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オープニング映像。
世界遺産にも選ばれた「富士山」。その富士山が好き過ぎて海外からわざわざ移住右下外国人も存在する。そんな富士山nの近くに移住した外国人の生活に迫る。
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- 富士山
富士山が好きすぎてNYから移住してきたビル・ライオンズさんと奥様のマミさんを紹介。ビルさんは365日富士山を撮影する一流カメラマンで自宅は目の前に富士山が見える一軒家で景色に一目惚れをし5年前に購入。元々報道カメラマンで数々の賞を受賞していたが取材で訪れたときにここに住むべきと呼ばれた気がし退職を機に60歳で移住した。
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- ニューヨーク(アメリカ)富士山
ほぼ毎日富士山を撮影しているビルさんだからこそ知る秘密の絶景フォトスポットを教えてもらう。しかし向かう道中では途中で止まって撮影をするなどしていた。そしてやってきたのは静岡と山梨を結ぶ林道「湯之奥猪之頭林道」で撮影した。
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- 富士山山梨県県営林道湯之奥猪之頭線静岡県
アメリカ・ハワイから移住したエイミー・シンガーさんを紹介。やってきたのは朝霧高原で毎日、仕事で訪れているという。ハワイより富士山がよかった点について広い高原に1つそびえ立つのは世界に一つしか無いと思っていると話した。またワイン用のぶどうを栽培しており、きっかけは父のアーネストさんで、元々日本に海外ワインを輸入していたが人気がなく国際的なワインを造ろうと思って始めたという。ワイン「DOMAINE SHIZEN 2023」などが完成しニューヨーク・タイムズでも紹介された。富士山ワイナリーの隣に今年カフェをオープンしたエイミーさん達。一番の見所はカフェからも見える富士山。
ニュージーランドから移住したマーク・マクタムニーさんを紹介。マークさんと待ち合わせをしたタリーズコーヒー 富士市中央公園店はテラス席から富士山の絶景が望める。また屋根は富士山麓で採れた「富士ヒノキ」を使用していると話した。移住のきっかけは初来日で見た富士山に感動したことでそれまで移住などについて考えたことはなかったが気づけば30年富士山の近くに移住していたという。そんなマークさんは英会話教室の講師を勤めており、「Mt.Fuzi」を連呼したりしていた。
インドから移住したタルン・シェクハル・ジャさんを紹介。タルンさんはヨガをしていて絶景を拝めるヨガ教室が大人気となっている。富士山のパワーを感じる場所としてふじのくに田子の浦みなと公園を紹介。移住のきっかけはバックパッカーで来て富士山を好きになったという。移住して10年間ヨガ講師として活動。そして旅館を購入してヨガ教室に改装した。
富士山九合目にある「万年雪山荘」に密着。万年雪山荘は開山する7月中旬から閉山する9月上旬まで営業しており、シーズンオフ中はその名の通り雪に埋まってしまう。そんな万年雪山荘にはわずか12人のアルバイトがおり山小屋を2カ月間切り盛りしている。
万年雪山荘に密着。午後1時、宿泊客の予約作業。万年雪山荘では店員数250人の宿泊棟が存在する。近年登山客数が増加しており今年は20万人以上、ピーク時は相部屋も当たり前となっている。夕方になると一気に人が増えるがそれでも少ないほうだという。人々の目的は食堂で夕食でをとる人たちで満員状態。約2分で19人前を提供したりしている。山小屋メシはほぼレトルト。宿泊では食事付きのプランも存在する。午後8時食堂に人はまだいるが消灯の時間になる。これは深夜0時になるとこれから御来光に行く人のために弁当を用意する。そして午前1時に再びオープンするとその段階ですでに繁盛した状態でお腹を満たして山頂へ向かう。スタッフはこの後眠り別のチームに交代する。
万年雪山荘のスタッフは早朝組と深夜組の2チーム交代制でバイトは屋根裏で過ごしている。部屋は約2畳の部屋で2カ月間過ごす。また水が限られているためめったに入れないお風呂が癒やしの時間だという。午前9時になるとラジオ体操が実施される。ラジオ体操から戻るとスタッフはトイレ掃除をする人を決めるじゃんけんを行った。2年目のテッペイさんにスタッフのムードメーカーを聞くとミチヨシさんで大学卒業後、バイトに応募したという。そんなミチヨシさんの得意技は首都当てで披露した。午後4時、ケンちゃんがまかないを作っていると教えてもらい取材。2カ月間毎食レトルト食品ばかりだと飽きるためアルバイトは手作り料理を作る。そのまかない隊長であるケンさんでこの日はチキンカツ丼で割り下から作っている。ケンさんは元々料理人でフレンチで働いていたという。そしてここの給料でフランスへ向かうという。そんな万年雪山荘の給料は日給13000円で2か月で約80万円となる。
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- アラスカイギリスサンホセ(コスタリカ)スリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)ニュージーランドフランスボゴタ(コロンビア)万年雪山荘和歌山市(和歌山)富士宮市(静岡)富士山富士市(静岡)春ツール(スーダン)
若手メンバーを束ねるのは最年長のフミさん。人数に合わせ客室を振り分ける司令塔的存在で山小屋バイトは10回目。ベテラン勢の中には旅人もおりユカさんは家とかを持たず車で旅をしながら生活をしており、旅の魅力や山小屋生活を発信している。フミさんはZ世代の教育については勉強中だという。美術担当スタッフがトイレの看板を作り直したりした。午前8時20分。ギターの音が聞こえ始める。
万年雪山荘に密着。楽器を演奏していたのは3年目のサキさん。使っていたのはカメレンゴニという西アフリカ諸国で演奏される弦楽器で一応お金をもらってコンサートをしたりしている。始業前は自由時間で他にもネガさんはウクレレを趣味で弾いたりしたりする。この日はブルドーザーがやってきた。ブルドーザーには米など物資でハイシーズンはほぼ毎日届くという。午後2時40分、大荷物を背負った人がやってきた。男性は「ケンタッキー」を差し入れにもってきてくれており、男性はお世話になったところに荷物を届けていて、この後他の山荘にも荷物を届けるという。午後4時スタッフが山荘内の恋愛模様を聞くとどうしても無いという。
七合目 トモエ館に密着。3年目のヒロさんは外国人観光客を接客を担当している。五合目にヒロさんの奥様がおり、明日の午前中山頂の神社「浅間大社奥宮」で結婚式を挙げるという。浅間大社奥宮では毎年10組近くが式を挙げている。ヒロさん達の結婚式の参列者は27名であるが登山初心者ばかりだという。また奥様のリンさんはヒロさんとは1カ月半ぶりの再会だという。午後3時、参列者と共に五合目から七合目を目指し、翌日に山頂を目指す。2人の出会いは去年、リンさんもトモエ館でアルバイトをして出会い、その期間中に結婚を約束したという。道中、雷が鳴ったりしながらもトモエ館に到着し夫婦が再会した。
午後6時、遅れて合流したのがリンさんご両親で娘の為に約10kgの着物を運んできたという。また厨房ではヒロさんの親友であるタカモリさんが店主を務めるラーメン店からもってきたチャーシューを切って、前夜祭としてチャーシューとカレーを食べる。するとここでヒロさんが手紙を読み始めた。ヒロさんは弱視で大きな手紙を用意してリンさんへの感謝や愛の言葉を綴った手紙を音読した。翌朝午前3時浅間大社奥宮を目指して登山を開始。出発前には御来光を見て皆で支えながら到着。そして新郎新婦は着替えて式をあげた。
浅間大社奥宮で2カ月間住み込みで働く植田めぐみさんは神社の食事係として8年勤めている。雷が鳴ると電化製品が使えず、沸点も違うため炊飯器が使えないと話す。
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- 浅間大社奥宮
浅間大社奥宮で2カ月間住み込みで働く植田めぐみさんは神社の食事係として8年目であるが富士山の仕事歴は15年のベテラン。浅間大社奥宮は1902年に山頂まで人力で資材を運び創建され、2013年に老朽化のため改修工事が行われた神社。植田さんのほか神職の人が4人にアルバイトが2週間研修に訪れており、計6人で生活をしている。厨房で生活している植田さん、午前10時頃にお昼の準備を開始する。料理の必需品として古い圧力鍋で、頂上では沸点が低体目炊飯器が仕えず、重宝されている。また雷が鳴ると電化製品が使えない。そんな富士山では2000回以上の雷が発生している。午前11時40分、この日は野菜たっぷりのガパオライスがお昼で食べる。ちなみに神職皆さんは約2週間で下山する交代制でずっと神社でクラスのは植田さんだけだという。
午後3時、牛乳の差し入れをもらった。差し入れで嬉しいのはナマモノで去年はマグロを背負って登ってくれた子がいたという。そんな植田さんは本業はカメラマンで山頂でしか撮れない貴重な瞬間などを撮影する富士山カメラマンで富士山頂郵便局の依頼でポストカードにもなっている。15年の中でお気に入りが「吊し雲」と呼ばれる雲が夕陽に照らされて真っ赤に染まった瞬間と話した。午後4時、この日は忙しい日の合間を縫って御来光の絶景スポットへ案内してくるという。すると移動中、植田さんは危険エリアへ入っている人がおり注意した。植田さんは富士山は綺麗だけではなくアレている日もあることがわかってもらえるようにリアルタイム発信もしていると説明した。
万年雪山荘に密着。お盆シーズンに入った万年雪山荘だったが想定以上の登山客が訪れ水が売り切れ状態に。生活用水は雪解け水のため煮沸が必須で飲み水は翌日の午前10時に届く状態となっていた。午後6時にはお湯を求める客で殺到、水トラブルは閉店まで続いた。
万年雪山荘にある男性がやってきた。社長の渡辺さんによると日本一富士山に登られているMr.富士山の異名を持ち、きょう登れば2238回目となるという。Mr.富士山こと實川欣伸さんは81歳でスタッフが登頂に密着した。登山ルートは2200回以上登ってから基本的ん富士宮ルートで登山しているという。實川さんが見せてくれたのは登頂記録ノートで最初はこんなに登るつもりはなく1回目は家族と42歳のときに初登頂。その後實川さんが務める会社に中国人の研修生たちが、毎年20人ほど来ていて富士山に登りたいと話し年に5~6回ほど登っていたという。そのうち、会社の仲間から「そんなに登るなら記録に挑戦してみては?」と提案され、ある時年間250回登頂の目標を立て1日2回の登頂を毎日繰り返し1年で248回の登頂にも成功させ、そして昨年2230回目の登頂に達成した。そんな實川さんであるがペースメーカーが入っていることを明かした。午後2時過ぎに9.5合目に到着すると写真を求められた。求めた人は實川さんの本をもっていた。
一休みをしてから登頂を開始。道中には裸足で登山をしている登山客を見かけたりした。富士山登頂に飽きないかと質問。6大陸最高峰を制覇し、その後エベレストの登頂を目指すも雪崩などに遭い、ガイド6人が亡くなり断念。實川さんも凍傷で3本の指先を失った。帰国をして塞ぎ込んでいたと實川さんに仲間たちは「實川の富士登山は終わった」と言われたという。そのときにまた富士登山をすればよいと気づいたという。挫折から奮い立たせてくれた富士山のお陰で、4度目のエベレストに挑戦したいという目標が出来たという。