- 出演者
- 渡辺和洋 新美有加 関谷直也 木村幹夫
オープニング映像。
「ウワサのお客さま」に届いた視聴者からの声を紹介。「花火特集がすごくキレイで癒やされた」などの声が寄せられた。
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- ウワサのお客さま
「人志松本の酒のツマミになる話」に届いた視聴者からの声を紹介。「ダラダラしながら見るのが楽しみな番組」などの声が寄せられた。
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- 人志松本の酒のツマミになる話
「呼び出し先生タナカ」に届いた視聴者からの声を紹介。「ダラダラしながら見るのが楽しみな番組」などの声が寄せられた。
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- 呼び出し先生タナカ
「ジャニー喜多川氏による性加害を認定したニュースを報じた 報道・情報番組」に届いた視聴者からの声を紹介。「確定されていない被害者人数の発表には疑問を感じる」などの声が寄せられた。
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- ジャニー喜多川
きのう関東大震災の遭難者慰霊大法要が行われ、秋篠宮御夫妻がご出席された。1923年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災はマグニチュード7.9・最大震度6で死者数は約10万5000人となった。その後も阪神・淡路大震災や東日本大震災が日本を襲った。そんなとき、メディアがどのような役目を果たしてきたのか特集する。
ゲストの木村幹夫と関谷直也を紹介。「関東大震災から100年 災害におけるメディアの役割 」についてトーク。関東大震災の詳細をおさらいし、当時テレビもラジオもない中、東京の新聞社は壊滅的被害であったため、口コミによる伝達が基本で、避難場所という概念もなかったのだなどと関谷らが伝えた。1923年9月4日付の東京日日新聞の記事を紹介し、誤情報も流言に近いものも多く報じられていたなどと関谷らが解説した。伝聞のデマで朝鮮人が井戸に毒を入れたと広がり朝鮮人虐殺が発生したと絵巻をもって説明し、研究者の小笠原と中継し、小笠原は当時流言が広がりやすい状況になっていたなどと告げた。関谷は災害でラジオが有効活用されるようになるのは1964年の新潟地震以降であり、トランジスタラジオの登場でローカルな身近なものを伝えるメディアとしても活用されていたなどと話した。
「東日本大震災 災害に応じた伝え方に課題」についてトーク。2011年に発生した東日本大震災は最大震度7で死者数は1万5900人となり、福島第一原発事故も発生した。調査によると当時避難時に役に立った情報源はラジオ・29.2%、防災無線・21.4%、テレビ・12.4%、ニュースなどのウェブサイト・0.8%であり、停電も発生したため当時は車載テレビで情報を得ていた人々も多かったなどと木村らが伝えた。関谷らは当時のテレビ報道について、災害の様子が繰り返し流されている状況が続き、被災地によっては視聴するのを避ける被災者、リアルタイムの情報を得るためにしがみついて視聴する被災者などに分かれていたなどと告げた。小笠原と再び中継を繋ぎ、小笠原は東日本発生当時、製油所の火災が発生し、有害物質を含んだ雨が降ると流言がSNSなどで拡散され、情報交換することで事態を理解しようとするコミュニケーションが生まれていたなどと説明した。
2016年に発生した熊本地震でのメディアの役割についてトーク。木村らは熊本地震発生当時はすでにネット社会が成長し、最初に緊急地震速報を聞いた手段は殆が携帯・スマホであったものの、避難所を探す場合にはテレビが一番役に立ち、調査結果でも当時一番頼りにされていたメディアはテレビであったなどと解説した。テレビだからこそ出来る情報提供について関谷らは、情報の正確さは新聞メディアなどに劣るものの、テレビではインパクトを与えることができ、即時性のある情報提供はテレビにしかできないためそうした役割を担うことは今後も変わらないなどと説明した。
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- 平成28年熊本地震
関東大震災100年の真実の番組宣伝。
渡辺アナらがエンディング挨拶を行った。