- 出演者
- 名倉潤(ネプチューン) 良原安美 相武紗季 小倉優子 谷まりあ 河井ゆずる(アインシュタイン) アレン
スタジオメンバーの「これって私だけ?」な食べ方を紹介。小倉はシーフードカップ麺にタバスコ、名倉はカレーカップ麺にキムチ、河井はカレーに生卵、ウスターソースを入れると話した。
外国人はが「異常に柔らかい」「甘みがある」「最高の組み合わせ」と話していたのはすき焼き。衛生基準の違いから、外国人には卵を生で食べる発想がなかった。
- キーワード
- すき焼き
デンマークにある日本食堂を取材。デンマークの面積はほぼ九州と同じで、人口は約600万人。童話作家アンデルセンの故郷で、フライングタイガーコペンハーゲンもデンマーク生まれ。デンマークでは約4割の人が環境に優しく健康的な自転車を通勤手段として利用している。電車にも自転車と一緒に乗ることが可能。子供を乗せる自転車や霊柩自転車もある。消費税は25%で、ビッグマックセットは約2115円など物価が高い。氷点下のなか毎朝運河で寒中水泳する文化があり、運河沿いには会員用サウナが設置されている。寒中水泳愛好会は200以上存在する。日本食堂BENTOを営むひろ子さんは80歳で、57年前に23歳で単身デンマークに移り住んだ。地元の人はBENTOの定食にハマっている。
アレンは和久田哲也シェフの料理を食べるためにシンガポールに行くと話した。日本食堂第12弾で来店した名倉は、オーシャントラウトのコンフィが美味しいと話した。
デンマークで日本食堂BENTOを営む80歳のひろ子さんには、52歳の息子・大輔さんがいる。大輔さんは開店から20年ひろ子さんを支えてきた。ひろ子さんは3LDKのアパートに住んでおり、4階までの階段を何度の上り下りしている。学生時代は器械体操の選手で、今も毎朝自己流の体操をしている。音楽はYOSHIKIが好き。朝お店に行き、スタッフに朝食を振る舞ってくれた。食後は店内のモップがけと下ごしらえ。週5日店に出て睡眠は1日5時間。開店まで8時間1人で仕込み作業をしている。店は午後5時に開店した。予約は1か月先まで満席で、親子で注文をさばいている。大輔さんは元々日本のデザイナーの下で仕事をしていたが、デンマークに戻ってきた。ポーランドから刺身定食を食べに来た日本人女性もいた。80代でデンマークに移住し94歳まで店を手伝っていたひろ子さんの母・セツさんは102歳になり、現在は日本で暮らしている。大輔さんの妻は日本育ちのフィンランド人のルッツさん。子供は6歳のマウリくん、20歳の幸司さん。幸司さんは美容師学校に進学予定。幸司さんの妹は生まれた時から脳に障害があり、10年前に亡くなった。ひろ子さんは、日曜の午後に自分の店で参加費無料のカラオケ大会を開催している。カメラマンは、ひろ子さんに恋愛相談にのってもらった。
ひろ子さんの日常生活に密着していると、4人の恋人のうちの1人という男性が現れ、2人でドライブに出かけた。大輔さんは夜の営業までラーメン店で働いていた。デンマークのビール会社ミッケラーの代表がBENTOのファンだったことから、ビールとラーメン文化をデンマークに広めたいと友人と3人でラーメン店「Ramen to Biiru」を始めた。コペンハーゲンの空港など7店舗を展開している。大輔さんは昼間は各店舗をまわっている。1945年に世田谷区で生まれたひろ子さんは、高校と大学で器械体操の練習に励んだ。チャスラフスカ選手を見て体型の違いを感じ、食生活を改善しようと料理に興味を持った。東京農大を卒業後は辻料理師専門学校で講師を務め、23歳で母の反対を押し切り単身デンマークに渡った。ホテルのレストランで働き始め、パーティーで一目惚れした幸二さんと結婚した。その後息子が生まれて店を持ち、順風満帆の毎日だった。
ヘビロテして聴いている曲について。相武はBon Jovi「It's My Life」、小倉はAKB48「365日の紙飛行機」、河井は「WOW WAR TONIGHT 時には起こせよムーヴメント」を挙げた。河井は、カラオケで本人が歌ってくれて号泣したと話した。
ひろ子さんの夫・幸二さんは43歳の時に心臓発作で亡くなった。子供を1人で育てなければならなくなった時に、デンマーク行きを反対していた母・セツさんがかけつけてくれた。ひろ子さんが仕事をしている間、セツさんが大輔さんの世話をした。ひろ子さんは60歳の時にデザイナーの仕事をしていた大輔さんを誘って日本の家庭料理の店BENTOをオープン。セツさんも94歳まで店に立って手伝った。スタッフは出発前日に会いに行ったセツさんのビデオメッセージをひろ子さんと大輔さんに見せた。
セネガルの日本食堂を取材。セネガルの面積は日本の約半分で、人口は約1930万人。かつてフランス領だったことから公用語はフランス語。植物プランクトンのドナリエラが太陽光や気温によって赤い色素を生成することでピンク色に染まる湖がある。セネガルの人はトレーニング好きで、海沿いでは多くの人が筋トレをしていた。「抹茶カフェ ダカール」では巻き寿司や唐揚げ、ラーメンなどの日本食が食べられる。店の看板メニューは抹茶を使った商品。横浜出身の仁美さんは東京の会計事務所で働いていたが、9年前に場所すら知らなかったセネガルに移住。移住の翌年にお店をオープンした。開店当初は抹茶は不人気で、従業員も思うように働かない苦労の連続だった。オープン当初はダカールで抹茶を出す店はなかったが、この8年間で10店舗もライバル店が増え、仁美さんはライバル店にも抹茶の点て方を教えている。抹茶を学べるイベントも開催し、普及に努めている。家族は夫のレシェックさん、長女のアリスちゃん、長男のヤンくん、二女のアンナちゃん。セネガルに来る前はフランスで暮らしていた。外では子どもたちが裸足でサッカーをしていた。仁美さんは市場でさつまいものツルやインゲンを購入した。セネガルはマンゴーの一大産地で、町中の木にもマンゴーが成っていた。セネガルにない海苔などはパリや中国を経由して仕入れている。セネガルの人は海苔にご飯をのせる作業が苦手なため、機械を持参した。仁美さんはホール担当のパップさんについて、すごく良い接客で彼のおかげでリピーターがついたと話した。オープン当初から働くラビさんは400キロ以上離れた貧しい農村地域の出身。父を病気で亡くし、母ときょうだいを助けるために働きに来ていた。
