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平城京が誕生したのは約1300年前。唐の長安を手本に碁盤の目のように築かれた。その中に建てられたのが平城宮。天皇が暮らし政が執り行われた都の中枢だった。平城宮を中心に、後に世界遺産となる寺が次々と建立されてきた。折しも、基金や災害が相次ぎ民が苦しみに沈んだこの時代、為政者は仏の力で世を治めようと考えた。聖武天皇は祈りを込め、東大寺を建立。祈りとは裏腹に民は重い税にも喘いでいた。税を逃れるために勝手に僧を名乗る者も。朝廷は事態を憂い、規律を正せる真の指導者を強く求めた。
742年、日本から訪れた2人の僧が鑑真和上を訪ね「日本に正しい仏教を伝えて欲しい」を請うた。旅は過酷を極め、渡航は5度に渡り失敗。過酷な旅は鑑真和上から視力をも奪った。12年の時を経て日本の土を踏んだ。鑑真和上が日本に伝えたかったのは戒律。その教えを授ける儀式・授戒を行った。この儀式は現代にも受け継がれている。
鑑真和上が渡来した頃の奈良は国際色豊かな天平文化が花開いた時代だった。鑑真和上が建立した唐招提寺の一画には鑑真和上の墓がある。年に一度公開される国宝「金亀舎利塔」の中の器に収められた貴重な品を鑑真和上は日本にもたらした。中に収められているのが仏教界の秘宝「白瑠璃舎利壺」。中に見えるのは仏舎利(釈迦の遺骨)。高度なガラス工芸で作られた壺は現在のイラン周辺で作られたもの。唐招提寺の中心が、奈良時代の姿を今に伝える金堂。堂内に並ぶのは3体の仏。
平城京には約10万人が暮らしていたと言われている。都が置かれたのは80年足らず。最新の調査で新たな実像が見えてきた。重要な手がかりとなったのが掘り出された木簡。見つかった木簡は40万点。
鑑真和上が唐招提寺で最初に造った建物が講堂。平城宮にあった建物を丸ごと移築したとされる。講堂とは僧侶たちが学び、修行に励む場所。鑑真和上は仏を祀る金堂よりも先に講堂を建てた。書物などを保管する経蔵は日本最古の校倉づくりの建物。もともとは貴族が建てた倉庫だった。唐招提寺に建つ伽藍の多くは寄付や寄進、移築によって建てられたもの。
唐招提寺は約1300年の歴史の中で過去に二度、大きな修理が行われてきた。平成になり、金堂が10年に及ぶ大改修の時を迎えた。傷んで取り替える瓦は同じ大きさで軽くすることが求められた。
「世界遺産」の次回予告。
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