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春の到来を告げる梅が咲いている。梅といえば三戸の偕楽園で作ったのは徳川斉昭である。水戸徳川家第九大藩主で紛うことなき大名の手によるものだが、いわゆる大名庭園とは趣が違う。回遊式の池もなく優雅なアーチの橋もなく心癒やす流水もない。だが思いがけない意匠の数々が施されていた。全ては徳川斉昭という稀代の藩主のままに。本日は山崎怜奈が偕楽園・美の秘密に迫る。
オープニング映像が流れた。
去年の春、山崎怜奈は岡山へやって来て後楽園を堪能した。日本三名園と謳われており金沢・兼六園、岡山・後楽園、そして今回は水戸・偕楽園となる。水戸駅からおよそ2.5キロで千波湖と向き合うようになっている。偕楽園は幕末の天保十三年に開園し広さは東京ドーム3個分に相当する13万平方メートルである。偕楽とは「皆がともに楽しむ」という意味である。現在主に観光客を迎えるのは東門だが、山崎怜奈は正門である表門から入っていく。一の木戸をくぐると見事なまでの孟宗竹林があった。竹林から続く杉の木立を抜けると、明るく広々とした見晴広場となった。この片隅には偕楽園記碑が立っており「天に日月有り 地に山川有り 万物を曲成して遺さず」とあった。この碑文を記した人物こそ徳川斉昭で水戸藩第九代藩主である。
ここで歴女として名高い山崎怜奈に偕楽園で最初の問題。「徳川斉昭の諡号はなんでしょう?」について山崎怜奈は「書公」と答えたが正解は「烈公」。徳川斉昭は烈々たる当主と気概に溢れた藩主であった。
烈公・徳川斉昭は寛政12年に徳川治紀の三男として生まれた。後の徳川幕府15代の将軍・徳川慶喜は彼の七男である。文政12年に30歳で水戸藩主の座につき混迷の幕末へと向かう時代に舵取りを任されていた。歴史学者の永井博さんは斉昭について攘夷ということでそれをスローガンにしたとのこと。攘夷とは国を脅かす外国人を追い払うという考えで水戸藩はその旗頭であった。普段は江戸が生活の拠点だった斉昭が藩主として初めてお国入りしたのは天保4年である。そして藩内随一と呼ばれた景勝地・七面山からみた景色を見てここに庭園を作ることを決めた。
1年3か月に渡る工事の末、偕楽園は完成する。しかし通常の大名庭園とは大きく違っており、偕楽園には池も橋も無かった。斉昭の意図を伝える絵図が遺されており、現在偕楽園と呼ばれる範囲よりもはるかに広く千波湖や周辺の田畑も描かれている。
水戸駅から徒歩8分、偕楽園と一対をなす場所がある。重要文化財の弘道館であり水戸藩の学校である。偕楽園開園の一年前、藩の人材育成のため天保12年に徳川斉昭によって作られた。鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が謹慎した部屋もあった。
ここで山崎怜奈に問題。「弘道館と偕楽園を対比した◯◯に入る言葉は?」について山崎怜奈は「一張一弛」と答えて正解となった。弘道館での勉学だけでは疲れてしまい張り詰めた弓の弦がいつか切れてしまうように、偕楽園には弘道館での勉学の疲れを癒やす目的があったという。
斉昭曰く、偕楽園はごく一部の特権階級だけが楽しむのではなく国中の人々が心休まる場所として作ったのだという。家中の藩主とその家族には男性が毎月4日間・女性は2日間の入園を許可し三と八のつく日は庶民の入園も許可していた。偕楽園で最も見晴らしの良い場所に園内で唯一の建造物がある。
その「好文亭」は二蔵三階建の木造建築である。設計は斉昭自身で18畳の総板張りの広場「東塗縁」があり斉昭はここに80歳以上の家臣や90歳を超えた庶民を招き「養老の会」を開いた。その隣の部屋は藩主の間である。詩歌の宴が催された広場「西塗縁」では杉戸に漢字が分からなくなったときのために韻字が書かれていた。また杉戸を開けることなく室内の様子を見ることができるよう引手が透かし彫りになっていた。
好文亭の外観は奇妙であり、まるで無理やり2階を作って3階建てにしたようなものになっていた。3階「楽寿楼」からの眺望を得るために斉昭は3階建てとしていた。山崎怜奈は好文亭のカフェ「楽」で一休みした。
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徳川斉昭作・偕楽園を不動のものにしているのが見事なまでに咲き誇る梅である。およそ100品種・3000本の梅が植えられており、その楚々とした美しさにこの庭の秘密があった。
時代は激しく動き、ペリーの来航によるお国の一大事が起こる。尊王攘夷の旗頭だった徳川斉昭は井伊直弼ら開国派との主導権争いに敗れ、幕府の中枢から身を引くことになった。そして1960年に61歳で世を去った。息子・慶喜は15代将軍につくが、大政奉還を行い徳川の世を終わらせた。偕楽園は開園からわずか30年で大名庭園としての役目を終え、明治6年に正式に「公園」となった。
東京のど真ん中に日比谷公園を作り、明治神宮で100年先を見据える人口の森を作り上げた林学者で造園家の本多静六は偕楽園を「風景簡素にして雄渾を極める」と激唱している。庭園ではなく公園としてその先進性こそが偕楽園の美しさ・素晴らしさなのである。
昔も今も斉昭パークは憩いの場所でありルールもある。開園時間や園内の禁止事項など事細かに、まるで現代の公園のようであった。最後の問題は「健康な者が偕楽園内で行ってはいけないことは?」について。
「健康な者が偕楽園内で行ってはいけないことは?」の問題となり、山崎怜奈は「健康な人は駕籠に乗らないで自分で歩いてくれ」と答え正解となった。山崎怜奈は足の指骨折中であり、特別許可で駕籠に乗せてもらうこととなった。
エンディング映像が流れた。
「新美の巨人たち」の次回予告をした。
