- 出演者
- 中田敦彦 膳場貴子 井上貴博 後藤謙次 井上咲楽 小泉悠 浜田敬子
中田敦彦のYouTube大学の登録者数は542万人、総再生回数は約16億回。過去のニュースがその後どんな影響を及ぼしたのか、テレビで徹底解説する。
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- 中田敦彦のYouTube大学
中田敦彦が「学生運動の挫折→サブカル」について解説。学生が政治離れを起こしたのは、大きな理由として経済的な意味がなくなったことがある。国民が豊かになったことで学生の不満・国民の不満を政府に訴えかけるような学生運動、反政府運動のエネルギーが失われていくことになった。そのエネルギーは趣味の世界が広がっていった。これがサブカルの成長につながったとされている。
自らを「田中角栄氏の最後の弟子」と呼ぶ石破茂総理がスタジオに登場。1972年9月、北京に降り立った田中氏。総理就任から2か月半後の事だった。彼が成し遂げた日中国交正常化は世界を驚かせる。金権政治が糾弾され、総理の座を追われた田中氏に代わり、三木武夫氏は政界浄化を目指した。
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- 田中角栄
1972年、自由民主党内では佐藤栄作総理の後継をめぐる駆け引きが始まっていた。有力視されたのは福田赳夫氏と田中角栄氏だった。当時、日本が外交関係を結んでいたのは中国ではなく台湾。そんな中、1972年2月、アメリカのニクソン大統領が電撃訪中。国際情勢は激変。三木武夫氏は日中国交正常化こそ総裁選の争点になるとにらんだ。
三木武夫氏と周恩来首相の会談。三木自筆の資料にはポスト佐藤の行方が書かれていた。周首相は福田内閣誕生を警戒していた。やがて総裁選が本格化。中曽根康弘氏が田中角栄氏支持に回ったことで政権を巡る争いに変化が生じる。1972年、三木派、田中派、大平派が3派連合を結成。日中国交正常化を条件として、仮に決選投票となったとき福田赳夫氏を退けるよう包囲網を張った。結果、田中氏が総理に就任。総理就任後初の会見で田中角栄は「日中両国が正常な状態になることが望ましい」と述べた。しかし、田中内閣の支持率は2年間で50ポイントも急落。その後に噴出した金脈問題により、田中内閣は総辞職に追い込まれた。
最大派閥を率いる田中角栄氏から総理を引き継いだ三木武夫総理がまっさきに取り組んだのが政治資金規正法の改正だった。ところが、改正法案の成立を急ぐあまり、他の重要法案を廃案に追い込んでしまったことで、党内からの突き上げを受ける。しかも、1976年2月に発生したロッキード事件。中心人物だった田中前総理が外国為替管理法違反の疑いで逮捕された。その後、自民党は結党後初の過半数割れとなった。
田中角栄氏を師と仰ぐ石破茂総理。石破総理は自身のことを「三木武夫氏に重なるんじゃないか」などと話した。また、訪中について「日本の総理大臣が中国に行くのは極めて大事なこと。一方で、角栄先生もそうであったようにアメリカとの関係も重視していかなくてはいけない」などと話した。
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佳子さまが30歳の誕生日を迎え、天皇皇后両陛下に挨拶された。その後、仙洞御所を訪れ、上皇ご夫妻にも挨拶される。
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- 佳子内親王
全国の気象情報を伝えた。
ここからはスタジオにジャーナリストの浜田敬子が加わる。
1980年代、マンハッタンの真ん中でテレビカメラが捉えた看板はほとんどが日本企業でジャパン・アズ・ナンバーワンの時代。日本企業は注目の的。イギリスではソニーのテレビ工場をダイアナ妃が視察。自動車大国アメリカでは日本車との競争に負けたメーカーが次々と工場を閉鎖。ジャパンバッシングも吹き荒れた。時まさにバブル景気。超売り手市場でもあった。
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- ダイアナ・フランセス・スペンサー
1989年、時代は平成に。ベルリンの壁崩壊し、冷戦が終結を迎えた。
1980年代を象徴する写真・リゲインを紹介。リゲインの広告には「24時間、戦エマスカ。」の文字。スタジオメンバーの中では井上咲楽だけピンと来ていない様子だった。
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- リゲイン
民主化のリーダー・ベニグノアキノ暗殺事件。アキノ氏の暗殺事件が起きたとき、外交官としてマニラに駐在していた元在フィリピン日本大使館・政務班長・山本忠通さんは真相究明委員会のメンバーから事件の背景を聞かされたそうだ。3年後、アキノ氏暗殺に軍が関与していたことが明るみに出ると反マルコスを叫ぶ民衆運動が頂点に達する。マルコス大統領と夫人は米国に亡命。ハワイに逃れ、およそ20年の独裁政権が幕を閉じた。新たに大統領に就任したのはアキノ氏の妻コラソン氏。夫の遺志を継いで民主化を実現させたが、それから36年。2022年、独裁政権で失脚したマルコス氏の長男が新大統領に選出された。YouTubeチャンネルを通じて支持を集めたマルコスジュニア。選挙戦では、両親の時代を美化しその功績を発信した。テレビの力で政権を追われた父。その息子は、SNSの力で政権の座についた。
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- ベニグノ・アキノ
中田敦彦は「メディアの力はどう使われるのか常に問われ続けなければならない」と話した。
1990年代、バブルの崩壊。1991年、厳戒態勢の東京・羽田空港にゴルバチョフ大統領がソビエトの元首として初めて来日した。冷戦を終結に導き、ノーベル平和賞を受賞した大統領は大人気。ゴルビー人形も。でも、この年、ソビエトは崩壊した。永田町は、政治とカネで大揺れに。カメラが追ったのは、若手議員の会。その一人、若き日の石破茂議員が総理に直談判。自民党本部では、政治改革に反対するベテラン議員と若手議員が大乱闘。すったもんだの末、誕生したのが非自民の連立政権。自民党は野党に転落した。その翌年、記録的な冷夏で戦後最悪の米不足に陥った。6000人以上が犠牲となった阪神淡路大震災にオウム真理教のテロ。社会不安も広がった。
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- 東京国際空港
1990年代、Windows95の発売で大行列。検索エンジン、Yahoo!JAPAN、iPhone、ドラクエ、パソコンに言及。
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- Windows95