- 出演者
- 伊藤隆佑 村瀬健介 國本未華 日下部正樹 山本恵里伽
オープニング映像。
ガソリン税の暫定税率を廃止する法案はきのう衆議院を通過し、きょうは参議院の財政金融委員会で質疑が行われたが、自民党の三宅委員長は委員会を「散会」としたため野党側が求める法案の採決は行われないことになった。これを受けて野党側は三宅委員長の解任決議案を提出したが、与党が多数を占める議院運営委員会は取り上げないことを決めた。野党側は法案をめぐる協議をこの後も続けたい考えで、会期末をあすに控えぎりぎりまで与野党の攻防が繰り広げられている。
ロシアのプーチン大統領はサンクトペテルブルクで行われた国際会議で演説し、「ロシア領内への攻撃を防ぐためだ」として緩衝地帯を設ける考えを示していたウクライナ・スーミ州について、州都・スーミを占領する可能性に言及した。プーチン氏は「ウクライナの主権を認める」としながらも、「ロシア人とウクライナ人は同じ民族だと考えている。この意味では理論上、ウクライナ全土は我々のものだ」との主張を展開した。ウクライナのシビハ外相は「領土のさらなる占領とより多くのウクライナ人を殺害するための計画だ」と反発している。
サンクトペテルブルクで行われた、プーチン大統領肝いりの国際会議。「ロシアのGDPはこの2年間年4%以上で成長している」と演説で強気の姿勢をみせたプーチン氏は、戦時経済の減速も指摘される中「最重要課題はバランスの取れた成長への移行だ」と強調した。インドネシア大統領や中国副首相らも登壇し、アジアやグローバルサウスとの連携をあらためてアピールした。一方これまでとは異なる動きも。会場の一角ではロシアとアメリカのビジネス対話が開かれ、トランプ政権となったアメリカとの関係改善を探る動きの一環とみられる。プログラムは非公開だったが、米露双方の主催者によるとAI(人工知能)や北極圏開発などでの協力について意見交換がされたという。侵攻の終りが見えない中、具体的な経済活動につながるかは不透明。
参院選の前哨戦と位置付けられる東京都議会議員選挙は、あす投開票が行われる。42選挙区の127議席をめぐり、平成以降で最多となる295人が立候補している。焦点の一つは、小池百合子都知事を支える自民党、都民ファーストの会、公明党の「知事与党」が過半数を維持するか。共産党と立憲民主党は一部の選挙区ですみ分けを行っていて、議席の上積みを目指している。国民民主党や再生の道は、都議会で初めての議席を獲得できるかが焦点。日本維新の会、東京・生活者ネットワーク、参政党、れいわ新選組、社民党、日本保守党からも候補者が立候補している。東京都選挙管理委員会によると期日前投票を行った人はきのうまでに125万2376人で、前回の都議選の同じ時点と比べると1.26倍、約25万人増えた。投票はあす行われ、即日開票される。
ドジャースタジアムでドジャースとナショナルズが対戦。1番指名打者で出場した大谷翔平はきのうのデッドボールによる体への影響が心配されたが、試合前にはブルペンで20球投げ込むなど元気な姿を見せた。試合では第3打席にチャンスでタイムリーヒットを打ち、4試合ぶりの打点をマークした。
今回開示された文書の中には財務省から赤木俊夫さんなど近畿財務局に宛てたメールが多く存在する。2017年2月22日の財務省からのメールに「廃棄」という言葉が登場する。2月24日共産党の宮本議員が質問、財務省の佐川理財局長(当時)が答弁した。2月26日午後3時のメールから文書の改ざんが始まったことがわかる。更に財務省は削除する部分を指定、その部分は森友学園の籠池理事長(当時)が近畿財務局に安倍昭恵氏との写真を示し昭恵氏から「いい土地ですから前に進めてください、とのお言葉を頂いた」との記述が含まれていた。俊夫さんは休日出勤させられ改ざん作業をさせられた。開示文書の中には国会の議事録も含まれ佐川氏が記録が残っっていないと答えた部分には誰かが驚きを示すマークをつけていた。俊夫さんは当初から改ざんに抵抗しており、亡くなったあと弔問に訪れた統括官は涙を流しながら抵抗していたと話している。開示された文章の右上には手書きで通し番号がふられているが抜け落ちているものがあり国会でも追及された。先月開示されたリストによりその欠落部分の外概容が明らかになった。そんな中財務省の職員から妻・雅子さんに直接手渡されたのが俊夫さんのノートだった。文書の廃棄・改ざんが俊夫さんを追い詰めていった。
改ざんされた文書で会計検査院と向き合わざるを得なかった近畿財務局元職員の赤木俊夫さん(享年54)。当時の手帳からは激務が続いていたことがわかる。改ざん後の不安や葛藤が伺える記述もある。俊夫さんの笑顔が消えノートは6月23日の記述で終わっている。俊夫さんがパソコンに残していた手記には「元はすべて佐川理財局長の指示です。抵抗したとはいえ関わってきた者としての責任をどう取るかずっと考えてきました。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。」と残されていた。手記を残し2018年3月7日俊夫さんは自宅で亡くなった。妻・雅子さんが訴えた裁判の法廷に佐川氏は一度も姿を見せず佐川氏個人の賠償責任は認められなかった。
今回開示された文書は赤木雅子さん自身が戦ってきたからこそ明らかになったもの。雅子さんは家族の死の理由を知りたいだけなのに俊夫さんが亡くなってから7年も経っている。安倍首相が亡くなった後裏金問題などもあり旧安倍派の勢力が大きく削がれた後にようやく公文書が開示された。
沖縄・宜野湾市にある佐喜眞美術館には「沖縄戦の図 久米島の虐殺(丸木位里、丸木俊・作)」という絵が展示されている。80年前、日本軍の兵士が久米島の島民をスパイとみなし、女性子ども問わず虐殺した。いま久米島では彫刻家の金城実さんが後世に伝えるためレリーフに向き合っていた。地元の子供達が作っているのは亡くなった20人と同じ数の「野仏」。金城さんがかつて作った作品の中には殺されようとしている母親が、殺されてしまった息子を抱き上げようとしている姿を描いた「昭和20年8月20日」という作品もある。この日を迎えるまで、一体久米島に何が起こったのか。
当時、山の頂上にいた日本軍のことを久米島の人は「山の兵隊」と呼んでいた。島民の1人である上江洲教昭さんは、山の近くに住んでいて「山の兵隊に守ってもらえる」と自慢していた友人がうらやましかったという。しかし、新たな隊長である鹿山正兵曹長の着任によりその空気が一変した。22年前に取材に応じた島民の1人、本永昌健さんは彼が演説している姿を見たときの出来事を証言した。1945年6月13日、米軍の偵察隊が久米島に上陸。その過程で島民3人を拉致した。拉致された10代の少年が日本兵の人数や装備について証言した様子が記録が残っている。鹿山は、島民に対し拉致された3人を「スパイ」と認定し、帰ってきたら家族や一般住民に至るまで接触することを禁じ、軍に報告するよう通達を出した。鹿山の舞台にいた島民の1人、中原善助さんの手記の中で、拉致されて戻ってきた青年と鹿山とのやりとりが記録されていた。
1945年6月26日、米軍が久米島のイーフビーチから上陸した。翌日、米軍から依頼され降伏勧告場を届けた男性が鹿山隊によって銃殺された。29日、先に米軍に拉致されていた青年をはじめ、家族ら8人も惨殺された。22年前に取材に応じた新垣とみさんは、その現場の様子が今も忘れられないと証言した。9人は銃剣で突き殺され、収容していた家屋ごと燃やされたという。事件を書き残した仲原さんの手記には「残忍極まる行為である」と記されていた。かつて村長を務めていた吉川智改氏が記した「1945年乙酉年日記 久米島戦争記」には鹿山隊によって翻弄される久米島の人々の姿が記されていた。鹿山は山を降り家に帰るものは米軍に通じるものとして殺害すると住民を脅迫し、米軍は山を降りなければ日本軍とみなすと通告してきていた。
久米島の住民が避難する壕を周り、家に戻るよう説得する人が現れた。仲村渠明勇さんはアメリカ軍の艦砲射撃計画を知り、島の事情を知って攻撃をやめさせる代わりに案内役を務めていた。22年前の取材には。当時の島民の1人だった佐久田直広さんが仲村渠さんの呼びかける言葉を覚えていたと証言した。仲村渠さんの甥の上州智けんさんも早く家に戻るよう促したおじの声がまだ耳に残っていると話していた。こうした行動に対し、日本軍の視線は厳しく、仲原さんの手記には彼を早く殺さないといけないと隊の中で話されていたことが記されていた。新垣照子さんは仲村渠さんが助けを求めてきたときのことを証言した。8月18日、仲村渠さんは妻と子供とともに隠れ家で殺害された。甥の上州さんや仲村渠さんの妻の妹、佐久本ツル子さんも殺害された現場の話を聞いていた。さらに佐久本さんは島の人の中に、日本軍に居場所を密告するような人がいたと話していた。
昭和20年8月20日、朝鮮出身の谷川昇さん一家7人がスパイとみなされ殺された。上江洲由美子さんによると、谷川さんの長男が熱を出し、米軍から薬をもらったという情報が通報されたのではないかと証言した。本永さんは鹿山隊が谷川さんの家に向かう様子を証言した。上江洲由美子さんは、近所の住んでいた人から谷川さんが惨殺された時の様子を戦後になってきいたという。谷川さんの長男と友人だった上江州教昭さんは谷川さん一家殺害に島の人が関わったことについて「恥だと思っている。和夫が殺された恨みもあるし、絶対許せない」と語っていた。上江洲由美子さんの一家も殺害の大賞リストに上がっており、9月9日に実行される予定だったという。しかし、その2日前、鹿山隊は米軍の武装解除に応じ、久米島の戦争が終わった。
被害と加害が微妙に絡み合うため、長く久米島では虐殺を語ることが長く避けられてきた。しかし、沖縄が日本に復帰する直前の1972年4月2日号の「サンデー毎日」でこの虐殺事件が明るみに出た。そして鹿山と事件の遺族がテレビ番組の中で相まみえることになった。「泣き叫ぶ子ども葉真たちまで犠牲になったのか」「謝罪するかと思えばお前の言い方はなんだ。沖縄の自衛隊もお前みたいなことをせんかと思ってみんな反対しているんだ」などという遺族からの訴えに対し、鹿山は「軍人としてとった措置の責任は指揮官として全部負いたいが、私の軍人としての信念は変わらない」と述べた。
沖縄国際大学名誉教授の石原昌家さんは、久米島以外でも日本軍によって島民の殺害リストが作られていたとして「軍隊は自国民を守るものという風に受け止めて協力しているが、実際の展開の過程において守るどころか殺すような存在なんだという。沖縄戦が軍隊の本質を見極める大きな材料、教訓となっている」と訴えていた。久米島の虐殺をレリーフに刻んだ金城実さんは「戦争を美化するのと否定するものとの戦いである。沖縄戦を未来に遺すというのも大きな役割だ」と話していた。虐殺から80年、犠牲者の名は糸満市にある「平和の礎」に刻まれ永久に歴史の事実を伝えている。
沖縄で取材を担当した佐古忠彦ディレクターは「政治家による戦争の否定は永く語り継いできた住民の沖縄戦の教訓の否定そのもの。参政党の神谷議員も「日本軍が沖縄の方々を殺したわけじゃない」と西田議員を後押しする様なことを言っている。西田さんは「自分達の納得いく歴史をつくらなければならない」とも言っているが、沖縄戦の教訓は不都合な真実ではないか。歴史修正主義という言葉があるが、これは歴史の捏造である。軍が民間人にしたこと、有事になると社会がどうなるか、それを象徴的に合わしているのが久米島の出来事ではないか。」と訴えた。
バレーボールのネーションズリーグ香港ラウンドで、日本がイタリアと対戦。予選ラウンド負け無しの日本は、世界ランク1位で前回女王のイタリアとの全勝対決となった。第1セットで日本はイタリアのエース・P.エゴヌを止められず苦戦。しかしリベロの福留慧美がエゴヌのスパイクに食らいつき、第2、第4セットを奪い返した。最終第5セットではデュースにもつれ込み日本は4度マッチポイントを握ったが、最後は力尽き初黒星を喫した。