- 出演者
- 薬丸裕英 峰竜太 渡辺えり 山田五郎 井ノ原快彦 中原みなみ 薬丸裕英 八塩圭子 渡辺えり 大江麻理子 須黒清華 山田五郎 伊集院光 磯村勇斗 池田美優 片渕茜 中原みなみ
上野東照宮の横にある売店で出会った見たことのないメニューが、カレーそうめん。カレーがかかったそうめんをフォークで食べる。パンダをイメージしたパンダそうめんもある。
渋谷の1995年と2025年のウィメンズコレクションを紹介した。
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- 渋谷(東京)
渋谷の1995年と2025年のメンズコレクションを紹介した。
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スタジオトーク。磯村勇斗は、今はミックスされて色んなジャンルがあると思うなどとコメントした。
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- 渋谷センター街
現在表参道ヒルズが建つ場所は、2003年まで同潤会青山アパートがあった。渋谷ヒカリエの場所には、かつて東急文化会館があった。千葉・船橋市のIKEA が建つ場所に2002年まであったのが、屋内SSAWS。近年再開発が進む日本橋で、現在COREDO日本橋が建つ場所に26年前に出没した時は東急百貨店 日本橋店だった。前身は寛文2年から続く呉服店で、336年の歴史に幕を下ろそうとしていた。
神田司町のみますやは、明治38年創業で東京で2番目に古いと言われる酒場。肉豆腐やどぜう丸煮、こはだ酢が名物となっている。名酒場が密集していたのが京成立石。渋い酒場が揃い、グルメにも一目置かれた。立石の名酒場の一つが江戸っ子で、立石の関所と呼ばれここを避けては通れなかった。名物は立石の弥勒菩薩こと紀子ママ。もつ煮は白味噌仕立てで紀子ママのお手製となっている。立石は今再開発で様子をガラリと変えている。北口の飲み屋街が消滅している。江戸っ子も2年前に閉店し、解体された。南口に去年、ご縁球がニューオープンした。店主は江戸っ子で10年間串焼きを任されていた。向かいにあるカラオケ居酒屋絆には、紀子さんがいた。江戸っ子閉店後に始めたという。ママのもつ煮も復活している。
1998年の横浜本牧の会員制バー・LA-JOYのマスターはハマチャチャの名手と言われたレジェンド。2004年の白金では白金ダンステリアにお邪魔した。出会ったのが、ソウルステップの神様と呼ばれ、DJとしても活躍したニック岡井さん。横浜馬車道で慶応2年から続く信濃屋は、日本で最初の洋品店といわれている。顧問だった白井俊夫さんは日本にイタリアのファッションをいち早く伝えたレジェンド。赤坂のレジェンドは赤坂芸者の育子さんとニューはるの春駒ママで、2人は半世紀にわたる盟友。
30年前、二子玉川ライズの場所にあったのはナムコ・ワンダーエッグというテーマパーク。その後は、いぬたま・ねこたまという動物と触れ合えるスポットも登場した。2008年に出没した蔵前といえば、おもちゃの街。12年後、廃業した工場や倉庫がリノベーションされ、おしゃれなカフェやショップが次々と誕生。蔵前は今や東京のブルックリンと呼ばれている。横浜黄金町には、24年目で初出没できた。かつての黄金町は、横浜の暗黒街と呼ばれ、違法風俗がはびこる怪しい街だった。地元住人と警察が立ち上がり、バイバイ作戦を決行。違法風俗店の一斉摘発が行われた。今はクリーンな街へと生まれ変わった。若手アーティストがアトリエとして活用している。
過去に薬丸さんが番組で紹介した名物を振り返る。1998年に小伝馬町の武道具店で見つけたのは剣道のお面キーホルダー。薬丸さんのプレゼンによって2000個売れたといい、現在でも販売しているという。2000年に千葉・木更津市の小川漁網商店で見つけたのは御身あらい。漁網で作られたボディタオルで、現在はカラーバリエーションを増やして販売されている。紹介された翌日に2300個売れたという。そして新商品「あみ将軍」も発売。ねじり具合によって硬さが変化し、洗う場所によって硬さを調節できるという。
番組のカメラが捉えた未来のスターの映像を紹介。1995年に下北沢のライブハウス「SHELTER」では「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」がライブをしていた。1998年には今はなき横浜松坂屋の前で「ゆず」が路上ライブをしていた。2006年に町屋では親子で野球の特訓に励む当時11歳の鈴木誠也選手がみられた。2008年に神谷銀座の駄菓子屋「みつや」ではテレビデビュー前のみちょぱさんが映っていた。
9位 街が生んだブーム。東京都の原宿。1998年、裏通りを目指す若者たち。裏原ブームだ。2000年には神楽坂。パラパラブームを牽引したTWINSTARがあった。2005年の秋葉原。萌えブームだった。あっとほぉーむカフェがあった。ギャルの究極形態がある。2004年の渋谷センター街。ガングロ、タヌキメイクがブームになった。マンバの教祖はかぁ~たん。15年ぶりにたずねてみた。大人の女性になっていた。お仕事はトラックドライバー。実家が重機のリース屋さんをやっていた。2児の母だ。周りの目を気にしない自由さがあったという。反骨精神だったのだろう。世の中に石を投げつけるようだと渡辺えりさんがいう。用意されたレールには乗らないという意気込みがあったと井ノ原さんが言った。
8位 再開発 BEFORE AFTER。横浜みなとみらいは人気観光地。29年前は、まだ開発途中で空き地だらけだった。汐留の30年前は、遺跡発掘調査中。ゆりかもめが開通したばかりだった。仙台藩の屋敷跡などが発掘された。現在はテレビ局がたっている。麻布台の郵政省飯倉分館があったあたりには麻布台ヒルズがある。再開発さらても変わらない場所もある。東京ミッドタウンのある場所はかつて米軍の施設。防衛庁本庁によりそうようにしてあったGeorge’s。伝説のソウルバーだ。一度閉店になったが、すぐに復活。JUKE BOXもあるという。
7位 街の名曲。1998年にはロス・インディオスがコモエスタ赤坂を歌う。1998年にはBOROが大阪で生まれた女を歌ってくれた。消えた風景を名曲でプレイバック。三田には古い町並みが残っていた。ザ・ワイルドワンズの鳥塚しげきさんが、ふるさとの歌をアレンジし、歌ってくれた。いまは地形も変わっていると伊集院さんが言う。
2005年の堀切菖蒲園。朝、駅から大きな荷物を背負ってでてきたのは行商のおばちゃん。千葉の佐倉から京成線でやって来て、いつもの場所で開店。自分の畑でとれた野菜や自家製の漬物を売っていた。他にも、街頭での実演販売や、横丁の流し、紙芝居屋さんなどこの30年で見なくなった。2006年の新浦安。かつて漁業が盛んだったこの街で見つけたのがむきこさん。ハマグリなどの貝をむくからむきこさん。浦安で貝がほとんどとれなくなりむきこさんを見ることも徐々に無くなった。1997年、夜の銀座で出会ったのが花売りの女性。このときすでに貴重な存在だった。木村さんはお客さんを店まで案内し一束1000円の花束を買ってもらっていた。そして今も銀座には、最後の花売り木村さんの姿が。12歳の時にこの仕事を始め、この仕事で娘を育て上げた。体が続く限りやっていたいという。2004年の蒲田、アドバンストヘアー ナカタニには理容界のカリスマがいた。代表の中谷さんは、全国理容競技大会の元日本チャンピオン。彼が得意とするのはクラシカルバックスタイル。そこで当時のADがカットをお願いした。頭頂部を水平にセットするのが一流の証だという。
横浜・日ノ出町に渋いホルモン焼きの名店が残っている。今どきの排煙ダクトがない「がま親分」では、真っ黒な七輪から煙がもっくもく。煙がすごすぎて天井や壁も真っ黒。壁のサインは誰のものか判別不能。名物はニンニクと特製ダレにつけたガーリックハラミ。
JR鶴見線のガード下に人気の店「レストランばーく」がある。ご主人はとにかく豪快で、もはやフライパンがまな板代わり。切れ目を入れただけの玉葱を大量に炒め寸胴のなかへ。こうして作った自慢のデミグラスソースをかける名物メニューがハムカツ。分厚いハムカツ4枚で400g。ハーフサイズもある。
荒川線が走る北区滝野川。商店街の路地裏に、完全紹介制で1か月に10組限定という店がある。政財界の重鎮や各回の著名人がお忍びでやってくるという焼肉店「基順館」。店主が書いたコースのメニューは、なんともポップでキュート。メインは店主がこだわり抜いた牛肉。赤身でとろみのある肉をどうしても作りたくて、オーストラリアやアメリカ、ニュージーランド、日本の業者に頼んでこの肉の種牛を作ってもらったという。牛ヒレ肉をまるごと炭火で焼いたら、手づかみで食べるのが流儀。
アド街が300回を迎えた記念すべき2001年の回。愛川欽也が故郷・巣鴨に凱旋。時には自ら街にでた宣伝部長。天候にも恵まれ街を存分に楽しんだ。しかし2代目宣伝部長が出没すると、強風が吹き、大雨になり、相模湖でアスレチックに挑戦すると突風に阻まれた。知床半島では雄大な景色をバックに熱唱のはずが、何も見えなかった。2019年に出没した千葉・成田では、地元農家にお邪魔した。当時94歳の澤田さんが栽培した唐辛子で作る七味唐辛子が、直売所などで大人気になっていた。2年前に99歳でご逝去。現在はお孫さんが中心となり七味づくりを引き継いでいる。