- 出演者
- 池田伸子 伊藤海彦 志賀隼哉 田中美都
オープニング映像。
オープニングの挨拶と本日のラインナップ紹介。
本日の募集テーマは、「衰えない情熱 衰えた情熱」。相澤祐子は、何をするにも年だからやめとこうかなという考えはしないように心がけていると話した。
現在の宇都宮市のようす。関東は午前中から雨で、この後一旦止んでもまた強まって激しく降るところがありそうなので注意が必要。
- キーワード
- 宇都宮市(栃木)
今日この後と今後1週間の全国の天気を伝えた。
小谷実可子さんソウル五輪・当時のシンクロナイズドスイミングソロで銅メダルを獲得し、田中京さんとのデュエットでも銅メダルを獲得したことで知られる。田中さんは今も情熱を持ち続けているという。
ソウル五輪 シンクロナイズドスイミング銅メダリスト・小谷実可子さんは一度現役を退いたが、マスターズ大会が日本で開催されたのをきっかけに4年前現役復帰。58歳にして競技に取り組んでいる。競技団体や統括団体などで重責を担う他、2人の娘の母親でもある小谷さんが現役を継続するのは簡単ではないが、自分の変化、進化が感じられるのは喜びだと語る。目標は7月にシンガポールで開催されるマスターズ世界選手権。小谷さんは4種目に出場予定。チームの結束力を高めるため行われた忘年会も技術の議論の場に変わるなど真剣勝負の信念が見られた。小谷さんは目標があれば50歳過ぎてからが楽しいと言われたが、還暦を迎えることが楽しみになる自分は想像していなかったと振り返った。目標はマスターズ4冠という。
58歳になっても競技への熱を持ち続ける小谷さん。「自分の変化 進化が感じられることがうれしい」「還暦を迎えることに対して楽しみになる自分は想像していなかった」「50代は人生の折り返し地点ではなく 次のステージへのステップアップの時間」と老いにも前を向く様子を見せていた。伊藤さんはサッカーでは三浦知良さんが58歳になっても元気な姿を見せていると紹介。競技団体や統括団体は10以上の役職をこなしつつ、後進の始動に当たりながら、自らもマスターズに向けて鍛錬を積む姿を見せている。整体や温泉などで隊長を管理しつつ、オンライン会議の際はアイシングケアを行っているのだという。持井俊哉記者は小谷さんへの取材について、目標に向かって努力する姿は多くの人の元気や勇気に繋がると振り返った。フィギュアスケート・アルベールビル五輪に出場した伊藤みどりさんも、往年の選手のために行われる国際アダルト競技会という大会に向けて練習に励む様子を見せるなどしている。
筑波大学発のベンチャー企業で車椅子の生活を変える研究開発が進んでいる。立つことのできる車椅子Qolo。幅は55cmで小回りも効く。社長は筑波大学卒業生の江口さんは生体力学をまなび、学部生の頃から開発に取り組んできたが、モチベーションの一つに、骨折で車椅子生活になった祖母の存在があった。大学病院で試乗会が行われ、作業しやすい設計にしてほしいとの要望を受けた。リハビリの医師は健康面でもメリットがあると話す。すでにQoloの技術を試験的に取り入れた病院もある。江口さんは今後も研究を続ける。
江口洋丞さんの優しい気持ちが乗った研究開発だった。
- キーワード
- 江口洋丞
記録的短時間大雨情報は、危険な大雨が降っていて、災害の警戒を呼びかける情報。発表の基準は概ね100ミリ前後。記録的短時間大雨情報が怖いのは災害との関係が強いため。九州北部豪雨では時間雨量が最大129.5ミリを記録し40人が死亡。専門家は海面水温の上昇により積乱雲が線上に発生し、同じ場所に大雨をもたらす。すでに災害が発生している時に行動するのは危険がともなう。家の2階以上、少し余裕があるときには鉄筋コンクリートの建物への避難を。
神奈川にある大山では19年間ボランティアで山頂まで物資を運んでいる北樋口康さんがいる。運んだ物資は山頂の茶屋で販売されている。大山阿夫利神社から山頂までは標高差580m。3時間をかけて運ぶ。この日運ぶのは合計68kg。これまで2000回以上運んできた。きっかけはトレランで大山を訪れたときに、荷物を運んでいたお茶屋さんの主人に会い、頼み込んだ。山に向け、平日はトレーニングを欠かさない。最も重点的に鍛えるのが心肺機能。当初30kgだった荷物は85kgにまで増えた。北樋口さんは「歩荷が好き」と語った。
北樋口康さんは「65歳までは今の重さを運びたい。より長く運ぶために体づくりをしたい」と話す。
- キーワード
- 北樋口康
去年90歳亡くなった堀田力さんの生涯を紹介。東京地検特捜部の元検事で、ロッキード事件で、捜査の中核を担い、田中角栄元首相の有罪を立証した。担当した事件をもとに小説も執筆。建設業界の汚職を描き、ドラマ化もされた。検事を辞めた後は、福祉の世界に飛び込んだ。昭和9年、京都府に生まれた堀田力さん。23歳のとき、大阪府議会議員が汚職で摘発されたことをきっかけに、検事を志した。昭和36年、検事に任官。その後32歳で、大阪地検特捜部に抜擢された。ニューヨーク地検特捜部に派遣され、汚職捜査を学ぶなど、国際的な経験を積んだ。帰国の翌年、昭和51年に発覚したのがロッキード事件。アメリカのロッキード社が日本に航空機を売り込むため、政府高官に多額の賄賂を送ったとされた。堀田さんは、贈賄を示す資料を手に入れるため、アメリカ司法省などとの重要な交渉を担当した。粘り強い交渉が実を結び、資料の入手に至った。堀田さんは、田中元首相の公判も担当し、有罪判決につなげたが、事件の全容解明に至らなかったことは心残りだったという。その後、法務省の官房長を務め、将来の検事総長候補と言われるも、定年を前に退職し、福祉の世界へ。私費を投じ、さわやか福祉推進センターを設立。ボランティア活動の普及に力を尽くした。ボランティア活動をした時間をため、将来支援が必要になったときに引き出して使える「ボランティア切符」という仕組みの普及に取り組んだ。全国各地のボランティア団体をつなげ、互いに切符を使えるようにできないかシステムづくりを目指した。堀田さんは、自分が人から必要とされているという思いほど、生きる力や喜びを呼び起こすものはないなどと語っていた。
堀田力さんは社会や世の中の疑問にまっすぐ取り込んだ。
- キーワード
- 堀田力
「クローズアップ現代」の番組宣伝。
「クイズ 本当にあったことです!」の番組宣伝。
「日本最強の城スペシャル」の番組宣伝。
「ひとりでしにたい」の番組宣伝。