- 出演者
- 眞鍋かをり 大塚芳忠 高橋茂雄 織田信成 木全翔也 福留光帆
アメリカ人のジェイデンはアルバムの持ち主を探したいと番組に応募。スタッフが詳しい話を聞くためジェイデンさんのもとへ。やってきたのは沖縄・北谷町。ジェイデンさんは夫のケンさんと二人暮らしをしている。ケンさんはアメリカ空軍に所属し以前はドイツの米軍基地で勤務し23年11月沖縄へ移住。夫婦揃って日本文化が大好きで米軍基地内で暮らさず、一軒家の賃貸を借りている。
問題のアルバムはルクセンブルクで見つけたものだという。ドイツからルクセンブルクに旅行中にアンティークショップで見つけたもので「私は過去を絶対忘れない」と書かれていて、持ち主に返してあげたい花植s。店員もアルバムの仕入れ経緯は不明だった。2023年7月、日本好き外国人が運営するサイトに相談するも手がかりはなかった。そして沖縄に来てから1年7か月間も情報を求めるが手がかりがない状態だった。2025年8月、友人から外国人の夢を叶えてくれる番組があると「世界!ニッポン行きたい人応援団」を教えてもらい、ビデオレターを送ってくれた。捜索を急ぐ理由があと2年しか日本に入れないためだという。
まずはアルバムの日本語を一緒に確認する。中には「玉川大学図書館」や「玉川学園」など文字などが確認された。玉川学園に問い合わせるが個人情報のため情報提供はできなかった。そこで町田市へと向かった。玉川学園で働いてと書いてあったことから付近のお店で聞き込みをしてみることに。立ち寄ったお店で写真の人物の一人を知っている女性に遭遇。集合写真の中心にいたのは玉川学園の創立者である小原國芳と判明。駅の反対側の商店街のほうが古い店が多くあると教えてもらった。ちなみに立ち寄ったのは飲食店「ティールームファインエステート」で店主の小笠原直樹さんのオススメは夏季限定メニュー「スイカホイップ」でケンさんたちが試食した。
続いて尋ねたのは玉川学園前駅・北口にある「美容室From JE」。
ルクセンブルクで見つけた日本人のアルバムを返したいジェイデンさんとケンさん。玉川学園前駅の美容室で聞き込みをすると昭和38年に撮影したものがあり、そこから持ち主の女性は現在80歳以上と推測される。教えてくれた女性の友人はいるがみなボケているや近くの八百屋が古いなど教えてもらった。
捜索2日目、美容室で教えてもらった老舗の八百屋へやってきた。店主の荒井さんからは情報が出てこなかったが近くの理容室「カットスペースモンド」の高橋さんに話を聞くと玉川学園の元教師の勝川さんならなにか知っているかもと教えてもらい、電話番号を教えてもらった。お礼に沖縄のナッツや番組のシールをプレゼントとした。
ハマっていることについてトーク。木全翔也さんは編み物にハマっていて、元々ファッションが好きで自分でニット帽編みたいなってとこから始めたという。福留光帆さんは3年くらいボートレースが好きで、去年はお金しこたまいかれたと明かした。
ルクセンブルクで見つけた日本人のアルバムを返したいジェイデンさんとケンさんに密着。教えてもらった勝川さんについて協力が難しい状態だという。捜索3日目、隣の町田駅でも捜索。4日目には1919年創業の丸屋精肉店や創業57年のマルヤ製菓など訪問するも2日間、町田で捜索したが手がかりを得られず。
捜索5日目、捜索のため1週間の有給を取得のため2日後には沖縄に戻られなければならない。そんな2人のもとに小野武彦さんがやってきた。小野さんは三谷幸喜作品など舞台やテレビに多く出演している。理髪店モンドで聞き込みの際、小野武彦さんが玉川学園に通っていたとモンドで教えてもらい、ジェイデンさんたちの思いを伝えたところ快く協力してくれる事になった。やって来たのは小野さんの行きつけである「おかはん」。そこでアルバムと小野さんが持っている写真を見比べてみると同じ先生がおり、年齢が何年も経っていないこと修学旅行の写真から小野さんの1期下と推測。そこで小野さんの1個下の友人に聞いてみる。連絡してもらい後日会うことに。
捜索7日目、東京で捜索できる最終日。「シュベール 成城店」で小野さんの友人であるまさこさん達と待ち合わせ。アルバムを見てもらうと「あんこちゃん」だと思うと話す。持ち主は「川口厚子」と判明。厚子さんとLINEでみわこさんがつながっているということで電話。厚子さんは長野・蓼科にいてしばらく帰れないという。すると川口さんがジェイデンさんと電話したいと話す。アルバムについて結婚する時に残っているものは妹に捨てていいよと言っており、その時に処分さられたと思われると明かした。アルバムは後日番組が届けることになった。
2週間後、アルバムの持ち主である川口厚子さんこと田熊厚子さんに届ける。小原國芳先生について「オヤジ」と呼んでいたや高倉健が好きであるなど話した。60年以上前の写真はデータしか持ってない状態のため余計に嬉しいと話した。そしてジェイデンさんたちにお礼のメッセージが送られた。
2025年8月、初来日したのはマツリ・バルセロナでどら焼きを愛するマリアさん。どら焼きは世界で大ブームとなっている。マリアさんがどら焼きを始めて知ったのはドラえもんがきっかけでグラフィックデザインの仕事を辞め、料理学校に入学。そしてどら焼きについて15年間週3回作るほど独学で没頭しているが日本には行ったことがないという。好きが講じてレシピ本を発行している。どら焼きを作るが水煮されたものしか手に入らず、ニッポンで1からあんこを作りたいと話す。そして、ニッポンの職人から合格をもらえたらスペインでどら焼き教室を開きたいと話す。
マリアさんがやってきたのは「うさぎや」。来日前、東京の名店「うさぎや」で伝統的などら焼きを食べてみたいと話していた。うさぎやは1913年に創業。池波正太郎が贔屓にしていたのがどらやきで亀十や草月をあわせ東京三大どら焼きに数えられ、1日約1万個売れる。どら焼きは地下の工場からすぐに店頭へならぶ。そんなマリアさんにうさぎや四代目の谷口拓也さんがやって来た。どら焼きの原型とされるのは餡に生地ダネをつけて焼いたものとされる。
マリアさんがやって来たのは三鷹市にある1939年創業の「末廣屋喜一郎」。店の名前になっている二代目の笠岡喜一郎さんはピエール・エルメと並んでレシピが紹介されるほどの腕利き和菓子職人。使用している豆は大納言小豆で極限まで皮を潰さない煮崩し餡で、一般的な小豆と比べ約2.5倍の値段となっている。また生地は今も1枚1枚丁寧に焼いているため一度に200個しか作れない。そのため完成まで4日間かかる。今回そのどら焼き作りにマリアさんが学び、1人で挑戦する。
通常の小豆は煮ると割れやすいが大納言品種は割れにくく風味が残りやすい。まずは水洗いをする。するとマリアさんは映画「あん」のワンシーンを思い出して涙する。水洗いをした小豆は翌日の朝まで浸けておく。2日目、水分を吸わせた小豆は2倍の大きさに膨らむ。その後ちゃんと水を吸っている小豆、吸っていない小豆を仕分け茹でる。苦みなどを元となる渋切りを2回行うことでアクと共に雑味が抜ける。小豆に甘みをつけるのに使うのは氷糖。エンマ棒でかき混ぜるような動きはせず、なるべく掬ってどかしてあげる。その後一晩蜜漬けをする。3日目、火にかけ餡を練って気温や湿度で練り加減を調整を手を止めず約1時間 練り続ける。餡をもう一晩寝かせる。続いて生地を作る。
マリアさんが笠岡直道さんやいとこなどに歓迎会を開いてくれた。マリアさんがどら焼きを知ったきっかけは「ドラえもん」であると話、ジャイアンがスペインだと「ジェガン」、スネ夫は「スネ夫」と呼ばれているなど話した。
この日様々などら焼きを見てみたいと大塚へとやって来た。2022年語呂からは「あんバター」がブームとなりどら焼きでも定番となった。千成もなか本舗では目の前で焼き立てを販売しており、1日300個以上を売り上げている。使用されているバターはカルピスを作る工程で生まれるクリームを使用した特製バター。1912年創業の大角玉屋の大角さんはいちご大福を作り大ヒット。そのいちご大福に次いで人気なのがどら焼きで、生地を日本酒の「酒蜜」に浸している。京都市「笹屋伊織」では仏教で禁じられている卵などの材料は不必要な「代表銘菓 どら焼」が毎月30日間の限定販売されている。
マリアさんがどら焼き作りに挑戦する。生地は新鮮な卵白は空気を抱えやすくふっくら生地になる。また卵は近くの吉野農園でストレスが少ない鶏から取れた卵を使用する。上白糖・水飴で甘みを加え、隠し味として0.6%の醤油を加える。そして1枚ずつ手焼きを行う生地に気泡が出始めたら裏返す。焼き上がったら焼印を押し、餡詰めをしたら完成となる。
マリアさんがどら焼き作りに挑戦する。小豆の選別に餡の練り上げなど2時間の特訓を行った。生地も上手と褒めてもらえるほどになる。
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- 井の頭和菓子処 末廣屋喜一郎末喜どら焼き
マリアさんがどら焼き作りに挑戦する。完成したどら焼きを試食。美味しいと合格の評価となった。そしてお別れの時、生地を作る時に使用するチャッキリがプレゼントされた。
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- 井の頭和菓子処 末廣屋喜一郎末喜どら焼き