- 出演者
- 堂真理子 大下容子 松尾由美子 佐々木亮太 デーブ・スペクター 菅原知弘 中野信子 林美桜 水越祐一 仁科健吾
静岡でサクラエビの春漁が解禁、初競りが行われた。初日の水揚げ量は悪天候の影響もあり、約4トンとなった。初競りの取引価格は去年を上回り7万8274円となった。
トランプ大統領は関税政策をめぐり「世界各国がアメリカのために何でもしてくれる」と強気の姿勢をみせた。相互関税の導入で主導権を握ったとして関税政策の成果を主張した。
アメリカの相互関税の影響で日経平均株価はさらに値を下げ一時900円以上急落した。市場では世界的な混乱が想定以上に長期化するとの懸念が強まっている。不安定な値動きはまだ続きそう。
トランプ関税への対応を巡り、石破首相は午後与野党党首会談へのぞむ。石破首相は「国難ともいえる、野党各党も含めた超党派で検討をする必要がある」とした。与党はまずは国内産業の支援に注力する考え。
新型コロナウイルスの教訓を踏まえ感染症の危機などに備える専門家機関JIHSの設立式が行われた。JIHS(国立健康危機管理研究機構)は、感染症対策を中心とした専門家組織として、国立感染症研究所と国立国際医療研究センターを統合して設立された。普段から感染症に関する情報を収集、分析し、新たな感染症の流行などがあれば科学的な知見に基づいて政府に対策を助言するとしている。JIHS・國土典宏理事長は「新型コロナウイルスでは平時の備えの重要性が突きつけられた。感染症の有事に備えて安心して暮らせる社会の実現に貢献したい」としている。
マツコ&有吉 かりそめ天国の番組宣伝を行った。
尹大統領の代理人は罷免判決を受け「結果は納得できない。法治国家で起こり得ることなのか。政治的な判決だ」とコメントを出した。このあと大統領選へ。各政党で候補者を選出、または個人で出馬し、5月10日−11日に候補者登録、選挙運動、期日前投票が行われ、6月3日に大統領選挙投票日を迎える。次期大統領にふさわしい人物を尋ねる調査では、共に民主党イ・ジェミョン代表が34%、雇用労働相のキム・ムンス氏8%、国民の力のハン・ドンフン氏5%。(韓国ギャラップ先月28日発表)。野党の共に民主党議員は罷免判決を受け「完璧な論理で尹錫悦氏を罷免させた。内乱の事態に陥った国家を救ったのは国民。独裁者を罷免させた国民の勝利だ」とコメント。
1960年にオープンした老舗イタリアンレストラン「キャンティ」。数多くのスターが愛したこの店で待ち合わせたのはマチャアキの愛称で親しまれるタレント・堺正章さん。厳しい芸能の世界で60年以上の長きにわたりトップを走り続けてきた。歌手として1971年には「さらば恋人」が大ヒット。俳優としても「西遊記」「時間ですよ」など大ヒットドラマに出演し、その後司会業にも挑戦。堺正章さんが初めて「キャンティ」を訪れたのはスパイダースの頃、かまやつひろしさんに連れられてきたという。かつて飯倉「キャンティ」といえば黒澤明、三船敏郎、三島由紀夫など超一流の文化人が集まったイタリアンレストラン。アランドロン、フランクシナトラ、イヴサンローランといった顔ぶれまでお忍びで足を運んだとか。堺さんの当時からのお気に入りメニューはアサリのパスタで「ボンゴレバジリコ」。かまやつひろしさんがここでインタビューをする番組を見てうらやましく思ったという。
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ザ・スパイダースで共に活躍し、若き日の堺正章を店に連れてきたというミュージシャン・ムッシュかまやつは、2017年、帰らぬ人になった。堺正章は「苦楽を共に出来た1人かなという意味では、かまやつさんの存在は大きい存在だった」と話した。納棺に立ち会った堺正章は、絞り出すように兄貴分への敬愛の言葉を口にした。ムッシュかまやつ「お別れの会」では、ザ・スパイダース再結成ライブが行われた。都内、元ザ・スパイダース・井上順の映像。
これまで芸能活動で一番影響を受けた人について、堺正章は「ザ・スパイダースのリーダー・田邊さんは、どういう方向に行ったらいいかなど、非常に懇切丁寧に教えてくれた人。ダメな時はダメということを、ハッキリ言ってくれた人」と話した。ドラマー兼リーダーとしてザ・スパイダースを引っ張った田邊昭知は、16歳で芸能界に入った堺正章にとって、父親のような存在でもあった。田邊昭知はザ・スパイダースが解散した1970年以降、表舞台から退き、マネジメントの仕事に専念した。
「ミスターかくし芸」と呼ばれ、毎年神がかり的な超絶技巧を披露していた堺正章。「芸」に関しては、一切の妥協を許さないこだわりがあるという。堺正章は「その人のキャラクターが売れるというのは、一時はある。楽屋も面白いし、本番も面白い。それは芸ではなく、その人のキャラクター。キャラクターはそんなに変えられない。でも芸は次から次へと、いろいろなものに変えていける魔力を持っている。芸を磨いていないと結局は、一時の打ち上げ花火のようにして終わってしまう」と話した。
これまでのキャリアを振り返り、芸への思いを書き綴った堺正章のエッセイが、このほど出版された。タイトルは「最高の二番手」(飛鳥新社刊)。堺正章の父は名脇役、コメディアンとして活躍した俳優・堺駿二。出しゃばらず、役回りを淡々とこなすその背中を見て、若い頃は反発したこともあった。堺正章は「前でやっている人たちを、後ろで笑顔で見ている父親というのを、ある時から『これすごいスマートだな』と。人に任せるところは任せている。何かしら『1番手になった』と自覚した途端に落ちていく。ここからまた登る山があるというのは、自分の中での励み」と話した。「最高の二番手」こそが、一番長くその場にいられる。父の背中が、堺正章をこの極意に導いたという。
堺正章のもう一つの「こだわり」を、自宅で発見。堺正章が仕事、家庭に次いで、第三の場所と位置づける趣味の世界「クラシックカー」。
キング・オブ・エンターテインメント・堺正章の自宅のガレージには、クラシックカーが鎮座している。堺正章は日本有数のクラシックカー愛好家で、長年クラシックカー・レースに参加している。クラシックカーにこだわるワケについて、堺正章は「車が持っている手作り感。1台ずつ本当にたたいて作っていた時代なので、そういうゆっくり感が僕の持っているテンポと合っている」と話した。堺正章と大下アナウンサーは、クラシックカードライブを楽しんだ。
昭和の時代からテレビの変遷を見続けてきた堺正章に、今のテレビのあり方について聞いた。バンドマンとしての情熱は、今も衰えていないという。今のテレビについて堺正章は「僕はテレビで育てていただいた人間なので、テレビが勢いを失うのは非常に悲しいこと。これからももっと繁栄してもらわなければいけないと思うが、時代が変わってきたということ。テレビも規制が非常に厳しくなって、小さくなってきたことは間違いないと思う。今テレビの物差しが決まっていて、『コレにはまらないのはダメだ』となるが、もっと違う物差しもあって良いのではないか」と話した。
キング・オブ・エンターテインメント・堺正章について。TVプロデューサー・デーブ・スペクターは「1番盛り上がってる昭和の芸能界の中心人物ではあったから。今も本当に面白い」などと話した。
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「いつか、ヒーロー」の番組宣伝。
デーブ・スペクターがギャグを披露して滑ったところを大下アナが「なかなかいいですよね」とフォローした。
エンディング映像。