて200種類以上。その多くが店内調理を行っている。売上No.1は三元豚のロースカツ丼。他にもお魚屋さんの鮭ハラスのっけご飯などの人気商品がある。
ベイシアで支持されているのはプライベートブランド。その数は2000種類で激安。その社長は相木孝仁。妻と子ども3人を東京に残し群馬県で一人暮らしをしているという。1959年にベイシアの前身のいせやがオープン。ベイシアはワークマンやカインズと同じベイシアグループで売上高1兆円超え。一代で築き上げたのは創業者の土屋嘉雄。あとを託された相木は、それまでの土屋イズムとは違うやり方で会社の舵を取っている。その真骨頂は仲間を信じて託すこと。
この日、ベイシアの本社では店舗の店長があつまる会議が行われていた。その店長は現場からの叩き上げで相木は彼らを社長の分身と呼んでいるという。通常スーパーではスーパーの運営などは、本部がマニュアル化しているが、相木は自分の分身である店長に大きな裁量を与えて運営を委ねている。ある店舗では店の前でサンバを開催。店がある大泉町は製造業が盛んで工場で働くブラジル人が多い。そのために今ではブラジル人が多い街に。そこで店長が自ら考えてサンバイベントを開催した。他にも関口はブラジル人客が来やすいように店長の裁量で改革。案内のすべてにポルトガルを併記し、以前は店に少しだけだったブラジル食材のコーナーを増やした。ソウルフードの豆類や温めて食べられる缶詰類を多く取り揃える。こうした取り組みで客数を増やしている。どのスーパーでも入口付近には野菜売り場がある。多くのスーパーでは地元野菜を扱うが、ベイシアはこのコーナーを生産者に任せているという。渋川市の農園では、ミニトマトなどの野菜の収穫時期。このコーナーでは野菜の搬入を農家にしてもらっており、しかも、商品の値付けも自ら決めるという。さらには持ってきた荷物を陳列するのも生産者におまかせで、手間は増えるが丹精込めて作った野菜を納得できる価格で売れるのは大きな喜び。ベイシアにとっても鮮度抜群の野菜がすぐに店頭に並ぶことは大きなメリット。
他にもベイシアではベイシアプレミアムというプライベートブランドがある。相木いい年のベイシアプレミアムは本生ハンバーグという冷凍ハンバーグ。パッケージには格之進とあったが、格之進は六本木や東京駅構内などでこだわりの熟成和牛を提供する話題の店で、そことコラボしたハンバーグだという。ベイシアはPBを他社のブランド力を借りて売り出しているという。鮮魚ではブリヒラという魚を使用しているが、ぶりとヒラマサをかけ合わせたもので、この魚を開発したのは、近畿大学の水産研究所。近大は世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功するなど養殖の世界をリードしてきた。その知名度をと、近大と販売の契約を結んだ。この日、ブリヒラの養殖場を訪ねたのはベイシアのバイヤー。ベイシア側は何度も足を運び、近大側と二人三脚で販売にこぎつけた。こうしたやり方で、ベイシアの魅力を生み出しているという。
スタジオにはベイシアのPBが登場し紹介した。相木はその数は2000品目あると紹介した。相木はスーパーについて価格ももちろんだが特色のある商品を買うことで日々を彩ってほしいと量が多いという。さらに全店で共通してこれをやろうというルールはあるが全国の店長には自ら本当に必要なことをやってほしいと全国の店長に伝えていると答えた。
相木には出社前の日課が。それはテニスの練習で元明治大学硬式テニス部の元主将だったという。今でも週4日みっちりテニスをしているという。相木は1972年に北海道旭川市で3人兄弟の次男として誕生した。小学校からテニスをはじめ、中学では北海道の大会で優勝した。大学は明治大学硬式テニス部に入部。明治大学は当時から日本有数の強豪校。部員の殆どがインターハイ出場など、選手層が厚い。相木もいつからレギュラーへと練習に取り組んだが、そんな姿が先輩やコーチの目に止まり主将に任命された。主将になったとはいえ、他の部員の殆どは自分以上の実力と実績をもっている。そんな猛者たちをどうやってまとめて強いチームにしていけばいいのか?相木が考えたのは選手一人1人の力をかりて能力を揚げる巻き込み戦略を思いついた。サーブが得意なある選手が、サーブに特化した練習を考えてほしいと伝え、寮生活がしっかりしている選手には皆のパフォーマンスがあがる寮生活スケジュールとルールを作ってほしいと頼むなど、部員の特異な力を集結させ全員を巻き込んだという。そのおかげで部員たちは結束し、関東学生大会のダブルスで準優勝に。
相木は大学卒業後にNTTに入社。電話回線の法人営業に対応していたが次第に経営者になりたいという思いが強くなっていった。26歳の時にNTTをやめてアメリカの大学院に入学しMBAを取得。帰国後は経営コンサルティング会社で数々の企業の立て直しを担当した。その中で出会ったのは楽天グループの三木谷浩史氏。相木のNTT時代のキャリアに目をつけた三木谷氏は、相木に通信事業の立て直しを依頼。当時業績が悪く、赤字が続いていたというが、引き受けた相木はチーム全員を巻き込んでその通信事業を立て直した。これを機に楽天グループの様々な事業を任されることに。その後も次々とプロの経営者として携わってきた。そんな相木に目をつけたのはベイシアの土屋嘉雄氏。カリスマ創業者の息子で、自身も様々な取り組みで事業を拡大させた凄腕経営者。外部n相木に経営を託そうとしたのは次の一歩が出ない時期があり、それを外から改革をしてみたかったという。土屋氏に乞われる形で2022年にベイシアの社長に就任した。相木はこうした明治大学のテニス部の経験が経営にも役立っているという。また海外の大学に入ったのはテニスのみで勉強をしてこなかったために、経営者になりたいと思い、決意したという。
仲間を信じて託すのが相木流の経営。その中で自ら率先してやっていることはそれは1対1でコミュニケーションをはかること。店舗の視察は自らが運転して向かう。店に到着するとまずは店長のもとへ。店内を見回るとスタッフに声をかけ、社員やパートなど立場に関係なく一体感を作ろうしている。1対1のコミュニケーションの時に相木には必ずすることがある。
TVerで配信中。
- キーワード
- TVer
1対1のコミュニケーションの時に相木には必ずすることがあるというが、社員と初めて面談をする日、3つの質問をするという。相木はベイシアに就任した直後の課題については自分で考えてほしいとよく話しているという。とにかく関心をもつことが大事で立場関係なく関心を持って勇気づけることが自分の仕事だと答えた。また毎回同じ質問を投げかける。会社はどうすべきか、あなたはどういう貢献ができるか、会社を本当に良くしたいと思っている人は?と聞くという。こうした質問をして組織に埋もれていたがこんなにすごい人がいたんだと見つける作業をしていると答えた。
- キーワード
- ベイシア
千葉県の津田沼にオープンしたベイシア Foods Park 津田沼ビート店。この店舗はベイシアにとって実験的な店舗だという。
千葉県の津田沼にオープンしたベイシア Foods Park 津田沼ビート店。この店舗はベイシアにとって実験的な店舗だという。ベイシアは広い店内が特徴的だったが、津田沼の店の売り場は通常の郊外型店舗の6分の1。土地柄単身者などが多くそうした客向けの店舗だという。カット野菜や小さめのパックの存在など小分け商品のラインナップを増やしている。店内には商品をピックアップするスタッフも。この店で力を入れているのはネットスーパー。多くの注文をさばけるように11人。スマホやPCから注文が入ると商品をピッキングする。更に手書きの手紙を添えてお礼をする。
相木孝仁は先行き不透明な時代、サバイバルに必要なことに人口減少、高齢化が進んでいる地域にこそ地域の会社が力を合わせてコラボレーションしていくことが大事だと伝えた。
- キーワード
- ベイシア
村上は今日の総括に、東京にいるとわかりづらいが、巨大なスーパーだ。相木さんのキャリアも独特だ。現NTTからスタートし、ツタヤオンライン、楽天の常務執行役員を経て葬儀関係お大手出版社である鎌倉新書、カーナビの雄パイオニアの役員を経由して、2022年に取締役としてベイシアに入社、売上高3000億円をはるかに超える大企業を率いる。現場視点がいちばん大事だと、店舗にも行くし、客とも話す。まるで長い間スーパーの経営をやっているかのようだ。誰にでもできることではない。双方の相性がぴったりと合ったとしか言いようがない。とした。
カンブリア宮殿の番組宣伝。