- 出演者
- 所ジョージ 阿部健一(セバスチャン) 三浦一馬(シイナ) 五島麻依子(大吟嬢) 湯上響花
オープニング映像。
11月にかがくの里がある茨城県常陸太田市で開かれた行灯まつりでは800の行灯が集まった。河内文化遺産を守る会の和田さんが案内してくれたのは登録有形文化財の旧町屋変電所。明治42年建設の変電所は歴史的価値も高く、町のシンボルとして今も地域の心の拠り所に。今年で17回目となるこの祭り。地元に戻っていてもらえるような町にしたいと思いが込められている。かがくの里のメンバーは里で取れたさつまいもを収穫し贈呈した。
今回は母屋プロジェクト。建築家の隈研吾さんがデザインした斬新な母屋。全て木で組み上げる骨組みが最も難しいと考えていた。2年8ヶ月の間想像を絶する紆余曲折があった。科学者、隈事務所、職人が試行錯誤し、作り上げた。今回はその完成SP。
母屋の骨組みとなった角材は、2020年1月に裏山の整備で切った間伐材が使用されている。その木は地元の中野製材所に運びそのまま天然乾燥させた。大ベテランの中野さんが木材をカット。木組みの加工が施され、床下の骨組みや壁の中に入る柱に使用され、建物の外枠が完成した。次に運ばれてきたのは、棟木と2本の心柱。1年前の2023年12月にかがくの里の門の前に立つ直径約45センチの日本のスギの木を使った。棟木となった丸太は親方が里近くの山から直径約55センチのもので、数多くの不揃いの穴が施されているが、これはこの上にかける28本の垂木の形にあわせてコンピュータで計算し正確に加工した。さらに棟木と心柱も木組みで組み合げるために棟木にほぞ穴という穴をあけてそれにピッタリはまる「ほぞ」と心柱に作る。
心柱に棟木をのせていく工程ではまず基礎の上に8mの巨大な心柱を立てて棟木をクレーンで組み上げて8m上で棟木のほぞ穴2つに心柱のほぞをはめていく。棟木の両端につけたロープをもって位置を微調整。棟木と心柱がハマるように息をあわせて棟木を動かしていく。こうしてはめることに成功した。次に垂木を屋根にのせていく。7m28本あるという。親方と向かったのは里から車で40分の場所にある山。間伐中の山は開けていて木々の感覚もあいている。小峰さんが育てた木はまっすぐで母屋の垂木にするには最適。合計40本を伐採し、葉枯らし感想で水分を抜いた。その2ヶ月後には木材を8mに切り出し中野製材所でさらに乾燥させる。
隈研吾さんは使う垂木について皮がついたまま使いたいと話していたという。それに応えたのは木材担当の村田先生。通常乾燥のために木の皮は水圧バーカーなどで皮を全てむいてしまうが樹皮に外樹皮と内樹皮があり、外樹皮だけをむいて内樹皮を残すことに。40本もの丸太の外樹皮を剥いた。これを農業用ハウスの中で燃料を使用せずに太陽光を利用した天然乾燥させた。乾燥開始から11ヶ月後には伐採から1年3ヶ月で垂木の準備が完了した。
10月に棟上げを終えた母屋は鳥居の形のような心柱と棟木。それを囲む母屋の骨組みという状態。棟木と母屋の骨組みの上に組まれた軒桁の間にこれから28本の垂木をかけていく。難しいのは棟木と垂木が接する上の部分と軒桁と垂木の下の部分の格好。垂木と軒桁が接する部分は垂木をくの字に削って軒桁にはまるようにし、垂木が滑り落ちないようにする。ここで力を発揮したのは棟木と同じく垂木も1本1本3Dデータ化してそのデータを元にして作った型紙。それに合わせて垂木を刻んでいく。まずは正面からかけていくというがハーネスをつけクレーンで持ち上げる。この作業について金澤さんが最も不安に思っていたもので、経験豊かな親方にとっても初挑戦。職人が棟木にのぼり、クレーンを操作し、乗せていく。しかし誰木の上の部分が本来なら反対部分とぴったりになるはずが数センチ足りず、下の軒桁にハマる部分を削り直し、全体をあげるように修正した。そしてもう一度のせた結果設置が完了。その後も残り27本を乗せる作業が続いた。11月になり、ラスト1本の垂木が乗せられ骨組みが完成した。またこれからこの骨組みに茅葺きの作業を行うという。
所さんの目がテン!の次回予告。