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- 眞鍋かをり 高橋茂雄 織田信成 高杉真宙
今年昭和100年となる。昭和レトロブームでポーランドの日本祭りでは、ミハウさんは昭和の家電を販売していた。店にはオークションサイトで集めた昭和40~50年代の日本製品が約500点。ミハウさんは元々はグラフィックデザイナーをしていたが貯金を注ぎ込み1年前に店をオープン。ミハウさんを日本へご招待。
三重県の日本随一の昭和家電を所有する冨永さんの元へ。昭和家電や日用品の数は2万点以上。魔法瓶は熱湯を入れても魔法のように冷めない。昭和42年に初めて花柄の魔法瓶が発売された。2020年象印が花柄の魔法瓶を復刻販売した。大正9年発売の扇風機を紹介。和室と洋室が混在し座る高さに合わせて扇風機の高さも変えられる。ラジカセは昭和40~50年代の若者の必須アイテム。
ラジオとカメラが一体となったラジカメは昭和50年代に発売。昭和47年、松下電器がテレビでは世界初の赤外線リモコンを搭載したテレビを発売。日本初の光リモコン搭載のテレビは光の量が多い方に反応し光が多い方に自動でダイヤルを回す。てれ・ほん11はテレビと電話の合体家電。テレビを観ている際に電話がかかってくると自動でテレビのボリュームが下がる。
スナック3はホットミルク・目玉焼き・トーストができる1台3役の調理器具。時間差でセットする必要があり調理に付きっきりにならないといけない。
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- スナック3
ドライブイン山添(吉田屋)は昭和40年創業。ドライバーや地元の客で満席の人気店。
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- ドライブイン山添 吉田屋
中華そばを注文。冨永さんはリサイクルショップで見つけた振り子時計がきっかけ。
静岡県熱海市を訪れた。鈴木さんが扇風機を譲ってくれるという。基本給1万円の時代に12500円で発売された。職場の電器店で夫と出会い夫が扇風機を注文した。お祝いとして赤飯と手料理を用意してくれた。冨永さんはミハウさんにランプを贈った。
シャープ製のステレオダブルカセットはテープが再生されずメーカーでも修理が困難。昭和家電をよみがえらせる神業を持つ職人、大場さんに会いに行った。骨董&リサイクルショップKatsuには昭和30年前後の家電などが1万点近くも。昭和34年製のテレビは映像が映らず原因を調査中。昭和30年頃は基本給は約6000円でテレビは1台約10万円。修理して使い続けることが一般的で、街の電気屋はメーカーから提供される回路図を持ち家に訪問し修理を行った。水で洗い流すことで接触不良の原因となる埃や汚れを取り除く。部品は約20年で1万近くをストックしている。テレビは直り地デジチューナーをつければ地上波も受信可能。
テープが再生できないラジカセを見てもらう。大場さんが修理しているものは昭和30年代のもの中心でいつものものより30年新しい。テープを送るゴムベルトは問題がないが、テープを再生するための動作が不安定だった。グリースは部品が滑らかに動くように塗られている潤滑油で、放置すると埃と混じり固まる。固まったグリースを灯油で溶かし組み立て直すと再生できた。
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田口商店KEYAKIを訪れた。太陽にほえろ!のレコードを購入した。
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- 太陽にほえろ!田口商店KEYAKI
ジェシカさんはいなり寿司を愛するアメリカ人。18年前に他界した日本人の祖母との思い出の味という。ジェシカさんはいなり寿司を作った。日本にご招待が決定した。
ジェシカさんは八千穂寿司を訪れた。いなり寿司は1日3000個以上を売り上げることもある。いなり寿司を試食した。
ジェシカさんは八千穂寿司で実際にいなり寿司作りに挑戦した。油揚げはお湯に浸す。揚げの油分が抜け味が染み込みやすくなる。味をつけ常温で半日冷まし味をなじませる。シャリには酢を回しかけ切るように混ぜ合わせる。漬け汁を染み込ませ米をほぐし均一の味にする。閉店後もジェシカさんは練習した。
法廷のドラゴンの番組宣伝。
八千穂寿司には眞鍋かをりも訪れていた。バジルいなり、炙りコショウいなりなどを紹介。
ジェシカさんからのビデオレターを見てもらった。ジェシカさんは引っ越し、森も買ったと話した。
ジェシカさんはもっと多くの人にいなり寿司の魅力を届けたいと思っていると話した。来年新婚旅行で日本に行く予定という。
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世界!ニッポン行きたい人応援団の次回予告。