- 出演者
- 鈴江奈々 木原実 森圭介 菅原薫 山崎誠 瀧口麻衣 直川貴博
オープニングが流れた。
汐留サマースクール2025を紹介した。汐留サマースクールの主役は子ども。アナウンサー体験が出来たりする。
原爆投下直後の長崎を舞台に救護に奔走する看護学生の姿を描いた映画「長崎-閃光の影で-」。都内で舞台挨拶が行われ、福山雅治のメッセージ動画が上映された。今回、主演・菊池日菜子たちが歌う映画の主題歌を手掛けた。2014年に長崎復興のシンボルとして知られる”被爆クスノキ”をテーマに制作した楽曲をアレンジした。
アジアカップ決戦の地サウジアラビア。バスケットボール男子日本代表が明後日の初戦に向け、試合会場で初の練習を行った。大会直前にメンバー入りした富樫勇樹選手らW杯・五輪を経験した3選手も合流。54年ぶりアジアの頂点へ。まずは無条件での準々決勝進出に向け、グループステージ首位通過を目指す。
有吉ゼミの番組宣伝。
汐留サマースクール2025で行われたのが合唱隊の発表会。歌声と手話による合唱。瀧口も練習に参加した。菱沼悠太さんは出生時に重度の難聴と診断された。1歳の時に人工内耳の手術を受け声と手話の両方でコミュニケーションを取っている。会場には観客約150人が集まった。できることに目を向けたオリジナル曲を披露した。
箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟。ここで見せてもらったのは、戦時中に行われた「関東学徒鍛錬継走大会」の資料。昭和18年1月5日・6日に行われた。箱根駅伝は、太平洋戦争が始まって以来中止されていたが、戦時中に一度だけ開催されていた。その年の10月には、出陣する学徒の壮行会が行われるなど、学生はいつ徴兵されるかわからない情勢だった。学生たちは軍部にかけあい、大会開催を目指すも、戦時下で開催すると軍事輸送の要である東海道が使えなくなることが問題に。そこで、学生たちはスタートを靖国神社にし、戦勝祈願の駅伝にすることで、軍部を説き伏せ、開催にこぎつけた。11校が参加した。当時参加した成田静司さんは、箱根駅伝が終わったら戦争に行く、これで終わりだという思いで、各大学の選手の必死だったなどと話していた。成田さんは復路6区を走り、日本大学の総合優勝に貢献した。日大にある当時の資料には、箱根駅伝の前年の合宿などの写真が残されている。野営で軍事教練する成田さんの姿もあった。最終10区で、日大は3位で襷を繋ぎ、八ツ山鉄橋で順位を上げ、1位でフィニッシュ。成田さんは、レース後、各大学の選手と肩をたたきあった、走り抜いたことでみんなの健闘を祝しあったなどと話した。
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- フジカラーエムジェイシー中央大学八ツ山橋品川(東京)太平洋戦争専修大学成田静司日本テレビ放送網日本ニュースネットワーク日本大学立教大学立教学院史資料センター第101回東京箱根間往復大学駅伝競走第17回東京箱根間往復大学駅伝競走第18回東京箱根間往復大学駅伝競走第22回東京箱根間往復大学駅伝競走箱根神社箱根(神奈川)関東学生陸上競技連盟靖国神社鶴見中継所
箱根駅伝の9ヶ月後、駅伝に参加した学生のほとんどは出征することになった。成田静司さんは、74歳で亡くなるまで50年以上日記を書き続けていた。そこによく記されていたのは、日本大学で7区を走った山手さんの名前。昭和18年11月24日、学徒出陣で出征する山手さんを成田さんは、東京駅で見送った。その後、成田さんも出征。1年が過ぎたころ、成田さんは、特攻隊に入ることになった。戦況は悪化するも、成田さんは、特攻の出撃命令が出ることなく、終戦を迎えた。戦後は、故郷で会社を起こし、家庭を築いた。山手さんの故郷は、広島県福山市。親族のもとに保管されていたのは、戦地に赴くときに残した日本大学の卒業証書など。山手さんは、昭和20年5月10日、フィリピンで21歳で戦死した。成田さんは戦後、山手さんについて語ることはなかったという。箱根駅伝から40年後、成田さんは若者たちに向けて、戦争のない平和の日本の幸福なアスリート諸君よ、青春の血をグラウンドに懸けるのも人生の尊い思い出の一コマではないだろうかなどとの言葉を残している。
森さんは「私達が当たり前だと思っていることは戦争のときにも走りたいと思った若者たちの情熱があったからこそなんだということを感じた」などと話した。
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こどもウイークの紹介をした。
紫外線対策とレンズの濃さ、色は関係ない。紫外線が気になる時はレンズの色ではなくUVカット率、紫外線透過率を見ることが重要。UVカット率は数字が高い方がよく、紫外線透過率は低いほうがいい。
気象情報を伝えた。
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全英女子オープンで海外メジャー初優勝を果たした山下美夢有選手。女子ゴルフで海外メジャーで優勝したのは1977年の樋口さんから始まり山下選手は史上6人目となった。山下美夢有選手のプロフィールを紹介した。24歳で大阪・寝屋川市の出身。身長は150cm。2022年に史上最年少で年間女王となり約2億3500万円を獲得した。今大会の優勝賞金は約2億1600万円。山下美夢有選手は5歳でゴルフを始めた。ゴルフに目覚めたきっかけは父がゴルフの練習場に連れて行ってくれたことだという。仕事帰りの父に頼み練習場で毎日300球以上打っていたとのこと。小学校の卒業文集に将来の夢はプロになりたいとしていた。ミヤギテレビ杯で18H12バーディ、ツアー最少ストローク60の記録を樹立した。おととしの父の日にニチレイレディスで優勝し「恩返しできてうれしい」などと語っている。
きょうは北陸が特に暑く、石川・小松市で40.3℃を観測。富山市では40℃に迫る観測史上最高の気温に。この暑さに涼を求めて図書館が賑わっていた。関東でも猛烈な暑さとなり、群馬・桐生市では38.2℃、埼玉・熊谷市で38.8℃となっている。東京都心も3日連続の猛暑日。八王子や青梅では38℃以上となっている。
松山市などで猛暑日となった愛媛県。伊予市ではスイカが最盛期を迎えている。毎朝収穫したものを販売している店には大量のスイカが。1日200個並ぶ日も。今年のスイカは糖度が高いそうだが、暑さで表面が一部焼けてしまったという。今年の夏は少ない雨も問題になっている。広島県では今月1日夜に山火事が発生。雨が少なく乾燥した日が続いていることも影響し、4日目の今日も鎮火の目処が立っていない。これまでに約8ヘクタール焼けたが、建物や人への被害は出ていないという。7月の降水量が17ミリと観測史上最少となった富山・魚津市では干上がった田んぼのために給水車が出動。今は穂が出始めて多くの水を必要とする時期。魚津市は今後も気象状況を確認しながら給水などの対策を取っていくという。
街で真夏のストレスは?と質問。わが子と親戚の子と4人を連れて出掛けていた女性は「洗濯物と3食考えなきゃいけないのが大変」と話した。高校生は「気温の変化で体調を崩す」と話した。大学生は「夕方の満員電車で肌が触れ合うとベタベタして嫌」と話した。
Q.“真夏のストレス”は?と出演者に質問。鈴江アナは「小松菜の使い終わった部分を水に浸けて育ててるリボーンベジタブルをやっているが、数日放置したら溶けてて、ものすごいニオイを発していた」等と話した。
約2か月ぶりの予算委員会に臨んだ石破首相。「続投」について、立憲民主党・野田代表は「民意を無視した居座りにしか見えない」、国民民主党・玉木代表は「いつまで続投されるんですか」と追及。石破首相は「日米合意は私どもの政権において米国と交渉を続けてきたもの。不当な不利益を受けないか見ていかねばならない。それがいつまでかということは断定できない」と説明。その関税協議を巡っては日米の合意文書がかわされていないことについて野田代表が追及。石破首相は合意文書を作ることで関税を引き下げる時期が遅れることを一番恐れていると述べ理解を求めた。一方で参院選の焦点でもあった物価高対策を巡り、自民党が掲げた給付を行うのか、野党などが掲げた減税を行うのかについて。野田代表は「自民党の候補者の中でこの給付金の話を公約として喋っている人はほとんどいなかった」などと話した。石破首相は「十分にご理解をいただけたと思っておりません」などと話した。
今日のポイントは野田代表も石破首相に合わせる形で比較第一党、比較第二党と強調したこと。平本さんは選挙前には対立した面が多かったが二人が協力して何かを進めていこうと意欲を感じたという。ガソリン暫定税率の廃止について石破首相は「早急な実現に向けやれることはやる」と述べた。給付金については野田代表が1人2万円の食卓応援給付金をやろうと持ちかけた。給付に関しては立憲と一緒にやることも否定しない姿勢を示した。立憲民主党内からは「選挙で負けた石破首相に助け舟を出すのはおかしい」という声も出ている。