- 出演者
- 八木麻紗子 萩谷麻衣子 大下容子 杉村太蔵 松尾由美子 佐々木亮太 菅原知弘 斎藤康貴 林美沙希 林美桜 水越祐一 駒見直音
おととい、横浜市で開催されたイベントでは花火を打ち上げる台船が燃える火事が起きた。台船はきのう近くの埠頭に移動され、午前10時半ごろから海上保安庁や警察、消防による実況見分が始まった。主催者は「花火を打ち上げる機械が制御不能になった」と説明している。
経済情報を伝えた。
韓国の尹錫悦前大統領夫人・金建希氏が自身をめぐる複数の疑惑について取り調べを受けるため特別検察官の事務所に出頭した。特別検察官は株価操作や選挙介入など16の容疑を捜査していて、これまでに金氏の側近とされる投資会社代表ら4人を逮捕している。
去年9月、仲間と共謀し、東京・練馬区に住む90代の男性にうその電話をかけるなどしてキャッシュカード1枚をだまし取ったなどの疑いで26歳の男が逮捕された。捜査関係者によると、男性は警察官を名乗る人物から「口座が悪用されているため警察官が家にキャッシュカードを取りに行く」との電話を受け、キャッシュカードを渡したという。押収したスマートフォンの解析結果などから容疑者は去年9月から1カ月半にわたり、同様の手口で約60件、計1億円ほどだまし取ったとみられている。取り調べに対して黙秘している。
厚生労働省によると、6月の現金給与総額は平均51万1210円で前年同月比で2.5%増え、42カ月連続でプラスとなった。一方、「実質賃金」は1.3%減り、6カ月連続のマイナス。厚労省は「物価高の影響で実質賃金は伸び悩んでいる」としている。
広島は今年で80回目となる原爆の日を迎えた。今朝行われた平和記念式典では石破総理や各党の代表などが参列した。さらに、初めて参列した台湾やパレスチナの代表団など過去最多となる120の国・地域が出席。石破茂総理大臣は「ここ広島において核戦争のない世界、核兵器のない世界の実現、恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます」と述べた。被爆地・広島出身で平和へのメッセージを発信するのが被爆2世でもあるミュージシャン・吉川晃司さん。番組では戦後80年という節目に吉川さんの平和への強い思いを聞いた。吉川さんに影響を与えた忌野清志郎さんの言葉とは。さらに、平和を思う吉川晃司さんの原点とは。
「大追跡~警視庁SSBC強行犯係~」の番組宣伝。
今年は広島・長崎に原爆が投下されて80年。1945年8月6日午前8時15分、歴史上初めての原子爆弾が広島の街に投下された。たった1発の爆弾が半径2km以内の市街地を焼け野原にした。記録ではその年のうちに約14万人が犠牲になったとされている。その20年後の1965年に生まれた吉川晃司さんは原爆の爪痕を感じずに育ってきた。大人になってから祖父母が原爆ドームの川を挟んで真向かいに料理旅館を経営していたことを知ったという。平和公園には原爆が投下される前、約4400人が暮らしていた中島地区があった。かつては広島一の繁華街で多くの人たちの営みがあった。吉川さんの祖父母は中島地区で「吉川旅館」を経営していたが、戦況悪化に伴い吉川家は疎開したという。吉川さんは40代の頃、父親が入市被爆者だということを知った。入市被爆者とは原爆投下から2週間以内に爆心地から約2km以内に入った人のことを言う。吉川さんは「被爆2世と言われたのも大人になって人に言われた。あまり意識もしていなかった。父が人生そろそろ終焉を迎えるころという意識を持った時に何か話しておきたいと思ったのかなと」と話した。吉川さんは今、音楽活動などを通じ平和への思いを積極的に発信している。そのきっかけは忌野清志郎さんだという。吉川さんは「直接的な言葉で浴びせるとみんな引いていく。それをどういうふうにエンターテインメントという形にして届けるかというのも技なんだろうなとか」と話した。吉川さんはある曲を作ったことで平和への思いをさらに強めることになった。
音楽活動などを通じ「平和」への思いを積極的に発信している吉川晃司さん。きっかけは母校の小学校からのあるオファー。被爆者から話を聞いた子供たちが詩を書き、吉川さんが作曲をした『あの夏を忘れない』。そして平和への気持ちを更に強くしたのが東日本大震災。吉川さんは3週間ボランティアへ。何かしたいと思ったって自分の目で見て感じないと判断を間違えるような気がしたという。「君は他にいろいろ伝える術を持っている人間なんだから、ここで僕らと一緒に体を動かすんじゃなくてもっと発信してくれ」と叱られたことも。2013年8月6日には地元広島のプロ野球チーム・カープの応援の場を活用した核兵器廃絶と世界恒久平和を願うイベント「ピースナイター」に参加した。そこで披露したのが忌野清志郎さんも歌った日本語版「イマジン」。
吉川晃司さんはメッセージを発信する際に気を付けていることがあるという。それが「伝え方」。2011年の東日本大震災で被災地のボランティア活動に参加した際、東京に戻り被災地のリアルな実情を話すと引かれてしまったという。これは本能的なものだと思うと話している。こうした経験などからメッセージをただ強く発信するのではなく、エンターテインメントにして伝える努力が必要だと感じているとのこと。杉村さんは「私の祖父も終戦の時は、いくつかの特攻隊の空港があって、その空港の警備隊長だった。17・18歳の子を送るわけだが、祖父にとっても究極の辛い体験で、私が子供の頃にその話を聞くが、祖父は私の父には伝えていない。戦後何十年経ってようやく自分の中で話せるようになり、それがたまたま孫だったという、聞いちゃいけない雰囲気と同時にあまりに衝撃的なことで話せないのはあるんだろうなという気がする」等とコメント。
吉川晃司さんは原発について「再生エネルギーで賄えることを目標に徐々に減らしていくべきで、核兵器も地球上から無くすべき」、「ただ無くなるまでのことは国民全員で考えないといけない」など話した。また被爆国日本としては「核兵器禁止条約にサインしないなど残念で寂しい」、「日本が危機に直面した時に果たして本当にアメリカが守ってくれるのかを考えないといけない」など話した。
石破総理は戦後80年の節目に合わせたメッセージを文書で出すことを検討していると明らかにした。発表は今月下旬~来月前半の見通しで、内容についてはこれまでの談話の積み重ねは大事にするとしているが、正式な有識者会議は立ち上げずに閣議決定も行わない方針だという。
戦争の記憶や被爆の悲惨さの継承について、吉川晃司は、自分の仕事はみえをきってなんぼの仕事、大したことはできなくても、自分なりに頑張ったと言える人生でありたい、だからやれることはやりたいし、言うべきことは言っておきたいなどと話した。6月、広島を訪問した天皇皇后両陛下を被爆者とともに出迎えたのが、被爆体験伝承者の庄野さん。被爆者の平均年齢が86歳を超えるなか、その被爆体験や記憶を受け継いでいる。庄野さんは、4月から広島市の小学校で、教鞭をとっている。庄野さんは、担任教師である自分が被爆体験を話すことで、子どもたちが原爆を身近に感じるなど、身近である自分が伝えるからこその良さが出ると思うなどと話した。吉川晃司は、広島への恩返しとして、同じ広島県出身で同い年の奥田民生とユニットを結成。
吉川晃司は、広島への恩返しと日本を盛り上げることを目的に、奥田民生と新ユニット「Ooochie Koochie」を結成。結成のきっかけについて、吉川晃司は、50歳を過ぎて、フェスでセッションするようになり、距離が縮まった、還暦を機にやることを何年か前に話したなどと話した。曲作りなど音楽性の違う2人が作ったのが、広島カープの選手への熱いエールとともに、広島県への感謝の気持が表現された応援歌「OK」。吉川晃司は、最初は変なセッションだったが、広島への恩返しというところは共通していたなどとし、悪さもしてきたから、これでチャラになるとは思っていないが、少しは、いいこともしたと思ってもらいたいのかもしれないなどと話した。
広島県出身の吉川晃司と奥田民生が「Ooochie Koochie」を結成した。名前の由来は、あちらこちらを意味する広島弁の「おちこち」を文字ったもので、過去と現在、現在と未来を繋ぐ意味合いがある。2人が今年発売したアルバムの中に「リトルボーイズ」という曲がある。「リトルボーイ」は広島に投下された原爆のコードネームでもある。吉川晃司はキノコ雲の上と下を米国と日本に見立てて両国の母親の想いを歌詞にしたという。歌詞にある「エノラ・ゲイ」は広島に原爆を投下したB29爆撃機に付けられた名前だという。
「徹子の部屋50年目深掘りSP」の番組宣伝。
きょうは危険な暑さに加え、大雨にも警戒が必要。きょうも関東から西で猛暑日が続出していて、静岡市では日本歴代2位となる41.4℃を観測し、東京都心も今年一番の暑さになっている。一方、低気圧や前線の影響で日本海側では局地的に大雨になっている。特に今夜遅くからあすの朝にかけて新潟県、富山県、石川県では線状降水帯が発生し、大雨災害の危険度が急激に高まるおそれがある。土砂災害や低い土地の浸水、川の増水や氾濫に厳重な警戒が必要。東京都心は36.8℃を記録している。
エンディング映像。