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インカ帝国を支えたジャガイモなど世界遺産と植物は意外な関係がある。今回はシリーズ企画あヂ1弾、世界を変えた植物を紹介していく。
世界中で愛されるジャガイモ。そのルーツはアンデスにある。インカ帝国より前に発展したティワナク文化があり、富士山より高いこの地に建てられた遺跡が存在する。また畑の跡が遺されており、ここでジャガイモなどを栽培していた。ペルーでは女性のミイラが見つかっておりその副葬品の中に乾燥させたジャガイモ存在した。インカ帝国では標高の低い所ではトウモロコシ、高いところではジャガイモが栽培されていた。インカ帝国はその後スペイン人に侵略され滅亡する。そのスペイン人がアンデスの地作ったのが銀の管理をするための街である。
街から銀などが運ばれその中にはジャガイモも存在しヨーロッパの食を変えた。比較的早く広まったのはドイツでその立役者となったのがフリードリヒ2世。フリードリヒ2世の墓にはジャガイモが供えられている。この地は寒さなどで度々食糧難に陥っていたが、それを寒冷地でも育つジャガイモが救い、そのジャガイモの栽培を命じたのがフリードリヒ2世だった。フランスでは薬剤師で農学者のアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ男爵がきっかけ。パルマンティエ男爵は捕虜になった時、ジャガイモを食べて生き延びた経験があり普及作戦を行った。当時飢饉で替わりの食材を探していた国王。課題は見た目はあまり良くないジャガイモをどう広めるかで男爵が目をつけたのは花で、ルイ16世にはジャガイモの花束を、王妃のアントワネットには花で作った飾りを手渡した。すると王侯貴族の間で花を栽培するのが大流行となり庶民の間にもジャガイモを食べる習慣となった。
イギリスの世界遺産「キュー王立植物園」。18世紀から世界最大級の植物コレクションから始まる。世界中の植物が植物園で出会えるとは当時は考えられなかったがそれを鉄などで出来た建物が可能にした。珍しい植物を集めたのはプラントハンターと呼ばれる人たちで新種の観賞用植物あんどを求め世界中を探索していった。そんな彼らを魅了したのが「ケープ植物区保護地域群」。ケープ植物区保護地域群では固有種の宝庫となっており5000種以上とされる。中でも社交界で評判を呼んだのがゴクラクチョウカでイギリスにもたらせた最も珍しく最も華麗な花と絶賛された。当時求められたのは見て楽しむ花だけではなくマラリアの特効薬とされたキナノキなど暮らしに役立つ植物の発見も重要となっていた。
現在生活に欠かせない車はゴムノキによって進化した。ゴムノキは世界で争奪戦となるほど求められた。ゴムノキの樹脂がゴムの原料となり様々な工業製品になりその凄さに気付いたヨーロッパ人が大量に運び出しタイヤに使用された。結果、アマゾンにゴムバブルが訪れる。ブラジル・マナウスにはゴム成金となったヨーロッパ貴族が建てたオペラハウス「アマゾナス劇場」が存在する。その種にイギリスが目をつけ、禁止されていたのにもかかわらず種子を持ち出し、旧植物園で発芽させ、当時植民地だったシンガポールに苗木を運び大量に栽培をした。東京ドーム11個分の広さを持つシンガポール植物園にはおよそ3000種類のランが咲き誇る世界最大級のラン園がある。池の畔にはパラゴムノキが東南アジアで初めて植えられた場所が残されている。 ゴムノキは東南アジア中に広まった。
トルコの世界遺産「ヒエラポリスとパムッカレ」と縁のある植物は「綿」。パムッカレは「綿の城」という意味を持つ。綿織物で発展したこの地は今でも上質な綿製品がつくられている。その綿がきっかけで起きたのが産業革命。綿はインドや中南米で古くから栽培されている。パキスタンの「モヘンジョ=ダーロ」では綿製品が見つかっている。その後カラフルに染めた木綿の布「更紗」が広まっていった。
綿製品がブームになったイギリスはインドから綿の輸入を行った。世界遺産となっているニュー・ラナークで紡績工場がつくられ、水車などを用いてつくられ産業革命となっていた。ニュー・ラナークでは労働者用の集合住宅など理想的な村が作られた。その後、蒸気機関が開発されインドのムンバイ港も輸出港として大きく発展。さらにムンバイには宮殿さながらの駅舎「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅」が建てられ、綿が運ばれていった。
エンディング映像。
世界遺産の次回予告。
ベスコングルメの番組宣伝。