- 出演者
- 宮崎慶太 池田伸子 伊藤海彦
オープニング映像。
4時台は「虎に翼徹底解説」など。
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- 連続テレビ小説 虎に翼
視聴者からのFAX・メール紹介。福岡県の人からの「今年もやってきた酷暑・猛暑。こまめな水分補給を忘れないようにと思うがこの暑さゆえつい冷たいものばかり摂取しがちに。かえって体調をくずさないように気をつけないと思う」というメールを紹介。続いて鹿児島県の人からの「僕は暑くなったらちょっと気分が涼しくなる怪談を時折読んでいる。日本の古典には怖いものが多いけれど冷やっとする。また、落語など幽霊が出るお話だったらちょっと冷えるかも」というメールを紹介。
日銀は今日まで開いた金融政策決定会合で国債の買い入れの規模を減らす方針を決めた。決定前為替は1ドル=150円台前半だったが決定内容が公表されてから一時158円台をつけた。西園興起氏は「日銀は政策金利を据え置き、国債買い入れについては減額していく方針を示した。どうやって減らすのかは具体的な方法については来月の会合で決めるという。これを市場は具体的な減額への踏み込みが乏しいと受け取り円安に進んだ。植田総裁の会見が始まっている。今のところ総裁が発言についてポイントをお伝えする。まずは国債買い入れの減額について金融市場において長期金利がより自由な形で形成されるよう長期国債の買い入れの減額をしていく方針。これは賛成多数で可決。今後市場参加者の意見も確認し、次回金融政策決定会合において今後1年から2年程度の具体的な減額計画を決定する」など伝えた。
西園氏は日銀の姿勢について「国債買い入れはどう進めるか、国際市場の安定に配慮するための柔軟性を確保しつつ予見可能な形で減額していくことが適切であると考えているという方針を植田総裁は述べた。そして、減額をする以上相当の規模になると考えているが具体的な減額の幅やペースなどについて市場参加者の意見も確認しながら減額計画を作っていきたいと考えているとしている」などコメント。また、西園氏は「今後の利上げの見通しについての発言が植田総裁からあった。物価上昇率が見通しに沿って2%に向けて上昇していけば政策金利を引き上げ金融緩和度合いを調整していくことになるという。また、経済物価の見通しが上振れたり、見通しの上振れリスクが高まった場合も利上げの理由になるとしている。また、過去と比べると為替の変動が物価に影響しやすくなっていると言及している」などコメント。
時をかけるテレビ・今こそ見たい!この1本。きょうは「マサヨばあちゃんの天地」。池上さんと番組を見るのは俳優の小雪さん。
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岩手県下閉伊郡川井村タイマグラの向田マサヨさん69歳。ここで1人暮らしをしている。マサヨさんが住む タイマグラは標高600mのところにある。マサヨさんがタイマグラにやってきたのは昭和29年。向田家に嫁いできたという。開拓当時、農家は5軒だった。子どもたちも増えて村に分校を作るという夢もあった。しかし、現金収入を求めて年々山を降りる人が続き、向田さん夫婦だけになった。2年前、夫もなくなりマサヨさん一人になってしまった。マサヨさんは味噌づくりの名人。大豆を大釜で20時間蒸してから大樽に移して形がなくなるまで踏みつける。この単調な仕事を1週間続ける。それから味噌玉を藁縄でしばって天井から吊るす。1か月もするとそこに空気中の麹菌がつく、これを砕いて樽に入れ塩水と混ぜ3年ほど寝かせるとやっとマサヨさんの味噌が出来上がる。マサヨさんの味噌や野菜を楽しみにしている人たちが麓の村から買いに来る。下の村の人達もこの冬、マサヨさんが元気で越せるか心配している。
夏の草は刈っても刈っても生えてくる。畑を一巡りして元の所に戻って来るともういっぱい草が生えている。前は草をいっぱい一輪車に積んでも平気だったのに、今年は息切れがし心臓がどきどきする。その上膝まで痛くて畑の前で立ち往生することもある。
マサヨさんは味噌以外にも豆腐を作っている。水道がないため湧き水を使っているという。電気も取材時(昭和63年)の3年前までは通っていなかったのだそう。離れて暮らす子どもたちも山を下りることを進めていたというがマサヨさんは断っていたという。
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- タイマグラ(岩手)
じゃがいもの収穫時期。マサヨさんにとって最も嬉しい季節だが、今年のじゃがいもはいつもと違う。粒がとても小さかった。マサヨさんはじゃがいもが土に飽きたのではないかと話している。転作でついに土が痩せてしまったようだという。マサヨさんは「タイマグラに私はあっている。死ぬまでここにいる」など話した。番組では厳しい自然の中でたくましく生きる姿を伝える。小雪さんは「自然と一体化されている生き様というのが、私達現代人にとってしようと思ってもできない。私も子どもと移住したときに息子に言われたことがある、お金が無ければいいのにねって。野菜を育てて収穫して食べてというところまでできるようになって。僕たちは全部自分たちで作れるから幸せだねって話していた」などコメント。
今回の放送では、マサヨさんが亡くなったあとの現在のタイマグラの様子を紹介する。あらたに住人が暮らし始め、マサヨさんから受け継いだ味噌も作っているのだそう。時をかけるテレビは今夜10時30分から。
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- タイマグラ(岩手)
大阪・平野区から中継。きょうのミッションは「地獄と極楽を体験せよ」。寺の住職は「ここは、まだ野原の頃に聖徳太子によって薬師如来を祀ったというお寺。いまから地獄に案内する」などコメント。
眞下アナウンサーは地獄堂に入る前にまず極楽度・地獄度をチェック。極楽行きの資格があるという結果になったが、「安心してはいけないすぐに資格取り下げ」という警告文が。そして、100円で購入できるという地獄堂のパスを手に中へ。中にあるドラを叩くと映像・音で地獄の様子がわかるのだそう。寺の住職は「どんな地獄があるのか。生き物を殺すと体を切り刻まれる。それから、悪口・告げ口は針の山。そして最後に命はひとつきりというメッセージが出る。平成元年にリニューアルしたときに、いじめと自殺が多かった。それでここを作らせてもらった」などコメント。眞下アナウンサーは「17時台は極楽の様子を伝える」とコメント。
人々が夢中で声援を送るその先にいるのが1センチほどのクモ。ネコハエトリグモという種類だが、富津市ではフンチと呼ばれている。4~5月は繁殖期、雄同士が出会うと雌をめぐって戦う修正があり、それを利用した遊び。勝負の決め手は組み合ったあと。先に逃げ出したほうの負け。腕の見せ所は強いフンチを見極めて捕まえ育て上げること。江戸時代から伝わるというこの遊び、街では毎年5月の連休中に横綱決定戦を開いてきた。ところがコロナ禍で3年大会が開けず久しぶりに開いた去年は参加者が激減。とくに子どもの部は例年の4分の1いに落ち込んだ。そこで今年の大会では子どもの参加者を増やそうと取り組む人がいた、主催者の1人小坂和幸さん。富津市内の小中学校全てに大会のチラシを配るなど例年以上にPRに力を入れた。
小学校に直接出向いての呼びかけも。訪れたのは小坂さんの母校・富津小学校。小坂さんが通っていたころはクラスの誰もがフンチで遊んだというが、いまは経験者もごくわずか。遊び方を教えてくれる人も周りにいないという。そこで小坂さんは地元の小学生を対象にフンチの教室を教えた。フンチが巣をよく作るのは田畑に面した草や木々の間。捕まえるのは初めてなかなかうまくいかなかったが、それぞれが大きなフンチを捕まえることができた。エサとなるハエの捕まえ方も教え大会を目指し、より大きく育ててもらう。
迎えた大会の日、小坂さんの呼びかけが功を奏し、例年通り30人以上の子どもたちが集まった。中には小坂さんの教室でフンチを捕まえた子どもの姿も。早速試合開始。勝負は一瞬だった。自慢のフンチが相手から逃げ出してしまった。そして、横綱に輝いたのは初出場の小学校5年の女の子だった。
クモを使った相撲は高知でも、女郎蜘蛛やコガネグモを使って相撲を行うようなものも。鹿児島でもある。宮崎アナウンサーは「このハエトリグモというのは身近なクモで家の中にも出たりするクモ。実はハエトリグモは100種類くらいいて、ぴょんと飛ぶことから英語ではジャンピングスパイダーと呼ばれている。実にかわいい顔をしているので家に出たら見てもらいたい。ハエとか蚊をとって食べてくれる、毒も人間にとって有毒になるものはほとんどないので人間にとってもいいクモ」などコメント。横綱決定戦参加者は、クモは捕まえた場所に返すそうで、来年はまた大会のために新たなクモを探すのだそう。
今回振り返る試合は「サッカー女子2011年ドイツ大会・決勝・日本VSアメリカ」。相手アメリカは当時FIFAランキング1位。日本は一度も勝利したことがない相手だった。そんななでしこジャパンが勝って初めての頂点に立ったという試合。番組ではMCのジョン・カビラさん、そして元サッカー日本代表の槙野智章さん、澤穂希さんが映像で一緒に振り返る。後半24分、アメリカ先制。その10分後になでしこが追いつく。延長前半10分、アメリカが1点追加。延長後半、コーナーキックから日本はゴールを決めた。試合はPK戦になるも、日本が勝利し優勝。澤穂希は「日本女子サッカーのいろんな思いが詰まったトロフィーだった」などと話した。
清永聡が「連続テレビ小説 虎に翼」を解説。連続テレビ小説 虎に翼のこれまでの物語を振り返った。「家庭裁判所設立の人は実在した方なんでしょうか?あんな上司がいたらいい」など視聴者からのメッセージを紹介した。家庭裁判所の父は宇田川潤四郎という実在した人。今週の話はほとんど事実に基づいているという。宇田川が滝行が趣味だったという。宇田川は戦前、戦中は満州の司法機関で働いていた。戦後、たくさんの戦争孤児を目の当たりにし、少年少女の支援に取り組むようになった。ドラマで出てきたBBS運動は、今も実際に続いている。「BBS運動発足70周年記念式典」の様子を紹介した。
連続テレビ小説 虎に翼の番組宣伝。