- 出演者
- 桑子真帆
オープニング映像。
あさって、1月17日は阪神・淡路大震災から30年となる。当時、大きな被害をうけた12市の住民にアンケート調査を行った。震災を経験していない人からも回答を得た。震災後に生まれ人たちに、震災の教訓で特に大切なものは?と聞いたところ、備蓄、防災訓練、避難場所の確認などと続くが、教訓が何かわからないとする人も多かった。
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震災の記憶を伝え続けてきた「人と防災未来センター」。ゲーム感覚で災害時の行動を学べ、被災地の現実を記録した写真など。防災教育の拠点となってきた。この日訪れていたのは防災学習を担う教師たち。震災の映像や話しを避ける子どもたちがいるという。アンケート調査の結果「被災者のつらい話や悲しい話は聞きたくない」と答えた人が10~20代の3割だった。学校では震災の記憶や教訓を子どもたちにどう受け継ぐか難しさに直面している。30年前、被害が大きかった地域にある神戸市立太田中学校。当時生徒7人が亡くなった。これまでに、追悼式や語り部の話をきくなどして震災を学んできた。しかし、生徒も教師もこれまでのやり方では震災の記憶が十分に伝わらないと考えている。震災後に生まれた世代の間では、教訓が本当に自分のものになっているのか不安が広がっている。この日、芦屋市役所では1年目の職員を対象にした災害対応の研修。学校などで震災の教訓を学んできた職員たちは災害時にどう行動するか意見を出し合うが、実際に自分の身に置き換えて考えるように促されると具体的なイメージが思い浮かばない。2年前に就任した高島峻輔市長は教訓を自分のもにして行動や意識の変化につなげる必要があると感じている。
震災の記憶や教訓を伝えてきた被災者たちも戸惑いを抱えている。震災を体験した人のうち、体験を伝えるのが難しくなったと回答した人は半数近くにのぼる。小学校教師の木畑優紀絵さんは当時、自宅で被災し全壊した自宅の下敷きになった弟が亡くなった。弟のことを家族以外に語ることは避けてきたが、教師として向き合なればならないのが震災の授業。今の自分にできる伝え方を考え続けてきた。
作家の岸田奈美さんは、小学校のときに当たり前に震災の授業があったので自分の中には当然のこととして、知識としてあるが、自分自身が体験していないので罪悪感を感じることがあるという。被害者個人のエピソードよりも防災に役立つ知識や情報を優先して教えてほしいと思うか?というアンケートに、そう思う・ややそう思うと答えた割合が圧倒的に多かった。諏訪清二さんは防災教育は予定調和の学びになってしまっているところがあり、心に残らない、心を育てる防災教育がまだ広がっていないと感じる話した。
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神戸市の太田中学校がとりいれたのはダンス。歌詞・振付は生徒が考案、震災の映像を避ける生徒がいる中、防災教育の新しい試みをはじめた。備蓄のアイデアなど災害に必要な知識を学ぶ。子どもが覚えやすい振付も考えた。自分で踊ったり、教えたりしながら、中学生たちは防災の意識を高める。弟を亡くした小学校教師の木畑さん。弟と同じ4年生にどう震災を伝えるか考え続けてきた。母と一緒に弟の遺品を見返した。辛い記憶も蘇るために目にすることは避けてきた。日記には何気ない日常が書かれていて、確かに生きていた明かしがあった。授業当日、木畑さんは弟の遺品をはじめて授業で見せた。そして、日記を読み上げた。我がこととして震災を考えてほしいと、木畑さんがたどり着いた30年目の答え。
諏訪清二さんは我がことにしなさいと言われてもできないが、答えを押し付けるのではなくプロセスを教えることが大事、今の子どもたちが自分を重ねられるように伝えることが大事だと話した。岸田奈美さんは教育にはいろんな感情の入口があるのが大事、弟がいるのでしんどすぎて聞けないと思ってしまうかもしれないなどと話した。
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東日本大震災の体験談を別々の方法で5つのグループに伝えたところ、直後と8か月後に覚えているか調査を行ったところ。本人の語りを聞いたグループが1番覚えていたという結果がある。対話によって想像ができるということが分かる。
木畑さんの授業を聞いた生徒たちは、弟のノートの約束が心に残っている、亡くなってしまった人のぶんも大切に思うなどと感想を話した。過去の教訓を我がこととして受け止め、語り伝えていきく、次の時代を生きる誰かの助けになるために。
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