- 出演者
- 藤井彩子 澤田拓海 須田亜香里
テーマは「縄文人」。愛知県での研究によって従来のイメージがアップデートされている。ものづくり愛知のルーツが縄文に。私たちの原点が縄文人から見えてくるという。
- キーワード
- 愛知県
オープニング映像。
きょうのテーマは「縄文人」。愛知県・渥美半島には縄文時代の遺跡が30以上ある。保美貝塚、伊川津貝塚、吉胡貝塚は日本有数の規模。この3つの貝塚からは全国で最も多くの人骨が出土していて、新事実が続々と発見されている。
愛知県田原市の保美貝塚を取材。田原市教育委員会・増山禎之学芸員が案内。縄文時代後期から弥生時代の初めにかけておよそ1000年の間ここに集落があった。縄文人が食べた無数の貝殻は白く風化している。貝輪という貝殻のブレスレットは主に女性が身につけていたという。渥美半島は、原料の二枚貝が豊富に取れることから、貝輪の一大生産地になったと考えられている。増山学芸員は「愛知県で一番初めの特産品は貝輪だと思う」と話す。保美貝塚の特徴は、作りかけのものはたくさん見つかるが、完成品はほとんど見つからないということ。ここから考えられるのは、いろいろなところに交易で出していたのではという。
やり手のビジネスマンだったかもしれない保美貝塚の縄文人。それと日本一太い骨とがどう関係しているかについて、東京大学総合研究博物館・海部陽介教授は「骨は運動すると太くなる性質がある(保美貝塚の縄文人は)激しい運動をしていた」と話す。渥美半島の先端に位置する保美貝塚では、紀伊半島の山で採れる特別な石材が見つかっている。紀伊半島と交易をしており船で行き来していたらしい。彼らが遠くの海に漕ぎ出した理由とされるのが、タイは小さいときは三河湾で成長して大きくなると外界に出ていくので、その大きいやつを狙って出ていったという。
伊川津貝塚では犬が見つかっている。縄文人は犬を狩りのパートナーに使い、墓を作って弔っていたことまではわかっていた。しかし今回初めて見つかったのが、貝で作った加工品や副葬品。東京都立大学人文社会学部・山田康弘教授は「犬に対して手向けの品々を入れると分かったこともすごく大きな話」と説明。
増山さんは子供の頃から縄文人に憧れていたという。勉強すればするほど縄文人の凄さ、技術や知恵を知ることになったという。吉胡貝塚資料館のスタッフが作ってくれた衣装を着用。犬の墓から見つかった貝殻の本物を持ってきてもらい拝見。この貝自体は食べるための貝ではないという。食べるためではない貝をわざわざ持ってきて穴をあけ、なおかつ犬の墓に一緒にいれるということは、普通の犬の埋葬ではなく特別な感情を込めて貝の加工品をいれたということがわかっている。今回初めて見つかり、自分自身でも信じれない驚きだったという。縄文人がどんなものを食べていたかについて、我々と同じように肉や魚、植物性のものなどバランスよくとっていたという。特にウナギも沢山食べているという。特に保美貝塚の方はアシカを重要な食用資源にしていたことがわかっている。
伊川津貝塚で見つかった2体の骨。大人の女性と6歳ほどの子どもで、1つの墓に重なり合うように埋葬されていた。これまで、こうした埋葬をされるのは親子などごく近い血縁関係であると考えられていた。ところが、わずかに残ったDNAを調べた所、少なくとも母親と子どもではないということが明らかになった。太田さんによれば、縄文人の人間関係の定説がひっくり返る可能性が出てきたという。貧富の差や身分の差が出てくるのは農耕が始まって以降だと今まで考えられていたが、主人の子どもと従者みたいな関係だった可能性もあり得るため、大きな発見につながってくるという。
縄文時代中期から抜歯は全国的にはやるが、東海地方で特に過激化し、後期・晩期に非常に過激化して8本ぐらい歯を抜くという。抜歯は、成人や結婚など人生の節目を迎えた時に多くの人に施されたという。仲間意識みたいなことがあってやってる可能性もあるという。
- キーワード
- 東京大学総合研究博物館
須田さんは「苦しかったときを共に超えた仲間って結束力高まる」などとコメント。渥美半島を始め三河地方だけで見つかった風習は、14人以上の骨で幾何学上に並べられている。別々に埋葬されたものを掘り出して、他の人のものと混ぜて一箇所にして埋葬し直している。そこまでして連帯感を強めなければいけない理由は、自然の力に勝てないという意識があるので、克服するには自然を崇める事が必要になるという。視聴者からのメッセージ「全く知らなかった。渥美半島の縄文人すごい」「縄文時代の人が今の私達の生活をみたらどんな風に感じるか聞いてみたい」などと紹介。増山さんは、「縄文人の生き方を学ぶことによって我々は学ぶことがすごくたくさんあると思う。縄文人に習って生きていくと良い世の中になるんじゃないかと思ってる」などと話した。