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- 堂真理子 大下容子 松尾由美子 佐々木亮太 デーブ・スペクター 林美桜 中野信子 水越祐一 仁科健吾
米国議会では与野党の指導部が来年3月までの予算を確保する「つなぎ予算案」を成立させることで合意していたが、米国・トランプ次期大統領や実業家・イーロンマスク氏が、突如反対の意向を示したことで白紙に戻った。共和党は19日、トランプ次期大統領も納得する新たなつなぎ予算案を下院に提出したが、民主党と一部の共和党議員が反対し否決された。現在のつなぎ予算は20日に期限を迎える。米国・ワシントンの映像。
経済情報。
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内閣府は、今日8月に南海トラフ地震臨時情報の巨大地震注意が初めて発表された際の自治体などの対応について、検証した結果を明らかにした。「取るべき行動がわかりにくかった」などの意見があったという。今後、臨時情報が発表された際は、気象庁の記者会見に内閣府の防災担当者が同席して取るべき対応を解説するといった改善策を示した。宮崎県、南海トラフ地震の評価検討会の映像。
年末年始の犯罪を防ぐための特別警戒が行われる中、警視庁のトップ・緒方禎己警視総監が警察官らに一斉警戒を指示した。午前9時、緒方総監は都内の110番通報を受ける通信司令本部で警察官らに対し、年末の一斉警戒を指示した。特に年末年始には街頭や盛り場での犯罪が増加することを指摘したうえで、「見せる」警戒活動や積極的な声掛けにより、犯罪を予防することを呼びかけた。警視庁では13日〜1月5日までの24日間、「年末年始特別警戒」を実施する。
日本時間の昨日夜、ロシア・プーチン大統領が4時間半に及ぶ恒例の年末会見を行った。その会場に日本のメディアでは唯一、テレビ朝日のカメラが入った。今回はインターネットを通じ250万件もの質問が集まった。
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19日、ロシアのプーチン大統領は年末恒例の記者会見に臨み強気の発言を繰り返した。来月、大統領に就任する米国・トランプ氏に対して「会談の準備はいつでもできている。彼がやろうといえばいつでも準備ができている」と発言。また電話を通じて国民の質問にも答えた。クルスク州に派兵された兵士は突然の配置転換で本来もらえる金額を受け取っていないという。これに対しプーチン大統領は素直に非を認め問題解決する姿勢をみせた。4時間半に渡り質問に答えたプーチン氏。中盤には弱気な発言も。
日本時間の昨日午後6時から始まったのは「プーチン大統領 今年の成果」と題した恒例の会見。国内外のメディアを招いての大規模な会見で、それに合わせてプーチン氏がテレビ通話で国民の質問に答えるという国民との直接会話も行われた。電話やインターネットを通じて寄せられた質問や要望は約250万件。会見時間は4時間27分。プーチン氏は記者31人、一般人26人に対して74の質問に答えている。注目ポイントは交渉と妥協の用意があるとも発言していて、ウクライナへの提案については6月の演説で「すべて述べられた」「繰り返す意味はない」と語っている。ロシア側の停戦交渉条件は東南4州(ルハンシク州、ドネツク州、ザポリージャ州、ヘルソン州)からのウクライナ軍の完全撤退、ウクライナのNATO加盟計画の放棄としている。
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プーチン大統領は「ロシアの経済状況は全体的に正常で安定している」と述べている。ウクライナの侵攻による経済制裁の影響などを否定。IMF(国際通貨基金)が予測するロシアの今年の実質GDP成長率は3.6%。米国の2.8%、先進国の平均の1.8%よりは高い。ロシア国内では苦境が伝えられている。年間のインフレ率は9.0%前後。インフレを抑えるために引き上げられた10月の政策金利は21.0%。背景にあるのが行き過ぎた戦時経済。労働力の多くが戦場や軍需産業に集中し非軍事部門の業界は人手不足。そのため失業率は低いが人件費が高騰している。これが商品などの価格に転嫁されてしまっている。12月の消費者物価指数は去年同月に比べてバターは34.4%、ジャガイモは88.9%、タマネギは45.4%上昇している。地元メディアによると11月、ロシア中部エカテリンブルクの店に男2人組が侵入。ひとりがレジを襲撃し、もうひとりがバター20kgを収奪。同様の事件が各地で多発。昨日の会見で司会を務めたスヴォロワ氏は「AIによる集計によるとバターなどの食料品の値上がりに関する要望が最も多かったようです」と発言。バターの値上がりについてプーチン氏は「牛乳の生産は増えたが消費も増えていてバターづくりに十分な量がない」と答えている。インフレ率については「インフレは危険信号だ」と述べたものの「実質賃金の上昇がインフレ分を相殺している点を強調しておきたい。全体として状況は安定している」と発言し問題はないと強調していた。
ロシアでは戦場や軍需産業に人が取られて、人手不足になっている。笹川平和財団上席研究員・畔蒜泰助は「メディアを完全にコントロールしているし、独立的に物事を考えられて、それなりの経済基盤を持っている人は、もう外に出て行ってしまっている。今残っている人は現状を受け入れるしかないので、反政府の動きをするところまでは必ずしもいかない。ただし生活に直接影響を与えることが出てくると、政府も気にしている」と解説。シリア・アサド政権の崩壊について、プーチン大統領が初めて言及した。ロシアに亡命したアサド氏について、プーチン大統領は「モスクワ到着後、まだ会っていないが、会談する予定だ」と話した。シリアにはロシア軍基地が2つあるが、駐留継続は暫定政権との利害の一致が必要としている。笹川平和財団上席研究員・畔蒜泰助は「暫定政権と基地を残す交渉をすでに始めているが、最終的に『何のために、どういう条件で』という合意がなされなければ、場合によっては基地からの撤退もあり得るとも取れる発言。ロシアからすると、今プライオリティはウクライナにあるということだと思う」と解説。
デーブスペクターが、世界的ロックバンド「BON JOVI」のボーカル&ギター・ジョンボンジョヴィに単独インタビュー。1984年のデビューから今年で40年。ジョンは米国・ニュージャージー州出身。ニュージャージー州では今、謎のドローンが飛んでいるという。ジョンは「私のことを探しているのかもしれない。私は暖かいフロリダにいる」と話した。デーブは「あなたはかなり早くから日本に来ていた。初来日はデビュー直後、1984年だったと思う。日本はあなたにとって特別な場所で、好きな国であるかと思う。この40年間の日本のファンや、日本に対する気持ちを教えてください」と質問。ジョンボンジョヴィは「私と日本との関係はますます親密になっており、その多くは彼らと共に年を重ねてきたことと関係している。彼らとの関係は今や世代的なものであり、私は年を重ねて日本文化への感謝は高まった。日本人について学ぶと、彼らは家族の絆、先祖と伝統への尊敬の念を持っている。とても誠実で温かく、私をひきつけるものがあった」と答えた。ボンジョヴィが日本で初めて単独公演を行ったのは、デビュー翌年の1985年。日本で爆発的な人気を得ていたボンジョヴィは、新人バンドとしては異例の大規模ツアーを行い、全公演完売の偉業を成し遂げた。しかしこのとき母国・米国ではまだ無名の状態が続いており、彼らの人気を支えていたのは日本とヨーロッパのファンだったという。
創作意欲が高まっていたジョンボンジョヴィとギタリスト・リッチーが、伝説の曲「リヴィンオンアプレイヤー」を生み出した。世界的なボンジョヴィ旋風の始まりといっても過言ではない「リヴィンオンアプレイヤー」が、全米で大ヒットを記録。この曲の制作秘話をジョンが語った。ジョンは「リハーサルに入ってからも、未完成の感覚があることについて話し合っていた。あの有名なベースラインは、まだできていなかった。歌詞のストーリーは色々なミックスで、リッチーのストーリーでもなく、私や共作者のデズのストーリーでもなく、全員でキャラクターを作って、シェークスピア的なストーリーにまとめた」と話した。世界的なボンジョヴィ旋風の始まりといっても過言ではない「リヴィンオンアプレイヤー」が、全米で大ヒットを記録。この曲の制作秘話をジョンが語った。ジョンは「リハーサルに入ってからも、未完成の感覚があることについて話し合っていた。あの有名なベースラインは、まだできていなかった。歌詞のストーリーは色々なミックスで、リッチーのストーリーでもなく、私や共作者のデズのストーリーでもなく、全員でキャラクターを作って、シェークスピア的なストーリーにまとめた」と話した。デーブは「日本にはコンサートで何度も訪れてきたと思うが、みなさんが日本に来たとき、マイケルジャクソンもコンサートで来日していて、偶然にも同じホテルに滞在していた。ずいぶん楽しんだと聞いた。何があったのか?」と質問。ジョンボンジョヴィは「とても印象的な出来事だった」と話した。
デーブスペクターが、世界的ロックバンド「BON JOVI」のボーカル&ギター・ジョンボンジョヴィに単独インタビュー。1987年はキングオブポップ・マイケルジャクソンとロックスター・ボンジョヴィが同時に来日し、それぞれコンサートを開催するという伝説の年だった。ジョンボンジョヴィは「マイケルは我々と同じホテルに泊まっていた。彼のパフォーマンスを観に行って、私とリッチーは部屋まであいさつしに行く機会があった。彼はとても親切だったが、とても寂しそうだったので、私たちの階に下りてくるよう誘った。誰にも邪魔されないし、たくさんの人と交流できるよと。それでも彼は来なかった。代わりにバブルスを送りこんでくれた。マイケルは素晴らしい才能の持ち主だった。これは彼との大切な思い出だ」と話した。デーブは「日本では大きな地震があったが、あなたは親切にもチャリティーに参加し、売り上げの一部を寄付してくれた。みんな感謝している」と話した。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。ボンジョヴィはその僅か4カ月後の5月に兵庫県を訪れ、チャリティーコンサートを開催した。2011年の東日本大震災の直後には、動画を投稿。ジョンボンジョヴィは常に日本に寄り添ってきた。
ジョンボンジョヴィは「まだ人生の途中だが、完璧な人生ではなかった。あなたが思うほど完璧な人生ではないけど、決して悪いものでもない。ファンと共に成長し年を重ね、ただ人生を全うしている一人の男だ。たくさんの血と汗と涙を流した40年間だったが、自分たちも含め、誰もが夢見ることしかできなかったことを、一緒に成し遂げた達成感が好き」と話した。デビュー40周年を記念した日本限定のベストアルバムが、先月発売された。収録曲は日本のファンの投票で選ばれたもの。ジョンは「デビュー曲の『Runaway』から新曲の『Legendary』まで幅広く選ばれたが、ファンが最新曲をお気に入りの曲に選んでくれていることがうれしかった」と語った。80年代から第一線で歌い続けてきたジョンボンジョヴィだが、約2年前、絶望の淵に立たされていた。きっかけはコンサート後の妻からの言葉だった。妻・ドロシアハーリーさんは「素晴らしいものではなかった。私はあなたの素晴らしい時を見ているから」と話した。それはジョンにとって、まるで引退勧告のようだった。
2022年、コンサートを終えたジョン・ボン・ジョヴィは妻から辛辣な言葉をかけられた。妻・ドロシア・ハーリーは「素晴らしいものではなかった」と話した。この言葉の意味を最も理解していたのは他でもないジョン自身だった。実は数年前から自らの歌唱に違和感を覚えていたという。歌手生命の危機を感じたジョンは声帯手術という決断を下した。デーブ・スペクターは「非常に異例な手術だったと理解しているが、最近の調子はどうか」と質問。ジョンは「実際に手術を受けたのは2年半前なので時間がかかりすぎたのは残念だった、でも今は100%回復したと感じている」と答えた。
40年にわたるバンド活動のほかに、ジョン・ボン・ジョヴィが長年力を入れてきたのがチャリティー活動。2006年に「ジョン・ボン・ジョヴィ・ソウル基金」を設立。目的は貧困・飢餓・ホームレスに陥っている人を助けることで、食料・住宅・職業訓練などを支援している。2011年、「JBJソウルキッチン」をオープン。メニューに価格表示はなく、お金に余裕のある人は自分の食事代+20ドル(払えない人の分)を任意で寄付。お金に余裕のない人は食事+食器洗いなどのボランティアを行う。現在は4店舗を展開。佐々木亮太アナは日本人は伝統を大切にしているという言葉があったが、すごく我々のことを理解しているのを感じた。地に足のついた素敵な方だと話した。
ジョン・ボン・ジョヴィが日本に来た時に人にご飯を取られそうになった時の一言について、デーブ・スペクターはイッツ・マイ・ライスと言った。
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