- 出演者
- 所ジョージ 林修 比嘉愛未 岩田剛典(三代目J Soul Brothers)
オープニング映像。
比嘉は沖縄でポツンと一軒家を探していると話した。岩田は役作りで山籠りしたときに自然の強さを体験して過酷だと思ったと話した。
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徳島県のポツンと一軒家を調査。衛星写真にはワニの横顔のような広い土地に灰色や茶色の屋根の建物が写っていた。話を聞くために最寄りの集落で男性に話を聞くと、目指すポツンと一軒家の主は80歳近い夫婦とのことだった。今は他の土地に住んでいるかもしれないがたまに車で通るのを見かけるという。山道を車で進み、ポツンと一軒家を見つけた。
徳島県のポツンと一軒家を訪れ、主の進さん秀代さん夫婦に話を聞いた。進さんの生家で夏はここで生活し、冬は大阪で暮らしている。進さんの母・ヨシ子さんは進さんの父・伊勢吉さんの死後23年間ポツンと一軒家で一人暮らしをしていた。ヨシ子さんから世話を頼まれた進さんは仕事を辞めて実家に戻ったが、13年前にヨシ子さんが他界。その後も大阪との二拠点生活をしている。敷地は5反あり、登ってくる途中にあった空き家は祖父の弟の家だった。敷地には紙幣の原料であるミツマタが植えられていた。ミツマタは大量に売れたため50年前にタバコ農家をやめてミツマタの栽培を始めた。
フォレストの番組宣伝。
徳島県のポツンと一軒家を訪れ、主の進さん秀代さん夫婦に話を聞いた。敷地には干し柿用の棚があった。販売用で一番多いときは1万2000個ほど作ったという。進さんは24歳でトラックの運転手になり、62歳までトレーラーに乗っていた。同じ集落出身の秀代さんは中学卒業後岡山の紡績工場で働き、20歳で結婚した。3人の子どもが誕生した。現在は長男夫婦と大阪で同居している。畑ではゴーヤやネギを栽培している。スーパーまでは車で30分。祖父が手作りしたという背負子で荷物を運んでいる。昭和時代は24軒が集まる集落だったが今は1軒だけになった。母屋の西側にあるトタン小屋には五右衛門風呂があったが、今は温泉に通っている。離れた場所には築150年の蔵があり、2階には大事なものを入れていたという大きな櫃があった。
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徳島県のポツンと一軒家を訪れ、主の進さん秀代さん夫婦に話を聞いた。母屋は築130年でかつては茅葺き屋根だった。今もトタンの下は茅葺き。居間は12畳で現役の黒電話が置かれていた。ガスはプロパンで業者がプロパンボンベを配達してくれる。3年漬けの梅干しやかりん酒を見せてくれた。冬は寒いときでマイナス5℃になるといい、昔は冬も草履を履いていたという。進さんは小さい頃は一番多いとき11人家族だったと話した。特産品の半田素麺やネギ入り卵焼き、梅干しなどを振る舞ってくれた。半田素麺は他のそうめんと比べて一回り太く、つるりとした喉越しが特徴。進さんはポツンと一軒家は僕らの代で終わり、辛いけど時代に合わせていかないとと話した。
比嘉は素敵な御夫婦でしたと話した。