- 出演者
- 石塚英彦 狩野恵里 深沢邦之
日本橋三越本店は三井高利が創業した越後屋がルーツ。その後1904年に日本初の百貨店を宣言し開業。建物は国の重要文化財に指定されている。入口のライオン像は1914年に設置。当時の支配人が欧米の百貨店を視察した際に見つけたロンドン・トラファルガー広場のライオン像がモデルとされる。誰にも見られずに背にまたがると願いが叶うと伝わる。
「特別食堂 日本橋」はお子様ランチ発祥の店。1929年世界恐慌で大きな打撃を受け不況の中、子どもたちを思う気持ちからお子様ランチが誕生した。当時のメニューはケチャップライス・スパゲッティ・コロッケなど。問題「日本橋三越本店が始めた今のお子様ランチでは当たり前の“あるもの”とは?」、正解は「旗」。
「お子様ランチ」を命名したのは松坂屋上野店。日本橋三越本店が「御子様洋食」を販売した翌年の1931年から「お子様ランチ」の販売を開始。「お好みダイニング カトレヤ」では食堂がリニューアルしたあともお子様ランチを提供している。当時のメニューはオムレツ・コロッケなど。問題「お子様ランチの名称を広めた松坂屋が新たに取り入れたあるものとは?」、正解は「日本の国旗」。またおまけを最初に付けたのも松坂屋。現在の「お子様ランチ」はおまけのコインでカプセルトイがもらえる。
オープニング映像。
問題「日本橋の老舗書店・丸善で誕生したある料理とは?」、正解は「ハヤシライス」。1869年、戊辰戦争が集結し新政府により国内が統一。丸善の創業者で医師でもある早矢仕有的は患者に牛肉の摂取を勧めた先駆者。早矢仕先生のライスとしてハヤシライスが誕生。その後西洋物資の輸入の中でも洋書の販売に力を入れ書店としての形態に発展していった。デミグラスソースが日本で普及したのは明治時代後半で当時は醤油やみそ味のハヤシライスだったという。
日本での焼き肉のルーツは終戦後、屋台でホルモンなどの安価な肉が提供されたこと。浅草の焼肉横丁は昔ながらの安くて美味しい店が約10軒並ぶ。1964年創業「金燈園」は焼肉横丁で最も古い焼肉店。昔ながらの漬け込みスタイルの焼き肉を提供していて秘伝のタレは創業当時からの継ぎ足し。
深沢邦之は創業61年「金燈園」で受け継がれる昔ながらの漬け込みスタイルの焼き肉を堪能した。焼き肉店は高度経済成長期に増加したという。問題「外食中心だった焼き肉が家庭に広まったきっかけとは?」、正解は「エバラ焼肉のたれ」。創業者・森村國夫が町の焼き肉店を数十軒調査し味の決め手となるタレに着目。こうして商品化に至りテレビCMで大人気になった。1978年に素焼き用のたれとして「黄金の味」が発売された。
石塚英彦は試食がないことに不満を漏らした。
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よじごじDaysの次回予告。
