- 出演者
- 梅津弥英子 松山俊行 安宅晃樹 橋下徹 田村憲久 玉木雄一郎
オープニング映像。
オープニングトーク。クリスマスに染まる街の様子を伝えた。
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- クリスマスイブ
岸田総理が掲げたこども未来戦略の主な項目として児童手当の支給をを高校生まで所得制限を撤廃することや大学の無償化等が盛り込まれている。その財源として2028年までに既存予算活用で1.5兆円、歳出改革で1.1兆円、支援金制度で1兆円を捻出するとしている。支援金制度は医療保険に月額数百円程度上乗せして徴収する方針である。政府は実質的な追加負担を生じさせないと説明しているが専門家は歳出改革が不十分で現役世代の保険料増額は避けられないと指摘している。田村憲久は歳出改革は毎年行っており毎年1800億円程度を子供に使っているため6年で1.1兆円、賃金が上がっていけばその分だけ同じ料率で増えれば実質的な国民負担はない等と話した。玉木雄一郎は現役世代の社会保険料負担はもう限界で、高齢者の窓口負担を増やすことと抜本改革を進めなければ納得できない形になる等と話した。子どもが3人扶養の世帯は大学が無償化されるが、第1子が大学卒業で扶養から外れると第2子・第3子が無償化対象外になる問題がある。
公明党の山口代表は内閣不信任案に国民民主党が賛成をし協議をする真摯な取り組みの前提が崩れたとした。玉木さんは政治とカネの問題は感化できないとし内閣不信任案に賛成した。原因は自民党であり与党で山口代表は自民党と同じ穴のムジナだと思われたくないと認識しているという。年内にトリガー条項について出してもらいたかったが萩生田政調会長が辞意を表明してから10日間空白のままで今週やってもらいたいとした。田村さんはしっかり用意したいとした。
東京地検特捜部は安倍派と二階派事務所の強制捜査に乗り出した。5年間で4000万円以上のキックバックを受けた疑いで池田氏を任意で事情聴取した。派閥側はキックバックをする議員をキックバックする際、領収書の受け取りを拒んでいたことが明らかになった。特捜部は安倍派幹部を任意で事情聴取を要請している。捜査の行方を若狭氏が徹底解説する。
日本大学の岩井教授は、会計責任者が有罪になれば議員も有罪になるだろうという。自動失職する連座制の導入を提言している。立証しやすい法改正は必要だと玉木さんが言う。民間では会計責任者が責任を負うことはありえないと橋下さんがいう。意思形成の過程を事実認定する必要があるという田村氏。二階派の閣僚にも動きが出てきている。二階派の強制捜査を受けて、無派閥になることを表明した小泉龍司法務大臣。その去就が注目されている。小泉龍司法務大臣は交代させるべきだと若狭さんがいう。
特捜部の捜査で、派閥からの指示があったかどうか、政治家が立件の対象になるかが注目されている。
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- 東京地方検察庁
1955年秋に誕生した自由民主党。その翌年、総裁選挙をきっかけに党内のグループ・八個師団があらわになった。池田勇人を中心とした宏池政策研究会は、現在の岸田派・麻生派に繋がる派閥。佐藤栄作を中心とした周山会は現在の茂木派に繋がる。岸信介を中心とした十日会は、のちの安倍派のルーツ。さらに河野一郎を中心とした春秋会は現在の森山派・ニ階派に。そして大野派など残り4つを合わせて八個師団と呼ぶ。1964年11月9日、佐藤栄作内閣が発足。100人を超える大派閥となっていった。
高度経済成長による国民の支持と、派閥の支えにより7年8ヵ月の長期政権を築いた佐藤栄作。沖縄返還という日本の悲願を実現した。その後は五大派閥による跡目争いが勃発。1972年の自民党総裁選に出馬したのは三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫の4人。最有力とみられたのは福田氏。そこで田中氏は残り2人と手を組み、多数は工作で福田氏の追い落としにかかった。この時三木氏は、自民党の派閥政治について「カネの問題。これはヘタするとこの面から政党が崩れる。だからカネのかからない政治をすることに対して、新しい出発をしなければならない」と警鐘を鳴らしていた。
当時田中氏の手法は”政治は数 数は力 力は金”と言われていた。結果この時の総裁選では田中氏が総裁に選出されている。総理総裁派閥となった田中派は拡大を続け、最大140人を超える巨大派閥に成長。当時各派閥では、選挙資金として所属議員に現金を支給するのが慣例だった。田中派はその金額が突出していたという。そんな田中総理の春は、金脈問題発覚により長続きしなかった。その後田中内閣は総辞職。さらにロッキード事件で自宅収賄罪を問われ、逮捕されることになった。
しかしその後もキングメーカーとして、大平氏・鈴木善幸氏・中曽根氏の総裁就任に影響力を維持し続けた田中氏。1985年、退陣から10年以上経ても他派閥から総裁を担ぎ続けていた。そんな田中氏に若手議員の不満が募る中、竹下登氏が反旗を翻す。田中派内で新たに創政会を立ち上げた。表向きは勉強会という形だったが、事実上のクーデターに。1985年に田中氏が脳梗塞で入院すると、徐々に形成は竹下氏の側に。1987年ついに竹下氏が経世会を発足。最大派閥の力を背景に総理の椅子に座るが、翌年に発覚したリクルート事件で1989年に辞任した。しかし重要ポストの幹事長を竹下派が歴任するなど、経世会支配の時代が築かれた。ところが派閥会長の座を巡る争いに敗れた羽田氏・小沢氏のグループが離脱し、竹下派は弱体化していく。その後55年体制は終焉を迎えた。
現職の小渕首相の緊急入院をきっかけに当時の清和会会長の森喜朗氏が総理の後任となった。森内閣は当初は就任までのプロセスの不透明さから当内外から批判を集めており、その後内閣府支持率が7割を超えた。伊藤惇夫氏は1990年から98年までで派閥のパーティをすると各議員は派閥のパーティー券を封筒にい入れて購入者は議員個人の口座に振り込み、議員はそれをまとめた段階で売上の半分を派閥に上納する仕組みがあったと効いたことがある等と話している。その後も清和会は歴代最長政権として続いた。
茂木幹事長は派閥パーティーについて党が責任を持って関与するとしているが、自民党議員は党が各派閥の資金の管理までするのは無理であると話している。菅前総理は2009年に宏池会を抜けて無派閥になっており、派閥という存在そのものに疑問を持つようになり、現在は無派閥議員の束ね役になっている。また菅前総理は裏金問題よりも前に岸田総理が総理と派閥会長を兼任していることに問題がある等と発信していた。橋下徹は派閥が権力の源になるのは反対であるが、組織を束ねるための意思決定として派閥に頼らない党組織を作るべき等と話した。
1992年、天皇陛下の初めての訪中で実現までの内幕が20日に公開された外交文書で明らかになった。宮沢喜一首相が反発を懸念し決定を躊躇していたことがわかる。天安門事件が起き、中国の手助けをするのかと慎重な意見があった時代で橋下さんは上皇陛下が訪中することは政治利用で尖閣の問題で及び腰になっているなどと話した。
橋下さんらは瞬きしてる間に1年などと話した。
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