- 出演者
- 八乙女光(Hey!Say!JUMP) 内村光良 知念侑李(Hey!Say!JUMP) 春日俊彰(オードリー) 若林正恭(オードリー) 山田涼介(Hey!Say!JUMP) 山崎弘也(アンタッチャブル) 高地優吾(SixTONES) 出井隼之介(ヤーレンズ) 楢原真樹(ヤーレンズ)
2025年に「周年」を迎えるものからクイズを出題する。
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2010年に九州新幹線開業を機に誕生したくまモン。2011年にはゆるキャラグランプリで優勝し、一躍人気者になっている。しかし誕生当時は今よりもすらっとしていて、手足も長かった。熊本グルメで現在の姿になったとのこと。そんなくまモンは破天荒キャラとしても大人気。例えば、お風呂リポートでいきなり入浴したり日本テレビ大人気長寿番組・笑点のアシスタントで登場したりとゆるキャラらしからぬ立ち振舞いが話題となっている。ここで志田こはくへ「会場を盛り上げたくまモンのある行動とは?」のクイズ。正解は「座布団にダイブ」とのこと。くまモン人気はさらに加速し、偉人に関する本に人間以外で初めてくまモンが登場。さらに人気に勢いをつけたのが豊富なグッズ展開だった。熊本県はPRにさえなればどんなものでも無料でくまモンを使える施策を実施。これまで4万2000件のグッズ許諾を出しており、2023年のグッズの年間売上高は過去最高額の1664億円となっている。
「東京オリンピックの聖火ランナーになれなかった理由は?」のクイズ。ヒントは「聖火ランナーの条件で国籍・性別は問わないが…」という。知念侑李が「人間じゃない」と答えて正解となった。熊本県がくまモンの聖火リレーを大会組織委員会に打診したところ、聖火ランナーとなる条件の1つは平成20年4月1日以前に生まれた人であるとのこと。そのためくまモンの生みの親である小山薫堂が聖火リレーを走ることとなり、くまモンは追走で参加することになった。ここで熊本県から特別ゲスト「くまモン」が登場。そして熊本の絶品ご飯のお供を試食となった。
今回は内村先生の出身地・人吉市の名産品でキクラゲと茎わかめを醤油で仕上げた佃煮「山の幸 海の幸」。そして、風味豊かで柔らかさと辛味が特徴の阿蘇たかなを炒めた「油いため」。さらに熊本県の家には必ずあると言われている、いりこを丸ごと粉砕し醤油などで味付けしたふりかけ「御飯の友」の3つを用意。スタジオに用意して実際に食べていった。
続いては「40周年 シルバニアファミリー」について。日本のみならず、世界80以上の国と地域で愛されるシルバニアファミリー。かわいい動物たちの人形で遊ぶドールハウスであり、全世界累計出荷数は2億体以上。人形のかわいさはもちろんだが、魅力といえば本物のような細かな作りである。繊細なデザインの美しさは昔から愛される利用の1つとなっている。ここで志田こはくへ「発売当初 小物にしていた工夫とは?」のクイズ。正解は「本物の陶器を使っていた」ということ。アイテムにも驚きの進化があり、1987年の洗濯は物干し竿と洗濯板だったが1989年には一層式洗濯機になりねじを回すとしっかり中が回るように作られていた。1997年に2層式洗濯機になり、2018年にはドラム式洗濯機に進化した。また発売当初は一色のみだったが、今では累計120種類以上になったとのこと。
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子どもたちを驚かせた革命とは?
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今年で40年のシルバニアファミリーだが「2020年に起こった大革命とは?」のクイズ。ヒントは「言われてみたらなかった」とのこと。高地優吾が「名前がついた」と答えて正解となった。人形をかわいがる人が自由に名付けてほしいという思いからあえて名前をつけていなかったが、海外で広めるにあたり愛されやすいと考え名付けたという。ちなみに「ウッチャンナンチャン」もデビュー40周年でシルバニアファミリーと同期とのこと。
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続いては「55周年 anan」について。1970年にフランスの女性ファッション誌の日本版として誕生。自分で服を作るのが普通だった当時、ananは既製品の服が載るカタログスタイルとなっていた。コーディネートの提案という今となっては当たり前の形をいち早く取り入れた。しかし当時は興味がわかない人もいて、順風満帆の船出とはならなかったという。だが1970年代に入り、旅を特集するようになると雑誌を片手に女子旅と楽しむ姿が各地でみられるようになりananやnon-noに影響を受けたアンノン族が社会的ブームとなる。ファッション・トレンドの最前線に立ち、2000年代以降は腸活・スーパーフードなどがananをきっかけに多くの女性に広まった。そしてananで常に話題を集めるのが表紙。時代を映す鏡のような存在で、女性が憧れる数々のスターが表紙を彩ってきた。
ananの名付け親とされる有名人は?
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今年55周年のファッション雑誌「anan」。ここで「ananの名付け親とされる有名人は?」のクイズ。八乙女光は「黒柳徹子」と答えて正解となった。anan創刊前に黒柳徹子はロンドンでパンダを見て、そのパンダの名前が「アンアン」だった。帰国後に雑誌担当者にその話をしたところ、誌名公募のアンケートにもアンアンという名前があるということになり決定したという。そのため、創刊以来ananの裏表紙にパンダのイラストがあるとのこと。そして「SixTONES」は今年でデビュー5周年のアニバーサリーイヤーであることを話した。
続いては「65周年 のりたま」について。年間売上は7億食となっている丸美屋・のりたま。昔のふりかけは魚が主流で高級品だったが、創業者・阿部末吉が「ふりかけをもっと大衆的な食品にしたい!」という考えのもと、旅館の朝食の定番である卵と海苔の組み合わせをヒントに1960年にのりたまが誕生した。当時は卵と海苔は高級品だったため、手軽にふりかけで味わえると大ヒットとなった。これまで時代に合わせ8度改良しているが、発売当初から入っている変わった材料がありそれは「こしあん」である。オードリー春日が好きなので一発ギャグをしてもらい面白ければ秘密を伝えるということとなり、春日俊彰は一発ギャグを披露。判定はバツで教えられないということとなった。
1964年の東京オリンピック後、建設ラッシュは新幹線などのインフラ整備を終えた1960年代後半。日本は不況に陥り、丸美屋も市場が4分の1になるほどと試練の時代を迎えた。起死回生のためにたらこ・ごま塩など新商品を発売したが業績は回復しなかった。しかしあるテレビ番組で小学生のアイデアを丸美屋が商品化し、それが業績悪化の窮地を救ったという。ここで「小学生が考えた丸美屋を救ったアイデア商品は?」のクイズ。山田涼介は「いろんな味をいれた」と答えて正解となった。通常のプラスチック容器の中に3つに区切り、フタを回転させることで好みのふりかけを選択できる3色パックを発売し大ヒットした。小学生ならではの欲張りな発想が受けたとのこと。
続いては「70周年 ミッフィー」について。1955年にオランダの絵本作家「ディック・ブルーナ」が書いた絵本から誕生したミッフィー。誕生当時は耳や手足は不揃いで目も今より小さく左右非対称だった。オランダ語で「うさちゃん」という意味の「ナインチェ」と名付けられたが、英語版を出版する際に英語名として「ミッフィー」と名付けられ、今ではそっちが有名になった。現在は世界50か国語以上で翻訳され愛され続けている。
ここで「ミッフィーの絵本に絶対ないものとは?」のクイズ。知念侑李は「正面以外のカットがない」と答えて正解となった。自転車に乗っているときも車に乗っているときも必ず正面を向いていた。これは作者ディック・ブルーナの絵本を読む子どもたちとミッフィーたちが常に目が合うようにしたいという思いからだった。ブルーナの故郷オランダには360度正面のミッフィー像もある。
続いては「100周年 雪印メグミルク」について。1925年に前身である「有限責任 北海道製酪販売組合」が設立。その2年目に起きた関東大震災で物資不足が深刻化し、安価な乳製品が海外から日本へと来た。仕事を失うピンチに陥った北海道の酪農家たちが集まり、牛乳やヨーグルト・チーズなど誰もが一度は口にしたことのある看板商品の礎を築いた。その歩みを振り返ってみると、1926年に出た最初の商品は雪印北海道バターだった。当初は木製のバター製造機を手で回し、箱詰め・包装まで手作業で行っていた。そしてバター料理のレシピを配布し、バター浸透の足がかりを作った。1935年には6Pチーズの前身である6ポーションチーズが発売。累計生産個数は20億個以上となっている。横に並べると地球4周分以上に及ぶという。1963年には雪印コーヒーが三角形のテトラパックで発売され、1970年に現在の形の500mlパックになった。1968年にはネオソフトの原点であるネオマーガリンソフトが食卓の仲間入りを果たすなど、我々の生活に身近な商品が数々世に送り出された。
ここで「バターの味を守る厳しい規定 禁酒・禁煙・?」というクイズ。山田涼介が「坊主頭」と答えて正解となった。当時は禁酒・禁煙・丸坊主の誓約書へサインが義務づけられていた。オードリーは今年で25周年となるが、春日俊彰は一番の思い出として「面白そうの場合一つも浮かばない」と話した。
続いては「100周年 キユーピーマヨネーズ」について。1925年に日本初のマヨネーズを発売し、発売当初は瓶に入っていたことから整髪料と間違えられ売り上げが伸びなかった。しかし現在ではマヨネーズ市場のシェア50%を誇るほどとなった。卵の年間使用数はなんと42億個。卵の盛り上がりが高い鮮度の良いものを使用しており、高速割卵機で0.1秒に1個のスピードで卵を割っている。使用しない卵白はかまぼことなり、殻はチョークなどに有効活用されている。他にもキユーピーといえば日本テレビで最も続く番組「キユーピー3分クッキング」があり「毎日の献立のヒントを提供したい」という考えからスタート。
現在、世界で1万人以上が働くキユーピーグループ。「2024年の入社式が行われた変わった場所は?」のクイズ。ヒントは「マヨネーズと関係ある食べ物」とのこと。八乙女光は「野菜畑」と答えて正解となった。コロナ禍で学生時代に交流に制限が多かった新入社員に思い出に残る入社式をと考え、野菜の魅力を体験できる入社式を実現したという。正解した春日チームにはご褒美となり、「卵を味わうマヨネーズ」が出てきた。一定期間熟成し、卵黄成分がうまみ成分に分解されコクのある味わいになっているという。
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続いては「135周年 帝国ホテル」について。マリリン・モンローやチャップリンなど歴史に名を刻む人物が宿泊したことでも知られ、顧客満足度調査では16年連続1位の日本を代表するホテルである。館内には日本庭園や茶室などもある。歴史の始まりは1890年に遡り日本が世界と並ぶ国としての地位を築こうとしていた頃、政府や財界からの出資により国策として誕生したのが帝国ホテルとなる。宿泊料は50銭~7円で現在の価格では1万円~14万円となっていた。ホテル業界初のサービスを数々導入し、1911年には日本初のランドリーサービスを始め外国の来賓が長い船旅で訪れるため大型ランドリーを設置した。このサービスは今も高い評価を受け、キアヌ・リーブスと北野武が共演したJMでは「シャツの洗濯を頼みたい。できれば帝国ホテルのランドリーのような」というセリフがあり、それはサービスに感激したアドリブだったとのこと。1923年にはホテルで初めてウエディングサービスを開始し、関東大震災で神社が焼失したことでホテル内に神社を設置して挙式と披露宴を1つのホテルで行うことを定着させた。そしてバイキングスタイルの食事を初めて開始したのも帝国ホテルである。