- 出演者
- 宮崎慶太 池田伸子 伊藤海彦
オープニング映像。
きょうは大泉洋さんにちなみ、北海道の思い出がテーマ。FAX:03-5454-2918など。清永氏はラーメンではなくそばを食べたことが思い出だと話し、伊藤さんはピョンチャンオリンピックでロコ・ソラーレがメダルを獲得すると、地元である北見市常呂町まで足を運んだことだと話していた。常呂町のカーリングの父だが五輪の1年前に亡くなっていた小栗祐治さんを偲ぶ声も取材の際には多く聞かれたという。
日本被団協が設立したのは戦後11年後となる1956年に設立された。戦後しばらくは占領下で被爆の実相が伝わらなかったことと、被害の大きさから回復に時間がかかったことも背景にはあるという。支援制度もなく被爆者は貧困にも苦しんでいたが、その中で支えとなったのは被爆者の歌だという。
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- 日本原水爆被害者団体協議会
日本被団協が、被爆者の全国組織として誕生した1956年。当時、被爆者の心に積もった悲しみを表し、団結を後押しした1編の詩がある。「悲しみに苦しみに笑いを遠く忘れた被災者の上に 午前十時の陽射しのような暖い手を 生きていてよかったと思い続けられるように」。詩をしたためた広島の被爆者・阿部静子さん(97歳)は、被団協の結成当時から運動に参加してきた。阿部さんは、新婚まもない18歳のとき、勤労奉仕の作業中に爆心地から1.5kmで被爆。右半身を大やけどして右手が不自由になり、顔などにケロイドが残った。周囲から赤鬼と呼ばれて差別され、夫の親戚からは離婚を迫られた。国による支援制度もない中、10年もの間、社会の片隅で苦しんでいた被爆者たちは、初めて国の援護を求めて請願活動を行う。阿部さんもほかの被爆者とともに窮状を訴えた。阿部さんは、請願の際に面会した広島出身の政治家のことばを今も記憶している。「“日本は米国に弱いからね”と言った。米国に気兼ねして私どもは今までほったらかされたんだと、その時とても情けなかった」と述べた。帰りの汽車の中で、阿部さんがみずからの心境を表し、走り書きした詩は、被爆者の声を代弁しているとして、曲がつけられた。詩は、日本被団協が結成された際の原水爆禁止世界大会でも歌われた。詩が反響を呼んだことで、阿部さんは核保有国などで被爆者が証言する世界平和巡礼にも参加。米国を訪れた際は、原爆被害の実態が伝わっていないと感じながら市民に語りかけた。その後も阿部さんは、長年にわたって自身の体験をもとに、国内外の若い世代に原爆がもたらす苦しみを証言し続けてきた。阿部さんは、理解も支援もないころから積み重ねてきた活動が、今回のノーベル平和賞の受賞につながったと考えている。
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- ノーベル平和賞日本原水爆被害者団体協議会
日本被団協の結成を支えた阿部さんは体の衰えを感じながらも平和賞に恥じないよう活動を続けていきたいとしている。日本被団協は海外での核廃絶の訴えを行い、1978年には第1回 国連軍縮特別総会に参加し、海外に向けて被爆の現状を伝える活動も行ってきた。ヒバクシャと言う言葉が海外でも通じるようになっているが、かつての日本被団協は支援を受けられず政府に補償や医療支援などを求めることから活動を始めていた。先月のノーベル平和賞授賞式で、田中煕巳代表委員は日本政府による保証が行われていないと言及する様子も見られた。止むを得ないで済ませてしまうと核兵器の存在も仕方がないことという解釈となってしまうことから、核兵器廃絶に妥協は許されないとの思いがある。一方でヒバクシャの平均年齢は85.58歳となる中、全都道府県の団体も解散・活動休止となっているのも現状となっている。一方で平和のために活動する若い世代も存在し、被爆者が中心となってきた運動を若い世代に広げることが重要となっている。
東京・中央区の中央区立明石小学校から中継。中央区では正月遊びの羽根つきにスポーツとしてのルールを独自につけ毎年新年の小学生の大会を開催している。冬場の運動不足や非行防止を目的に始まり今年で69回目となる。新年の「こども羽根つき大会」は11日に開催される。ルールが細かく設定、大会主催者が決めた同じ長さ・形の羽子板を渡し使用しコートは横3m縦7m、ネットは2mに設定され羽根は3回までに返すなどと決められている。このあと5時台では実戦練習を紹介する。
NHKワールドJAPANで放送した「RAMEN JAPAN」から広島市のご当地ラーメンを紹介。屋台から始まった店は調理工程など1948年の創業以来変わらないという。広島ラーメンはしょうゆが濃い豚骨スープを崩さないようにするのが決まりだと話しカウンターには屋台時代の名残で中華そば店ならどこにでもあったおでんが置かれている。広島ラーメンは終戦後から屋台から急速に広まり「陽気」では創業以来家族代々味を守り続けている。戦後復興に力を注ぐ広島の人に愛されたラーメンは今も大切に守られている。
広島市から東に離れた尾道のラーメン、「東珍康」が初めて尾道ラーメンと名付けた。鶏ガラや豚骨ベースープにストレート麺の上に味の決め手豚の背脂が注がれる。豚の背脂を入れる尾道スタイルの最初の一杯の味を受け継ぐのが「朱」、麺の上に鶏ガラスープを注ぎ煮て背脂を溶かしたしょうゆダレを混ぜたラーメンが初代店主壇上正儀が作り上げた元祖尾道ラーメンだという。戦後の食糧難の時代に食用として使っていなかった豚の背脂に目を付けた。広島、尾道の復興を支えたラーメンだった。
絶品!ご当地ラーメン 広島と尾道についてのトークを展開、広島にいた清永さんは「学生時代はラーメンだけで足りず定食も。今出てきたようなラーメンを懐かしく思います」などと話した。
凍結した道を歩く際は頭を打たないように小さな歩幅で歩くことを心掛け、重心を前にして足の裏全体で踏みしめるように歩くとよい。滑りやすいのは横断歩道や駅前など人の多い所で、万一後ろに転んでしまった時のためにリュックサックを背負っておくのも対策の一つ。また路面が薄く凍りついて黒く見えるブラックアイスバーンは一見すると凍結していないように見える為、歩く際は色だけで凍結していないと判断するのは危険。
兵庫県・新温泉町からの中継。新温泉町は兵庫県北西部に位置しているため雪が降ることが多く、この時間も本降りの雪が降っている。今日のミッションは「SNSで話題の映えるご当地グルメを手作りせよ」。調査の結果温泉で食材を茹でられるスポットを発見し、ここで何かを茹でるのではないかと推察した。
「北海道の思い出」のテーマで視聴者から寄せられたメッセージを紹介。視聴者から「夫と初めて行った旅先が北海道でした。私はその時15年ぶりの北海道で美瑛や富良野などの観光地を巡りました。今では林道の奥の奥にある温泉巡りを楽しんでいます」等と寄せられた。
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