- 出演者
- 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 石原良純 小泉孝太郎 高嶋ちさ子 渡辺瑠海 高畑淳子 長尾謙杜(なにわ男子) 佐々木美玲 奥田修二(ガクテンソク)
スタッフがやって来たのは兵庫・西宮市。潜入する豪邸の敷地面積は約300坪。ここに住んでいるのは世界的お菓子メーカーの創業一家。創業家の会長夫人・美惠子さんが登場。大きな庭にはバーベキューテラスがあり、ハーブなどが植えられている。芦屋を見下ろす好立地で標高は約264m。玄関には豪華なシャンデリアがあり、トイレはタイル貼り。現在、夫・勝久さんは会長。夫の祖父が1922年に創業。2022年、創立100周年を機に40年ぶりの世代交代をし、今は長男・悦郎さんが社長。続いては2階のリビングダイニングへ。自宅でワインサロンを開催するという。また、パーティーをする時に楽団がライブを開催してくれる。キッチンは「ポーゲンポール」というドイツで創業したフルオーダーメイドの高級キッチンブランド。さらにシェフ専用のキッチンもある。冷蔵庫内は氷と飲み物だけ。1階には食器専用の収納部屋がある。フランスを代表する陶器ブランド「ジアン」の食器が飾られていた。海外に18拠点あるお菓子メーカーだという。美惠子さんはここには住んでいないといい、パーティーを開いたりするためのゲストハウスだと話した。美惠子さんが62歳の誕生日に勝久さんから買ってもらったという。本宅は関西でも有数の高級住宅街にある。会社も関西に本社を置く。国内に持つ家はここだけではないという。
リビングダイニングは白が基調となっている。部屋からは東京タワーを望める。この部屋は娘が結婚した年からあるといい、東京に来た時に泊まる所だと話した。夫婦2人の時は豪華なホテルに泊まるという。ここで長女・真理子さんが登場。東京在住で、夫はリネンサプライ会社を経営している。出会いは日本全国の経営者が所属する会だという。美惠子さんは大学2年生の頃にお見合いをして結婚。美惠子さんの父は香料会社の社長をしていた。アイランドキッチンには美惠子さんがプロデュースした「ミィポット」がある。会社はお菓子やアイスで有名。
会社はお菓子やアイスで有名。美惠子さんは他社の製品で井村屋の「あずきバー」が大好きで、よく食べるという。一方、真理子さんは食べないといい、子どもにも食べさせないと話した。美惠子さんは江崎グリコの会長・江崎勝久さんの妻。ポッキーケーキとビスコケーキは美惠子さんが考案し、江崎グリコのお菓子を使ったレシピ本まで出版。会長夫人の傍ら、芦屋で34年間、料理教室を主宰。これまで本も9冊出版している料理研究家。調理の手元がモニターに映され、まるで料理ライブを見ているかのように進む。生徒たちは実際に作ることはなく、見て学ぶスタイル。コース料理を学んで食べて、1回8800円。美惠子さんが夫と結婚したのは大学生の時。料理研究家になったきっかけは子どもたちが小学生になった頃、何もできないことに気づき、調理師学校に37歳で入学。10代の生徒に混ざって3年かけて卒業した。調理師学校のOB・OG会では多くの人と名刺交換をした。当時、社長夫人ということは言わずに入学。特別扱いはイヤだったと話した。当時の恩師・林裕人さんとも再会。今回の取材のことは夫にはほとんど言っていないという。
石原良純と小泉孝太郎がやって来たのは江の島。江の島のイメージについて、小泉孝太郎は明るく陽気、洒落た大人みたいな感じだと話した。一方、石原良純は昔の行楽地というイメージだと話した。また、石原家のあるあるについて、江の島は家族のドライブコースだという。弁天橋が出っ張っている理由は荷車・馬車がすれ違うスペースを再現しているから。江の島の名物は湘南しらす。石原良純は子どもの頃はしらすなんて食べなかったと話した。今回のテーマは「江の島の知られざるグルメ 絶景 裏側も大冒険」。まずは湘南港へ。漁師・小川裕之さんから伊勢海老を見せてもらった。昔は鎌倉幕府に献上していたため、鎌倉海老と言われていたという。岩の前に網を張り、飛び出してきたものを捉えるため、海が静かだと獲れない。「とびっちょ」という飲食店を教えてもらった。
伊勢海老は地元店舗へ直接販売。漁港から徒歩1分のところにある「しらす問屋 とびっちょ」では仕入れた新鮮な伊勢海老を提供している。伊勢海老は名前として鎌倉海老の方が先だといい、伊勢神宮に奉納したことで伊勢で食べる習慣が生まれたという。2人は「鎌倉海老お刺身」と「鎌倉海老味噌汁」を食べた。お店の一番人気は「生しらす丼」。さらに「釜揚げしらす寿司」も食べた。伊勢海老漁では一緒に魚が獲れることもあるが、こちらのお店ではタダ。漁師さんから無料でサービスしてもらえることもあるという。その分、値段を抑えた限定の魚料理を提供できる。
2人は開店前の仲見世通りへ。江の島温泉は江の島唯一の天然温泉。朝9時ということもあり、人通りは少ない。「堀江商店」は参道入り口にあるお土産店。創業は江戸時代だといい、江戸時代は絵地図を売っていた。当時の観光客に大人気だった絵地図には「江の島弁財天仲見世通り」や「江島神社」も描かれている。店主が子どもの頃の昭和50年代は暴走族全盛期。騒音対策として夜10時~朝5時は住民または通行許可証を持つ車両以外は通行禁止だった。お店では木刀も売っている。
「紀の国屋 本店」は1789年(寛政元年)創業の老舗和菓子店。「女夫まんじゅう」などを販売。普通は“夫婦”と書くが、江島神社に祀られている女性の神様“弁天様”を敬い、「女夫まんじゅう」と名付けたという。2人は「女夫まんじゅう」を食べた。包装紙には葛飾北斎の浮世絵を使用している。葛飾北斎作「冨嶽三十六景 相州江の嶌」にはトンボロを歩いて江の島詣に行く人々の姿が描かれている。トンボロとは干潮時に潮がひいて、島と対岸が陸続きになった地形のこと。江の島では4月~8月の時期に約60回現れる。船を使わず、誰でも参拝できるため、鎌倉時代には人気スポットとなり、徳川家康が関ヶ原の戦いの直前に参拝したという。
昭和の時代も人気だったという江の島。昭和30年頃の江の島に来ていた観光客はネクタイを締めてきちんとした格好。当時は旅をすることが一大行事だったため、正装をする観光客が多かったという。当時は観光シーズンがあったが、現在は通年混んでいる。きっかけとなったのは江の島シーキャンドルが2003年にリニューアルされた頃や新江ノ島水族館がリニュールされた2004年頃だという。
裏江の島を紹介。江ノ島郵便局にはATMが1台しかないため混むという。昔は旅行をする時に郵便貯金の通帳を持っていき、そこでお金を下ろすと江ノ島郵便局というハンコがもらえたのでそういうのを集めている人もいたという。また、各地の郵便局には風景印というものがあり、それを押して貰えるところもあるという。
裏江の島情報を紹介。救急車が江の島用に小さいものになっているという。軽ワゴン車を改造したものを使用しているという。
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江の島は救急車が通り抜けるのも一苦労。急な階段ばかりで荷物を届けるのも大変。宅配業者についていくと、配達員はキツいといいながら約20キロの荷物を持って階段を歩いていた。島内の荷物はほぼ手作業で運搬しているという。島の人たちは配達員がいなければ商売ができないなどと感謝を口にしていた。
江の島の江島神社へ。瑞心門は江島神社の御神門で龍宮城を模して造られたという。江の島エスカーに乗ってのぼる。江の島エスカーは日本初の野外エスカレーターとして昭和34年に設置された。
江の島エスカーは1回500円だが、年間パスは1500円。そのため島民のほとんどが年間パスポートを持っているという。エスカレーターの思い出として石原良純は、最初に乗ったのは、モノレールの浜松町駅だったが、最初は怖くてなかなか乗れなかったと話していた。エスカーに乗って約2分で到着。2人も参拝をした。参拝は早朝がよい、早起きは三文の徳などと2人は話した。
2014年にリニューアルされた江の島 湘南港ヨットハウスが見える。2021年の東京オリンピックのセーリング会場にもなった江の島ヨットハーバー。1964年東京オリンピックのヨット会場に決定し、約24億円かけてヨットハーバーを建設。1.5倍の大きさになった。
石原良純のデビュー作・映画「凶弾」。石原は小泉に、当時の撮影現場だったと紹介し、ド新人だから、何が大変か、大変じゃないかもわからなかったなどと話した。
江の島での思い出について、石原は、パシフィックホテル茅ヶ崎を挙げ、ゲームセンターのレーシングカーで遊ぶのが楽しかったなどと話した。小泉は、地元の1個下に上地雄輔がいて、免許取り立てのころに、2人だけで江の島にドライブに行った、そこで話した将来の夢を上地雄輔は全部叶えているなどと話した。
仲見世通りで、裏江の島を調査。2人は、とびっちょに立ち寄り、しらすパンを試食。店の人から聞いた富士山が見られるという絶景スポットに向かった。
オープニング映像。
