- 出演者
- 今田耕司 阿川佐和子 中尾建子
今回は世界で最も有名なパンダ、彩浜。彩浜がいるのは和歌山・白浜町にあるアドベンチャーワールド。現在、母の良浜、父の永明など合計6頭で暮らしている。彩浜は白浜に来て15番目の子ども。中国を除くとこれほど大家族になったパンダファミリーはない。ここで生まれたパンダは全て白浜の浜がついている。一家は浜家と呼ばれるようになった。なぜここまでの大家族になったのか、先祖がどうだったかなどはこれまで調べたことはなかった。
彩浜は2018年8月14日に生まれた浜家の16番目の子ども。父は永明、母は良浜。まずは永明のルーツを調べるために、中国・北京にある中国動物園協会を訪れた。ここには世界中の動物園で飼育されている全てのパンダの情報が集められている。血縁情報が乗っているスタッドブックを見ると永明の父は良良。母は永永だという。永永は野生で保護されたことがわかった。もっとも遡ることができるのは4代前の高祖母の方方と高祖父の都都だった。野生だった2頭はともに中国・四川省で保護された。都都は発見されたのは1963年。方方は1972年のときだった。野生のパンダが生息しているのは標高1500mから3000mの山岳地帯。
野生のパンダが保護されるようになったのにはあるきっかけがあった。1869年、フランスの宣教師、アルマン・ダヴィドが動物学調査のため四川省の山間の村を訪ね、パンダを発見した。そのときに村人から白と黒に別れた毛皮をみせられた。ダヴィドは驚き毛皮と骨を譲り受けパリの博物館に送り、世界中にパンダの存在が明らかになった。しかしパンダ狩猟ブームがおこり絶滅の危機に瀕した。1938年にパンダの捕獲が禁止され、その後、ケガをしていたり弱っていたりで発見されると保護されるようになった。
彩浜の高祖父の都都は北京動物園におくられた。当時の記録をみると、都都は健康で毎年交配が可能な雄と書かれていた。都都が交配したメスは4頭、できた子どもは23頭だった。1972年に北京動物園にやってきたのがメスの方方だった。
良良は展示用ではなく繁殖用のパンダとして大切に育てられた。その後16頭の父となった。
中尾建子は「感無量です」などと話した。永明は人間でいうと約80歳くらいだという。
25年前、白浜にやってきた永明。現在は27歳。人間で言うと80歳くらいになる。永明が日本にやってくるまでには様々な困難があった。1991年、アドベンチャーワールドは新たな挑戦をしたいと模索していた。2016年に亡くなった林輝昭さんは獣医師で繁殖の専門家だった。いつかパンダの繁殖がしたいと願っていた。上司の許可が出たので中国にある成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地に頼みにいくことになった。2頭のパンダの借受を要請。ブリーディングローンと言われる方法で借りた動物を繁殖し生まれた子どもを元の国に返却するというもの。当時パンダでは世界で1度も行われたことはなかった。ランランとカンカンは友好の証として譲渡されたもの。子どもが生まれても中国に返す必要はない。議論の末、中国は提案を受け入れた。しかし日本の通産省は受け入れの許可を出さなかった。世界的な保護団体が反対したことが理由だった。1984年8月10日、林さんの努力が実りついに自然保護団体の理解を得ることができた。
アドベンチャーワールドではパンダを迎えるため準備が行われていた。中尾建子さんは上司からパンダがくるから勉強しとけと言われ中国語の資料を出された。中尾さんは中国語を全く知らなかったという。1994年9月6日に永明と蓉浜がやって来た。3年後くらいに繁殖が期待された。蓉浜は新たな環境でも食欲旺盛。しかし永明は神経質で食欲が出なかった。
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1997年7月17日、元気だった蓉浜が突然死んでしまった。林輝昭さんはすぐに中国へ向かい蓉浜が死んだ説明とブリーディングローンの継続を頼んだ。
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ブリーディングローンの成功の鍵は永明にかかっていた。中尾建子さんはこれまでの餌が合っていなかったのではないかと考え、改めて永明が好む竹を探した。永明は竹の状態が少しでも悪いと口にしなかった。ある山中で竹を見つけ永明にあげると、永明は美味しそうに食べた。永明が食べた竹は黄色い竹だった。中尾さんたちはこの竹を園内に植え逸でも確保できるようにした。永明はようやく元気になっていった。そして2000年、永明の新しいパートナーがきまった。
真柴和昌は「永明はすごい竹をより好みする。いまでもいろいろなものを食べれるように用意してるけどそれでもなかなか気に入らないことがある」などと話した。
梅梅の母は蘇蘇。今回、蘇蘇が壮絶な日々を送っていたことが明らかになった。蘇蘇は1986年、中国・馬辺イ族自治県で保護された。新聞社で蘇蘇が保護されたことが書かれた新聞記事が見つかった。そこには、農村で村人で畑でじゃがいもおを取っているときに突然獣が現れた。村人はジャガイモを奪おうとしたと思い銃で射撃した。獣は山へ逃げたと書かれていた。それから2ヶ月20km離れた村のすみでうずくまっていた、真っ黒な動物が捕獲された。この真っ黒な動物こそが蘇蘇だった。当時、竹が枯れてしまう現象が各地で起きていた。原因は竹の花。竹は60年に1度花を咲かすとすべて枯れる性質をもっていた。さらに各地で高速道路の建設が相次いでいた。その結果100頭が餓死したという。蘇蘇は空腹に耐えきれず人里に降りてきたという。蘇蘇は成都動物園に運ばれ、獣医師たちの治療によって一命をとりとめ元気になった。しかしその翌年、検査のため麻酔を打ったら呼吸が停止してしまった。3時間半人工呼吸を行いようやく、呼吸を取り戻した。この奇跡の回復は獣医師の学会で取り上げられるほど話題になった。1994年、伍番目の子どもで次女として生まれたのが梅梅だった。
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- 成都動物園梅梅蘇蘇馬辺イ族自治県(中国)
彩浜の母方の祖母・梅梅は、子育てが上手く優れた母親になった。当時の飼育担当の黄祥明さんは「蘇蘇は母性が強かったが、娘の梅梅もとても母性が強かった」と話す。そのころ、アドベンチャーワールドの林輝昭さんは、たびたび成都パンダ基地を訪れ、永明の次のパートナーとなるメスのパンダを探していた。そんな中、目にした梅梅を日本に連れていきたいと申し出た林さん。中国側のスタッフから反対の声が出る中、当時の基地副主任の張志和さんはパンダ基地の上層部を説得し、梅梅を白浜に行かせることを決定させた。そして2000年7月7日、梅梅が来日した。
繊細でおとなしい永明と勝ち気な梅梅との相性が合うのか、スタッフたちが心配する中、2頭のお見合いが行われた。すると、永明は梅梅にお腹を見せた。この時、メスの梅梅の中には、人工授精で授かった赤ちゃんがいたという。
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