- 出演者
- 野々村真 草野仁 石井亮次 黒柳徹子 藤井隆 中尾ミエ 松井玲奈 岡田圭右(ますだおかだ) YOU LiLiCo DAIGO 百田夏菜子(ももいろクローバーZ) デーモン閣下 カズレーザー
黒柳の海外ロケを5連発で紹介。最初はスタジオメンバー全員で行ったエジプト。2回目はインドへ。タージ・マハルの前で収録した。3回目はパリでミステリーハンターに挑戦。マリー・アントワネットの生涯を取材した。4回目はハワイで「この木なんの木」の木を取材した。5回目は中国でパンダと対面した。黒柳のベストワンは1988年に放送されたモアイ像特集。当時は地震の影響でモアイ像は倒れたままになっていた。黒柳は「クレーンがあれば、わたしたちにできることがあれば」と話し、番組を見た日本のクレーン会社がイースター島にクレーンを寄贈した。モアイ修復プロジェクトが動き出し、作業開始から1000日でモアイ像はすべて修復された。同じ年、世界遺産に登録された。
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石井アナが黒柳にインタビュー。黒柳はトップ賞を853回獲得。セットには各国のお土産が飾られていた。石井アナは「答えを教えてもらっていたのではないか」との都市伝説について聞いた。黒柳は「そんなはずない」「テーマは教えてもらえるので図書館に座って1日中本を読んでいた」などと話した。ある時図書館で手を伸ばしたら落としたのは驚いた番組リサーチャーが隣りにいた。その本には出そうとしていた問題が書かれていた本だったという。黒柳はトップ賞で獲得したものをバザーで売って収益金を寄付してきた。それが原動力だったと語った。
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「黒柳徹子が『世界ふしぎ発見!』だけは着物で出演しようと考えた理由とは?」と出題された。正解は「黒柳徹子だとわからないようにするため」だった。藤井、DAIGO、LiLiCoチームが正解。
貴重な映像を収めるためにはときに膨大なお金が必要となる。タンザニアではオルドイニョ・レンガイを取材。険しい山を1週間かけて登るため50名のポーターを雇った。ノルウェーではザトウクジラの生態を調査。ロケ日数を延長してザトウクジラの背中に記録装置の取り付けることにに成功した。最も制作費がかかったのは2007年に放送されたギアナ高地特集。高さ1000メートルの切り立った絶壁によって近づくことが難しく、90%以上が人跡未踏。100万円かけて飛行機をチャーターし麓の村へ。撮影用にヘリコプターを貸し切りなど、膨れ上がった制作費は通常の3倍。結果テーブルマウンテンと呼ばれる真っ平らな大地や世界最長の滝エンゼルフォールを撮影することができた。クライマックスには直径、深さ350メートルの穴の底へ。取材はアブラヨタカが種を集めて作った山を発見した。種が穴の底に積もり発芽することで独自の生態系を作り出していた。
2013年には織田信長に仕えた黒人侍「彌助」について調査。彌助を連れてきた宣教師ヴァリニャーノの足跡を辿り、モザンビークから来た可能性が高いとわかった。モザンビークを訪れ歴史学者に訊くと、当時の「モザンビーク」は北に浮かぶモザンビーク島のことを指すとわかった。モザンビーク島では「ヤスフェ」という名前の人が70人いることがわかった。
番組ではこれまで自然の脅威の謎にも挑んできた。エチオピアでは火山に大接近。アマゾンでは大逆流ポロロッカを取材した。インドネシアではブルーファイアの正体に迫った。2009年に放送されたオーストラリアのモーニンググローリー特集では、グライダーに乗って奇跡の雲「モーニンググローリー」に肉薄した。半島の両側からぶつかる湿った風が雲となり猛スピードで回転しながら内陸へと押し寄せるため、雲の下は暴風が吹き荒れる。雲の上でエンジンを止め、上昇気流で飛ぶことに成功した。
番組に欠かせないのがミステリーハンター。ときにはヨハネ・パウロ2世の取材を行ったことも。これまで総勢約350人ものミステリーハンターが冒険を繰り広げた。オーディションを開催すれば毎回1万人以上の応募者が殺到した。2011年放送のエチオピア特集では坂本三佳が有毒ガスが立ち込めるエチオピアの火山地帯を取材した。2022年放送のアルプス特集では中山卓也が崖にかけられたハシゴから絶景をリポートした。歴代のミステリーハンターが選んだ体を張ったベストワンは「ジャングルで未知との遭遇」。2005年に宮地眞理子がアマゾンで先住民の暮らしを取材した回で、宮地はフナクイムシを生きたまま食した。これをきっかけに体当たりリポーターの代表格となった。そんなミステリーハンターの大事な仕事がクエスチョンの出題。これまで出題したクエスチョンの数は5400問以上。1997年放送の火星人特集では、水沢螢が火星で発見された人の顔に見えるクレーターになりきった。ミステリーハンターの中でもレジェンド級の活躍を見せた竹内海南江は100以上の国と地域を訪れ出演回数313回。竹内が初めて取材したのはパリだった。
「江戸の商人卯三郎がパリ万博に日本から連れて行った人々の職業とは?」と出題された。正解は「芸者」。黒柳、中尾、デーモンチームと松井、百田、カズレーザーチームが正解。松井は東京ディズニーリゾート特集などでミステリーハンターに挑戦した。
撮影の裏側で起きていた大事件を紹介。第3位は1987年放送「隣村で不穏な空気 in インドネシア」。石井麻理はインドネシアのラニ族を取材した。戦いの再現シーンを撮影することになったが、それを見た隣の部族が「戦う準備をしている」と思い大パニックに。カメラマンは石を投げられたという。再現であることを理解してもらいその後無事に撮影することができた。第2位は「イラクで超大事なアレがボッシュート」。
「ベスコングルメ」「バナナマンのせっかくグルメ」「日曜日の初耳学」の番組宣伝。
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撮影の裏側で起きていた大事件を紹介。第2位は1990年放送「イラクで超大事なアレがボッシュート」。湾岸戦争が始まる前、メソポタミア文明をテーマに平穏が訪れていたイラクを取材。当時のイラクは検閲があり、国防に関わるものは消されてしまう。イラクを出国後スタッフは移動先のフランスでテープを確認すると撮影禁止のものが映っていないはずなのに再現シーンがすべて消されていた。フランスの遺跡に砂を敷き詰め、さらに街でアラブ人をスカウトして撮り直した。
第1位は2004年放送「タイのムエタイ少女と激戦後に!?」。川幡由佳はタイでムエタイ少女と対戦し、少女が圧勝した。
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「ムエタイでK.O.されたシーンの放送後 川幡由佳の身に起きた出来事とは?」と出題され、スタジオメンバーが正解を予想した。