- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン) 芦田愛菜 羽田美智子 いとうあさこ
オープニング映像。
古来より日本人を魅了してきた日本の象徴の富士山。今年から軽装登山を禁止し、さらに入山料の値上げや人数制限などにより、富士山の登山環境、登山者の安全を守る取り組みが話題に。富士山は夏の2カ月間だけで約20万人の登山客で賑わうが、目立つのは海外からの登山客。多くの外国人登山者が富士山を知ったキッカケが葛飾北斎の浮世絵。生涯200を超える富士山を描いたと言われる富士山に取り憑かれた葛飾北斎。葛飾北斎博士ちゃんの目黒龍一郎(高1)。龍一郎くんの日常は小学生の頃から毎朝5時起きで水墨画を練習。北斎の生き方をとにかく完コピ。もちろん北斎キッカケで富士山に興味を持った。富士山は信仰の対象として長きに渡って崇められてきたが、そこには知られざる多くの神秘や謎が今も残されている。博士ちゃん大集結!あらゆる角度から富士山のミステリーを徹底解剖。
スタジオで今日の富士山回に合わせていとうあさこさんが富士山のイヤリングをしてきたことや、芦田愛菜さんがドラマの撮影で富士山の近くに行ったことがあることなどを話した。また今回の博士ちゃん 目黒龍一郎さんが長年の北斎研究が認められ、国際北斎学会の特別顧問に就任したことなどを伝えた。
歌川貞秀の作品 富士山胎内巡之図には富士山0合目から富士山内部に続くとされる謎の胎内洞窟の様子が描かれている。洞窟内には死に装束の人たちがいて、洞窟内の一部があばら骨で表現されるなどしている。
まず目黒龍一郎くんとチャンカワイさんが山梨県の富士見橋展望台を訪れ、龍一郎くんが冨嶽三十六景 甲州三坂水面と同じ画角から筆絵を描くなどした。そこから富士山の内部に続く胎内洞窟に向かった。
世界遺産 富士山6大ミステリー。富士山の麓に謎の胎内洞窟がある。人間の体内のような洞窟だ。浮世絵には死装束で入る人が描かれている。富士吉田市の交差点にやってきた。金鳥居という交差点だ。晴れた日なら鳥居の先に富士山が見える。一ノ鳥居とも言われる。ここから参道となる。この先に胎内洞窟がある。目黒さんが火打ち石を叩いた。葛飾北斎もやっていたかもしれない。火打ち石は石を打ってでる火花。「新しいことを始める際の厄除け」になると言われる。「学ぶ」の語源は、「真似る」だと言われている。世界中の人に人気だ。ネオ富嶽三十六景が海外の方々に注目されている。富嶽三十六景に影響を受けて、エッフェル塔三十六景をアンリ・リヴィエールが描いている。葛飾北斎が36個描くという基準を作ったという。富士山登山者の宿や食事を提供する場所には提灯が掲げてある。コンシェルジュ的な役割の家だ。33回登頂した人の碑がある。江戸時代の碑があった。何度も富士山に何度も登ることがステイタスになっていたという。麓には33回登頂記念碑が130基以上ある。江戸時代、富士山登山が大ブームだったことが伺い知れる。なぜ江戸時代の人々は富士山に魅了されたのか。胎内洞窟へ。無戸室浅間神社に洞窟はあるという。富士山から24キロ。別名胎内神社と呼ばれる。中に入る前に死装束を着る。富士講と呼ばれる富士山を信仰して登山した人々はこの装束だった。江戸八百八町に八百八講という言葉も残されている。いよいよ洞窟の中へ。高さ1.5m。先の見えない洞窟。あばら骨のような岩肌。富士山の噴火の際にできた。木ガスが空気に触れ燃焼し、岩肌が溶けてかたまり、胎内樹形と呼ばれる。俵屋宗理にも及ばないと目黒さんがいう。北斎が35-45歳の頃に使っていた名前だ。洞窟の奥にはどんな空間があるのか。奥が広くなっている。死装束を着て、中で生まれ変わり、母乳を吸うという。生まれ変わる儀式の洞窟だとのこと。女性の神様であるコノハナサクヤヒメが祀られている。富嶽百景にも描かれたコノハナサクヤヒメ。火の神だと崇められてきた。コノハナサクヤヒメの胎内だ。これが洞窟の正体だ。
富士山に登ると不思議に思うのが山の上には大きな川が1つもない。しかし、年間降水量は約22億トン。そして麓には世界遺産・白糸ノ滝をはじめ大きな滝や湖がある。このミステリーに迫るのは戦国プリンセス博士・諸星天音(15歳)。最近ではお城の石垣など歴史を感じる石に夢中。そもそも富士山周辺には噴火によって生まれた変わった形の石や洞窟などが数多く存在。今回の富士山には川がないのに滝があるミステリーも富士山噴火から生まれた石に秘密が隠されているという。世界遺産・白糸ノ滝、幾何学模様・神秘の滝を巡ることに。まずは柱状節理が見える河原へ。静岡県の天然記念物に指定されている景ヶ島渓谷の屏風岩。立てた屏風に見えることからその名が付いた絶景ポイント。奇妙な石の形こそ柱状節理。柱状節理は溶岩やマグマが冷えて固まる時に縮んでできる割れ目で六角形が多い。溶岩は冷えて固まる際、それぞれの中心に向かって収縮していくが、縮む力が均等に働くため、規則的な六角形の割れ目ができることが多く、この構造が柱状節理と呼ばれるもの。
続いて富士山には川がないのになぜか滝があるというミステリー。向かったのは世界遺産・白糸の滝。滝と山頂の距離は約14kmで、その間に大きな川は流れていない。富士山に川がないのは水を通しやすい玄武岩などの地層に雨水などが染み込んでしまうため。そして水を通しにくい地層の上を伝って、約30年かけ白糸ノ滝で湧き出していると考えられている。玄武岩はマグマが冷えて固まる時に中のガスが抜けてスポンジのように穴が空くため水を通しやすい。
富士山ミステリー3つ目は樹海の中に潜む全長2kmの謎の石垣。約1200年前、富士山史上最大規模の噴火とも呼ばれる貞観大噴火が起き、北西地域が焼き尽くされ死の大地に。この土地に風で運ばれた木々の種が自生し誕生したのが富士・青木ヶ原樹海。広さは約30平方キロメートルで、原生林は真偽不明の都市伝説や様々な作品の舞台にもなっている。調査するのはお城博士・栗原。5歳で城にハマりこれまで430以上のお城を巡り、中2でお城の本を出版するほどに。ガイトとして富士河口湖町教育委員会の杉本さんが同行し石垣へと向かった。
富士山ミステリー3つ目は樹海の中に潜む全長2km謎の石垣。お城博士ちゃん・栗原が青木ヶ原樹海にある石垣を調査。国道に誓い部分では石を運び出され低いが、樹海の奥へ行くと厚み、高さともに増していく。石垣は石を加工せずに積み上げる野面積みで、技術は高くないが時代が古い。加工していないため登りやすく防御には不向き。石垣は弧を描くようにカーブしており、いくつかの通説はあるが文献などが残っていないため不明。
栗原は石垣のヒントになるかもしれないと約1km先にある本栖城へ。本栖城は甲斐(山梨)を統治していた武田信玄が監視の目的のため建てた城。標高1056mの山頂付近に築城されていたと言われている。本栖城の石垣には表面が平らという特徴があり、敵に権威を誇示するため丁寧に作られている一方、謎の石垣は美しさがないことから何かしらの機能をもたせるためだと推測。近くに街道が通っている事から見えないように物・人の行き来を行う目隠しルートではないかと推論した。この説について帝京大学文化財研究所の畑氏は「説としては新しくて面白い。目隠しルートであれば輸送する道が必要だが道は見当たらない。」などと指摘。畑氏は害獣の侵入を防ぐしし垣ではないかと考えているという。
富士山5合目に来た。5合目は開山期間中に11万人以上の登山者が訪れる。富士山小御嶽神社の参道を進んだ。富士山小御嶽神社は937年に創建され富士山信仰の聖地とされている。天狗は人智を超えた力を持っていると考えられ、富士山小御嶽神社には天狗が祀られてきた。富士山は標高2500mを超えてくると森林限界と呼ばれる気温の低下などで樹木が生息できないエリアになる。富士講には重い物、大きい物を奉納し信仰心を示す団体が現れた。斧には片面には3本線で御神酒、もう片面には4本線で4つの自然が表現された。斧を1人で裏返せると天狗に近づけるという言い伝えがあることから挑戦者のために境内に置かれている。重さは375kg。4人で斧をひっくり返した。4本の線を確認できた。
富士山ミステリーの5つ目。富士山から富士山が見える奇跡の絶景。八合目から先にあるという。富士山にいながら富士山の全体を見る。
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- 葛飾北斎[初代]
ダイヤモンド富士、凱風快晴にも描かれた赤富士などさまざまな絶景が存在する。富士山から富士山が見える奇跡の絶景があるという。山岳ガイドのスペシャリストのみなさんが同行する。時間は日没前の18時半くらいがいいとのこと。ここから7時間半かけて登山する。今年から入山料として4000円がとられることになった。雲の中に入る。標高2300m地点を歩く。山はころころ天候が変わる。登山道は険しくなる。六合目には登山ルートと下山ルートが混在する。安全指導センターが地図を配布している。
富士山から富士山が見える奇跡の絶景を見に行く。山道になってきた。険しい。青空が広がってきた。スタートから2時間となった。7合目の小屋が見えてきた。8合目の白雲荘を目指す。6-8合目に難所が集中。岩場や急な斜面。本格的な登山の様相に。龍一郎くんは、水分を補給。葛飾北斎が脳梗塞になったときに、柚子を刻んだものを煮て、砂糖と焼酎で割ったものを飲んだと言われている。そして死の淵から蘇ったという。スタートから4時間。7合目まで来ると披露がたまり、高山病になる登山者が増える。赤い溶岩になってくる。鉄分が高温のまま酸化したため赤い。葛飾北斎は、諸人登山でこの風景を描いている。登山開始から7時間半。白雲荘が見えてきた。夕方5時に白雲荘に到着。標高3200m。雲の上だ。日没と日の出前後のごく短い時間にしか見られないという。白雲荘の裏手の見晴らしのいい場所。午後5時38分。富士吉田の街が見える。富士山から富士山が見える奇跡の絶景があった。雲に映る富士山だ。影富士と呼ばれている。天候条件が揃わなければ現れない景色だ。龍一郎くんが絵に描いた。
富士山の改ざん日に密着。1857年に描かれた「大日本富士山絶頂之図」。そこに登山客が何かをしている様子が描かれており、謎の儀式が山頂でみられるということで、開山日に密着。7月10日に富士宮ルートが開山したので富士宮ルートで行ってもらったが、富士宮ルートで行くと別のミステリーにも遭遇できるためわざわざ行ってもらったという。
家事ヤロウ!の番組宣伝。
富士山開山日に密着、山頂で行う謎の儀式。7月10日が富士山開山日。4つの登山ルートがあるが、謎の儀式を行う場所に到達できるのは富士宮ルートのみ。富士宮ルートの6合目以降が開山するのは7月10日の午前9時。通行止めが解除され、頂上まで登ることができる初日とあって、多くの登山客や報道陣が詰めかけていた。午前9時、山頂を目指し富士登山スタート。富士宮ルートは、4つの登山ルートの中で最も標高の高い位置から出発するため、山頂までの距離が短いルート。そのため全体に傾斜が急で岩場が多いのが特徴。登山開始から3時間で八合目に到着。八合目から山頂まで標高差は約500mだが、急斜面の岩場を登るため約1時間半かかるという。9合目付近に2本の柱があり無数の硬貨が刺さっている。元々鳥居が建てられていて、上の部分が朽ちた状態。お賽銭箱がないのでその代わりに柱に刺しているという。鳥居を建てたのは、鳥居講と呼ばれる人達。鳥居を建てることで富士山の山岳信仰を行ったと言われている。9合目からさらに険しい道となる。出発して50分、悪天候となり登山客はほとんどいない。山頂の前にある鳥居に到着。登山開始から7時間半で山頂に到着。だが天候のせいで誰もいない。山頂に上ってくる人が現れないため、この日は出直して一旦9合目へ。一泊して翌日、再び山頂へ行ってみると、早朝から多くの人々で賑わう山頂。