- 出演者
- 長谷川博己
オープニング映像が流れた。
アルプスの山々に囲まれた自然豊かな長野・駒ヶ根市。この街に「JICA駒ヶ根 訓練所」がある。朝8時前、駐車場に年齢がバラバラな男女が集まってきた。海外協力隊の訓練生は全員で115人で6割以上を女性が占めている。中にはシニアの姿もあり彼らはここでの合宿を終えると途上国支援に派遣される訓練生たちである。8時45分に授業開始となり、1限目は語学で2人の訓練生が習うのはシンハラ語というスリランカ公用語の1つである。障害者支援のため渡邊揚さんはインド洋の島国・スリランカに赴任する。スペイン語の教室は5人が学ぶクラスにいる天本保さんは50年以上続けている剣道を教えに南米のアルゼンチンへ。剣道人口が500人ほどというアルゼンチンでさらに広めるためである。73日間泊まり込みの合宿で1人1人には個室が与えられている。竹内紀彦さんは異色の経歴の持ち主で派遣先は中央アジアのキルギスである。求められたのは外国からの投資をキルギスに呼び込む専門的な実務経験であり、外資系投資会社を退職して今回応募していた。隊員には177の職種で応募でき春と秋の2回募集があり、面接試験などを通った候補生が最終合宿に参加できる。かつては青年海外協力隊だったが今は青年の文字がなくなった。今回も15人のシニア訓練生がいる。派遣期間は原則2年だが1か月からの短期派遣もある。現在74カ国で1635人が活動中となっている。11月に都内で両陛下ご出席の下開かれたのが海外協力隊発足60周年の式典である。戦後、アジア太平洋諸国への償いとして始まった日本の国際援助。南米やアフリカなどへも広がり、これまでにのべ99カ国へ約5万8000人が派遣されてきた。国際貢献の未来が問われる今、その最前線はどうなっているのか海外支援の原点を見つめる。
オープニング映像が流れた。
長野県駒ヶ根市にある海外協力隊の訓練施設でこの日特別な授業が開かれようとしていた。語られたのはJICA史上最悪の事件である。バングラデシュの首都・ダッカでイスラム歌劇はがレストランを襲撃。居合わせたJICA関係者7人も巻き込まれて亡くなった。講師は警視庁出身の専門家である。こうした事件の他にも交通事故や病気で命を落とすこともある。11月19日、2025年度第二次隊の訓練生たちは修了式を迎えた。訓練生115人全員が修了試験に合格し12月中旬にはアルゼンチンに向かう剣道の天本さんもいた。
長谷川博己は「いつも綺麗で清潔な水が手に入る。それは当たり前の事ではありません」などと話した。
大河メコンの源流はチベット高原で6カ国を流れて南シナ海へ注ぐ東南アジア最大の川である。そのメコン川が縦断するように流れるのがラオスで人口は約758万人となっている。首都はビエンチャンで国民の6割以上が仏教を信仰する国である。11月は愛子さま初の海外訪問先にラオスを選ばれた。外交樹立70周年を記念してのものである。その際、現地で活躍する海外協力隊員の活動成果を視察されている。柔道の指導にあたっているのは元自衛官の菊池友輝さんである。実は60年前、初の海外協力隊員の赴任先がラオスであった。現地の高校で日本語を教えた山下さんと竹下さん、野菜作りを指導した森永さんと随林さん、そして稲作を指導したのが最年少の大西規夫さんである。ラオスの空の玄関口・ワットタイ国際空港に隊員第一号の大西さんの姿があった。人気を終えて帰国以来、58年ぶりの訪問である。当時、隣国のベトナムは戦争真っ最中でラオスにも爆弾が落とされた。北ベトナムの補給路が作られていたため、戦火に巻き込まれたのである。ラオス訪問2日目に大西さんが向かったのはビエンチャン郊外にある政府の農業施設である。大西さんが米作りの指導のために派遣された場所だった。大西さんの実家は北海道の米農家でアメリカでも農業を学んだ。当時の様子を伝える貴重な写真では田んぼに直接種もみをまく直播きとなっていた。収穫量も少なく、雨季に雨が降ると種もみが流され思うように収獲できない年も。そこで大西さんは苗を育ててから植える田植え方式を導入した。大西さんが伝えた田植え方式はその後ラオス全土に広がり、収穫量が劇的に増えていった。
訪問3日目、現在ラオスに赴任中の隊員49人が揃った。その最前列に大西さんの姿があり少し緊張した面持ちである。現れたのはソーンサイ首相であり、わざわざ大西さんの側まで来てくれ記念写真を撮ることとなった。大西さんは60年前に共に赴任した今は亡き仲間の写真を持参していた。
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- ソーンサイ・シーパンドーン
ビエンチャンにあるJICAラオス事務所では1期生の話を聞こうと現役の隊員たちが集まった。JICAは全国4つの市をアフリカ諸国の「ホームタウン」に認定しすでにある姉妹都市のような構成だったが、移民を受け入れる制度だと誤った情報が拡散されてしまった。
長谷川博己は「必要なのは知識と工夫。習性を理解していればこんなものでタコを捕らえることもできるんです」などと話した。
1977年、モーリタニアへと渡りタコ漁を広めた中村正明さん。今や日本におけるタコの輸入量のうち3分の1がモーリタニア産である。日本の国際貢献はJICAが主に担う政府開発援助(ODA)が根幹をなす。その7割は有償資金協力であり利子をとる貸付で返済も進んでいる。一方無償資金協力などの国の予算は1977年にピークを迎え1.1兆円となり、その後は減少し現在は半分ほどとなっている。その無償資金協力の中に海外協力隊が含まれている。60年を迎え、政府はその意義を強調した。
10月中旬、ラオスの首都ビエンチャンで協力隊60周年を祝うイベントが開かれていた。輪の中にいたのは川口泰広さん。長年化学メーカーに務め、工場排水の管理を行っていた。培った経験を携え貢献しようとしていた。この日川口さんはラオス南部に飲水の調査にやって来た。住民約2500人の村がその対象である。伝統的な高床式住居に大家族で暮らしている。農村部の平均月収は1~2万円である。初めての村でまずは挨拶と調査の目的を伝えた。見えてきたのは立派な井戸で日本の無償資金協力で設置されたものであった。地下50メートルから汲み上げた水だがこの多きさの井戸は村に2つしかない。ラオスの水道普及率は約25%で4人に1人しか使えない。メコン川にかかるパクセー橋も日本の無償資金協力で建設した橋である。川沿いに広がるのが人口約10万人のパクセー市。ラオス第3の町の水道を担う浄水場が川口さんの派遣先である。1973年にフランスの援助で建設され、2003年からは日本が技術支援している。母なる川であるメコン川の水を汲み上げて浄水処理していた。川口さんの日課の1つが水のサンプリングである。市内では水道の普及が進む一方で施設の老朽化もあり、汚れがなかなか取れない。そこで水の汚れを取る薬剤をどの程度投入するか日々の細かい調整が必要となる。実際に作業するのはラオス人の職員でスポイドで薬剤の量を測るが川口さんは不安げであった。繰り返し教えても同じような失敗をする職員が多いのである。
仕事終わりに川口さんが立ち寄るところは町の市場でここに来れば大抵のものが揃う。隊員には月に5万5000円の手当と派遣された国によって約700ドル前後の生活費が支給される。さらに川口さんが向かったのは大きなスーパーである「スーパー ベストコ」である。朝9時から夜10時まで営業している。様々な商品が並ぶ中、川口さんは真っ先に米売り場へ。選んだのはラオス産の米で1キロ約140円という安さであった。飲料水を買っているのには訳があり、スマホで決済してのんびり歩いて帰ることに。職場から徒歩で30分、川口さんの住まいがあった。住居は提供されるため家賃はかからず1人暮らしには拾い2LDKとなっていた。キッチンでは困っていることがあり、入居した時から蛇口は使い物にならない状態となっていた。そのため洗い物は洗面所で済ませていた。そんな川口さんを送り出してくれた妻の智美さんは「今はSNSやLINEがあるのでひと昔前のようなことはないが事実いない訳だからちょっと寂しい。思ったより2年って長いと思う」とのことだった。ラオスで1人がんばる川口さんに大切なものを残してくれた人がおり、浄水場に掲げられた日本人女性の写真があった。
定年後の第二の人生をラオスで水道事業に懸ける日本人技術者の川口さん。20年前に派遣されていた大越弘美隊員の残した報告書では「あまりにも理解していないことにイライラしてしまった」とあり、川口さんは「反省している。今日も顔に出てしまった」とのことだった。かつてラオスの水道事業に尽力した海外協力隊の先輩である大越さんは現在は埼玉県で風力発電関係の仕事をしている。教育水準1つとっても大きく違う海外で人に教える大変さを川口さんは改めて噛み締めていた。翌朝5時30分、いつもこの時間に出勤となっていた。ラオスの朝の日常を横目に職場へ急ぐ。この日は大事な作業の予定が入っていた。川口さんが技術指導をしているパクセー浄水場は50年以上前に建設されたため、設備が老朽化していた。さらに予算がないため様々な問題に直面していた。水が漏れているのを防水テープで止めて応急処置をして市民からの苦情を見ていく。
10月下旬、この日浄水場で働く職員の親睦会が開かれていた。出来上がったのは川魚を使った地元の料理で職員たちが地元の食材を持ち寄って共に作り食べていった。穏やかでマイペースなラオスの人たち。あっという間に任期の半分が過ぎた。次々と問題が起き騎乗も寄せられるが、シットさんのように育て甲斐のある仕事熱心な若者もいる。
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- パクセー市(ラオス)
長谷川博己は「よく情けは人のためにならないと誤解され使われる事が多いが、正しくは人に情けをかけておくと巡り巡って結局は自分のためになるという意味。そんな相互扶助の精神が世界中で広がっていってほしい」などと話した。
「ガイアの夜明け」の次回予告をした。
「ワールドビジネスサテライト」の番組宣伝。
