- 出演者
- 鈴江奈々 木原実 森圭介 斎藤佑樹 山崎誠 刈川くるみ 瀧口麻衣
宮内庁は、天皇皇后両陛下が4月12日に行われる大阪関西万博の開会式に出席するため、大阪府を訪問されると発表。また大阪関西万博の名誉総裁を務める秋篠宮さまと紀子さまも出席し、あす秋篠宮ご夫妻は開幕に先立って現地を視察される。2005年の愛知万博「愛地球博」では、開会式に天皇皇后としての上皇ご夫妻と名誉総裁を務めた皇太子時代の天皇陛下が出席されていた。
日テレ・マイスタ前、東京・汐留の中継映像を背景に全国の気象情報を伝えた。
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- 日本テレビ マイスタジオ汐留(東京)
東日本大震災から14年。震災と今回の山林火災で大きな被害を受けた岩手・大船渡市から中継。斎藤キャスターが、大船渡市の隣にある陸前高田市で野球場を再建させるため奮闘した市役所の元職員・阿部勝さんを取材。震災前、岩手・高田松原の一角には野球場があったが、震災で野球場は津波に襲われ全壊。震災後、阿部さんは野球場建設を主導した。しかし資金面の問題に直面した。数十社の企業をまわり資金集めに奮闘。ときには東京までに足を運んだ。完成したのは震災から9年後だった。電光掲示板は阿部さんの強いこだわりで設置した。今では球場から歓声が響いてる。野球場から約400メートルにある中華料理店・四海楼は、震災で全壊したものの6年前に再建。この店には陸前高田市出身でメジャーリーグ・ドジャースに移籍した佐々木朗希投手が、幼いころから通っていたという。佐々木投手の亡くなった父が、この店の麻婆担々麺が大好きだったという。阿部勝さんは「これから生きていく市民にとっても、復興の象徴にもなる施設だと思ったので。生き残った職員、生き残った人間の責任として、やりきらなくちゃなって思いはありました」などと話した。佐々木朗希は「自分にとって特別な日であることに変わりはありません。今こうしてアメリカで新しい挑戦をさせてもらえていることに、これまで支えてもらった沢山の人たちにからためて感謝のきもちでいっぱいです」などとコメントを発表した。
イギリスのチャールズ国王が、イギリス連邦記念日を祝うため音楽配信サービスの予告動画に出演。「THE King’s Music ROOM」と題した自身好みのプレイリストを公開した。1曲めは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「Could You Be Loved」など。現代のイギリス人アーティストからアフロビートまで幅広いジャンルから17曲が選ばれた。
東京・渋谷区にある渋谷区立広尾中学校で、メイクアップアーティスト・イガリシノブさんによるメイクの授業が行われた。メイクは本来校則で禁止されているが、SNSなどの影響でメイクに関心を持つ生徒が増えており、正しくメイクをする大切さを伝えるために渋谷区主導で試験的に行われた。今後渋谷区は、小学校でもメイクの授業を検討しているという。
メジャーリーグ・ドジャースとカブスの日本での開幕戦まであと1週間。。大谷翔平選手は3打数1安打。開幕投手に内定している山本由伸投手は5回7奪三振の好投。ドジャース6−2 Dバックス。開幕戦を前に、き11日、大谷選手の新CMが公開。大谷選手がCGで再現された現役時代のミスタープロ野球・長嶋茂雄さんと対戦した。
斎藤佑樹は「志田さんの顔を見れてホッとした。14年前につらい思いをしたが、当時仮設住宅の仲間と支えあうことの大切さを感じてきた志田さんだからこそ、これからも皆さんを引っ張っていってほしいと思った」などと話した。
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- 大船渡市(岩手)
読売テレビ、中京テレビ、福岡放送、札幌テレビの4社の社長はきょう総務省を訪問し、阿達雅志総務副大臣から新会社の設立に向けた「認定証」を受け取った。これにより「FYCS」は来月1日に発足する。4社は共同での番組制作や設備共有、人材育成面での連携によりスケールメリットを生かしていくことにしている。FYCSの社長に就任予定の石澤日本テレビホールディングス副会長は「4社の結束を通じて系列ネットワークの連携強化にしっかり取り組んでいきたい」と述べた。発表。4社のイメージカラーのリボンで日本列島をかたどったデザインとなっている。
きょうの東京株式市場で日経平均株価は一時1000円以上下落。トランプ大統領がアメリカメディアの取材に対し、景気が後退する可能性を否定しなかったことから、NY株式市場のダウ平均株価が大幅に下落。この流れを受け、東京市場も全面安の展開となった。取引時間中としては約半年ぶりに節目となる3万6000円を割り込む場面もあったが、午後に入ると相場はやや持ち直し、前日から235円安で取引を終えた。
ドジャース・大谷翔平は2試合ぶりにオープン戦に出場。日本での開幕戦まで1週間。きょうのダイヤモンドバックス戦に臨んだ大谷は試合前、牽制で1塁に戻る練習を入念に行っていた。去年は牽制された時にヘッドスライディングで手からベースに戻ることがあったが、きょうの練習では手からではなく左足から。開幕に向け、改良を続けている。大谷はここまでオープン戦で打撃が好調。第1打席はツーベースヒット。打球速度は時速約190.7キロと、自己最速にあと1キロと迫る強烈な当たりを披露。ここまでオープン戦の打率は3割5分を超えるなど好調を維持。開幕投手に内定している山本由伸は圧巻のピッチングを披露。開幕前最後の登板でオープン戦最多の5回75球を投げ、7奪三振の好投。開幕に向け、投打の中心選手2人が順調な仕上がりを見せている。ドジャース6−2ダイヤモンドバックス。
世界三大漁場と言われる三陸・金華山沖。宮城・石巻市は海の幸が豊富な漁業の町だが、美味しい焼きそばもある。ミヤギテレビ・白壁里沙子アナウンサーが石巻焼きそばを紹介。約70年前から愛される石巻市民のソウルフード。市内で約30店舗が提供。焼きそば専門店「HASEBE」のメニューは普通盛りから超大盛りまで石巻焼きそば一品勝負の店。「特製焼きそば(普通盛り)」を紹介。HASEBEでは地元から仕入れたサバの削り節で作るサバダシを使用。店によってはカツオや煮干しを使用。味を整えるのはしょうゆベースのオリジナルソース。ソースをあとがけするのが石巻流。2代目店主・長谷部久恵さん、先代である父・豊浦勝夫さんと母・幸子さんが手伝っている。両親が1977年に始めた店「とようら」は2011年の東日本大震災で被災。一度は再開したものの、体力の限界もあり2016年に閉店。常連客や震災ボランティアから復活を望む声が多くあり、娘・久恵さんが復活させた。
ミヤギテレビ・白壁里沙子アナウンサーが石巻焼きそばを紹介。1950年創業の製麺所「島金商店」を訪ねた。石巻焼きそばの麺はせいろを使って二度蒸しする。麺に含まれる「かん水」が熱で茶色に変化。一度蒸しに比べて水分をより吸収し、ふっくら香ばしい麺に仕上がる。「石巻せいろむし焼きそば3食1セット」297円はお取り寄せが可能。石巻焼きそばの命名は約18年前。製麺所の社長に話を聞いた。町を元気にしたいと震災後のご当地グルメの大会「B−1グランプリ」に出場するなど全国へアピール。町おこしに一役買っている。
ミヤギテレビ・白壁里沙子アナウンサーが石巻焼きそばを紹介。石巻焼きそばで多くの人を笑顔にしたいと移動販売車で営業する人がいる。「味平」という店名はビッグ錠さんの人気漫画「包丁人味平」が由来。サバダシを使用。「石巻焼きそば」は600円。店主・尾形勝壽さんが作る石巻焼きそばには妻への思いが込められていた。尾形さん夫婦は石巻市沿岸部でラーメン店を営業していた。2011年の東日本大震災の津波とその後の火災で全壊。震災当時の映像を紹介。その時、一緒に店を切り盛りしていた妻・きみ子さんは津波にのみ込まれた。妻は今も行方不明のまま。震災後、尾形さんはガレキの中から焼きそばの「ヘラ」を見つけていた。1年後、尾形さんは自分の店があった場所で石巻焼きそばの移動販売を始めた。今もあの時のヘラを使用している。
石川・小松市。義経と弁慶が登場する歌舞伎、勧進帳の舞台。安宅の関や250年続く子ども歌舞伎など歌舞伎の町として有名。そんな町の焼きそばを紹介してくれるのはテレビ金沢の佐野幸穂アナウンサー。小松のソウルフードといえば太麺の塩焼きそば。佐野アナがやって来たのは1961年創業の勝ちゃん。勝ちゃんの塩焼きそばを紹介した。塩焼きそばを作るのは2代目店主の高輪宗己さん。季節によって野菜の炒め方を変えている。
石川・小松市。安宅の関や250年続く子ども歌舞伎など歌舞伎の町として有名。そんな町の焼きそばを紹介してくれるのはテレビ金沢の佐野幸穂アナウンサー。小松のソウルフードといえば太麺の塩焼きそば。塩焼きそばを作るのは中石食品工業の2代目店主の高輪宗己さん。季節によって野菜の炒め方を変える。小松の塩焼きそばが誕生したのは1960年ごろ。勝ちゃんの先代、高輪正勝さんとその兄、清さんの兄弟が考案したといわれている。
塩焼きそばの袋麺をプロデュースしたのは、なおけん2代目店主の高橋茂樹さん。中華料理店の2代目たちと塩焼きそばを小松の名物にしたいと奮闘している。
ヒューマングルメンタリー オモウマい店の番組宣伝。
東京スカイツリーカメラの映像を背景に気象情報を伝えた。
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どんな依頼も断らないという時計修理の専門店。舞い込む依頼は腕時計から人の背丈以上もあるものまで。年間300以上の時計を直している。40代の女性が取り出したのは真っ二つに割れてしまった木製の掛け時計。直すために作ったのは時計の形に合わせた専用の枠。固めると割れ目はほとんど目立たない状態に。依頼を断らない時計修理店に密着。
横浜市にある時計修理店、サンワ工房。店主は山科義和さん。修理歴50年以上の職人。女性が持ってきたのは動かなくなった振り子時計。販売元はすでに修理事業をやめていたそうで、この店を頼った。3週間かけ遅れが出ないかなど確認を行い、女性が再び店を訪れたのは依頼からおよそ1か月後。