- 出演者
- 塚原愛 六角精児 平祐奈
今回のテーマは「災害ボランティア」。
- キーワード
- 令和6年能登半島地震阪神・淡路大震災
阪神・淡路大震災から29年。全国から駆けつけたボランティアの数は1年で130万人以上、その存在は広く認識されるようになり「ボランティア元年」と呼ばれている。その後、様々な災害現場での経験を経て徐々に仕組みが整備されている。受け継がれてきた災害ボランティアについて考えていく。
オープニング映像。
今回のテーマは「阪神・淡路大震災から29年 災害ボランティアの歩み」。阪神・淡路大震災の前は災害の対応は行政のやることで、被災地のことは被災地の人でという意識が強かったという。
阪神・淡路大震災では30万人を超える人が不自由な避難生活を余儀なくされた。そんな被災者を支えたのが全国から駆けつけた130万人以上のボランティアだ。集まったボランティアを受け入れ、その活動を調整する仕組みはなかった。活動は思うようにできず、不満が募る現場もあったという。さらに、1か月余り経つと被災者との関わり方に難しさも現れた。
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- 阪神・淡路大震災
矢守も当時、被災地に行ったが何をしていいのか分からなかったと言った。「ボランティア元年」はボランティアもどこまでしていいか分からないし、被災者もどこまでお願いしていいのか分からなかったという。阪神・淡路大震災での課題は「支援のミスマッチ」があった。過去の教訓から、現在では受け入れる窓口や送る物資が指定される形になっている。募集している期間内に指定されている場所に指定の方法で送るを心がけないといけない。1つの箱には1種類のものだけを入れ、物資の内容を外に記載する。
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- 阪神・淡路大震災
阪神・淡路大震災で出た課題を受けてその後、ボランティアの受け入れの方法や支援のネットワークが整備されている。社会福祉協議会などが立ち上げるボランティアの窓口「災害ボランティアセンター」は新潟県中越地震の頃から徐々に整備された。また、専門性を持つボランティア団体が次々と発足した。これでかで仕組みを整えても東日本大震災では支援の「もれ」「むら」があった。
2015年9月、関東平野を縦断する鬼怒川が決壊し茨城県常総市では大水害が起きた。市の3分の1が浸水し全半壊した住宅が5000軒に上った。この大水害に全国から災害ボランティア団体が集まった。神戸の被災地NGO協働センターを立ち上げた村井さんは様々な災害現場で復興をサポートしてきた。被災地は東西4km南北18kmの広範囲にわった。川の決壊から3日後、ボランティアセンターに支援団体が集まった。大きな災害が起きると地元の社会福祉協議会によって設置された。中には大工や土木などさまざまな知識をもった人達もいる。村井さんは連携するネットワークづくりをした。地元でNPOの代表をする横田さんを中心に再建に取り組んでほしいと考えた。集めた情報を連絡会議で共有する。全国の災害ボランティア団体があつまるネットワークJVOADが発足した。熊本地震ではボランティア団体と行政が連携した情報共有会議が立ち上がった。
2015年の豪雨災害のあと2016年の熊本地震からJVOADが発足した。東日本大震災で個人ボランティアをまとめるセンターもできていて必要だったのが連携を共有することであった。兵庫県はボランティアの宿泊・交通費を支援する制度を行っている。被災地が兵庫県の場合は県内・県外に拠点を置く団体などが対象となる。被災地が県外の場合は県内に拠点を置く団体などが対象である。埼玉県は災害前にボランティアネットワークづくりを行っている。
2016年4月に起きた熊本地震。2回に渡り最大震度7の揺れが街を襲った。被害を受けた村の1つである西原村では7割の住宅が全半壊した。地震発生直後から村で住民を支えたのは、災害ボランティアの鈴木隆太さん。鈴木さんの支援スタイルは、現場に長くとどまり支え続けるというもの。阪神・淡路大震災では9年、2004年に起きた新潟県中越地震では5年現地で支援を続けた。西原村の古閑地区では、今後もこの集落で生活を続けていくのか。住民たちは選択を強いられていた。
そこで鈴木さんは住民全員を集め、みんなで意見を言う場を設けることに。まずは集落の良いところを語り合ってもらった。集落から出るかどうか考える前に、ふるさとへの想いを共有することが大切と考えたという。また鈴木さんには古閑地区の人に聞いてほしい想いがある。向かったのは中越地震の時支援に入った新潟・長岡市のとある集落。大きな被害を受けたこの集落では元の姿を取り戻していた。西原村に戻り、鈴木さんは長岡からのメッセージを届けることに。長岡からの声を聞いた住民たちは前を向いていた。
鈴木さんの災害ボランティア活動について、平さんは「被災された方みんながみんな同じ気持ちではないし、その人にあったサポートをされていたのが人として素晴らしい」とコメント。六角さんも「なかなかできることではない。そのニュアンスの中にはモチベーションを持続する力がすごいのと、ボランティアの人も食べていかなければならないという意味合いがある」などと話した。西原村の古閑地区では今は20軒近くが再建しており、新しい家を立てる予定がある人もいるという。また古閑地区の住民の中から、九州各地の豪雨被害の被災地でボランティア活動に取り組む人も出てきたとのこと。
トルコのハタイ県。2万3000人が亡くなった被災地だ。神戸の国際災害NGOのCODEの吉椿さんが向かった。中国、パキスタン、フィリピンなどの災害現場で支援してきた。去年11月にはハタイ県のアンタキヤへ。トルコに入るのは、5回目。古い建物は耐震性が低い。地震から9ヶ月を過ぎても、解体や瓦礫の撤去が続いた。ある住宅に向かった吉椿さん。この場所で生活を再建していきたいという住民たち。2015年のネパール大地震で、ヒマラヤのグデル村の住宅再建に取り組んだCODEのメンバー。石を粘土で固めただけの家が多かった。木枠を組み合わせることで、耐震性を高めた。周辺の村の大工を集め、耐震技術を広めるプロジェクトとなった。それを聞いたハタイの人たちは、地震に強い家を作ると述べた。被災の中から立ち上がろうとしている人々がいた。
建てなければいけないという気持ちになってもらって、そのための技術を伝えた。仲間に広めていけるという。吉椿さんは今月末からまたトルコに行く予定だとのこと。災害ボランティアセンターができあがるのでそのHPをチェックすることが大切だ。NPO、NGOが複数あるので、そこへ連絡をしてみるとボランティアの情報を教えてくれるという。平さんは、自分でもボランティアをやりたいという。六角さんは、お芝居などで、被災地の人の助けになりたいという。応援したい、応援してよという気持ちの接点を見つけることが大切だという。