2026年3月11日放送 13:05 - 13:55 NHK総合

列島ニュース
宮城 震災15年 自衛隊員が記録した津波の脅威

出演者
高瀬耕造 後藤康之 酒井良彦 森花子 武田健太 藤原陸遊 山口瑛己 塩崎実央 前川夏生 境彩花 
(オープニング)
オープニング

オープニングの挨拶。

(気象情報)
気象情報

気象情報を伝えた。

仙台局 昼のニュース
東日本大震災から15年 祈りの朝

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生からきょうで15年。多くの人が祈りを捧げている。気仙沼市の海水浴場では、県内外から集まったボランティアや警察官など約110人が、行方不明者の捜索活動を行っている。この海水浴場での捜索活動は、新型コロナウイルスの感染拡大などを受けて、2021年を最後に行われなくなっていたが、市内の一般社団法人の呼びかけで5年ぶりに行われた。主催団体によると再開を決めたきっかけは、去年、警察による鑑定の結果、岩手県山田町の当時6歳の女の子の身元が判明したことだという。震災当時、名取市閖上地区で暮らしていた大川ゆかりさんは、当時中学2年生だった駿さんを津波で亡くした。野球部の活動に熱心に取り組んでいた駿さんにお弁当を作ることは、大川さんにとってかけがえのない朝の日常だった。きょうは駿さんが大好きだったチーズや肉、卵焼きなどをたくさん詰め込んだ。一方、石巻市の雄勝小中学校では、児童、生徒たちが震災で犠牲になった人たちに黙祷を捧げた。石巻市立の学校では、これまで3月11日は授業が休みとなっていたが、今年から登校日に変更した。きょうは震災当時、雄勝中学校の校長だった仙台白百合女子大学の佐藤淳一特任教授が、当時の状況について話した。

盛岡局 昼のニュース
東日本大震災 発生から15年

東日本大震災の発生からきょうで15年。県内各地では朝から祈りが捧げられた。宮古市では午前6時から、市の職員や消防など500人以上が参加し、津波を想定した避難訓練を行った。市の職員などが避難所を開設し、テントなども準備され、参加者には非常食や飲料水が配られていた。大槌町の平野公三町長は15年前のきょう、職員として働いていた旧役場庁舎で津波を目の当たりにし、職員に向けて当時の経験を語った。旧役場庁舎などでは、津波で当時の町長や職員40人が犠牲になった。平野町長は「自分の命を守れなければ町民は助けられない。震災の教訓を震災を知らない世代や未来の職員に伝えてほしい」と呼びかけた。県内では震災で関連死も含めて5147人が亡くなり、今も1106人の行方がわかっていない。釜石市鵜住居町の根浜海岸で行われた捜索には、警察や海上保安部、警察犬の指導手など約40人が参加した。陸前高田市の寺では法要が営まれ、約50人が参列した。この寺では身元が分からない9人の遺骨が安置されていて、参列した人たちは墓石や慰霊碑に花を手向けていた。

福島局 昼のニュース
あの日から15年 大切な人への思い より強く

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生からきょうで15年。各地では祈りが捧げられている。いわき市に住む金成晁子さんは夫の年泰さんを亡くした。2人は結婚してから48年間、自宅近くにあるかまぼこ工場を経営してきたが、年泰さんは自宅で津波に巻き込まれて亡くなった。晁子さんはきょう、当時住んでいた地区にある夫の名前が刻まれた慰霊碑に花束を手向け、亡き夫に祈りを捧げた。福島第一原発の事故の後、避難を続けている佐山梅雄さんは、震災から9年後、帰還がかなわないまま母親のヒサさんを亡くした。佐山さんは思いを受け継ぎ、帰還を希望。去年3月、特定帰還居住区域として国に認定された。15年前のきょう、東北沖で発生したマグニチュード9.0の巨大地震。県内の沿岸を津波が襲い、福島第一原発では核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が発生し、大量の放射性物質が放出された。警察によると福島県では1614人が亡くなり、今も196人の行方がわかっていない。また長引く避難生活などで体調が悪化して亡くなる「震災関連死」に認定された人は、先月1日の時点で2350人にのぼっている。原発周辺の7つの市町村では、いまも一部に避難指示が出され、「帰還困難区域」に指定されている。この区域の約900世帯が帰還の意向を示していて、政府が「特定帰還居住区域」に認定して、2020年代中の避難指示の解除に向けて整備を進めている。福島第一原発では廃炉最大の難関とされる核燃料デブリの取り出しに向けて、格納容器内部の調査が進められているが、本格的な取り出しは2037年度以降にずれ込む見通しで、目標とする2051年までに廃炉を実現できる見通しは立っていない。

水戸局 昼のニュース
復旧・復興事業は完了も被災地では高齢化

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生からきょうで15年。県内では復旧・復興事業が完了した一方、被災地では高齢化が進んでいて、その教訓をいかに後世に伝えていくのか課題となっている。2011年3月11日に起きた東日本大震災で、最大7メートルに迫る津波が押し寄せたとみられる北茨城市。津波で5人が亡くなり、1人がいまも行方不明となっている。大津漁港ではけさ、震災を経験した市民から「あの被害の記憶を忘れることなく、災害に備えたい」といった声が聞かれた。15年前の震災で県内では日立市など8つの市で震度6強の揺れを観測。地震と津波で24人が亡くなり、1人が行方不明のままで、避難生活で体調が悪化するなどして亡くなる震災関連死は42人にのぼっている。県は震災からの復旧・復興事業として、これまでに総額で約4250億円をかけ、沿岸部への防潮堤の整備や、道路や施設の復旧、橋の耐震化などを進め、おととしまでに完了した。北茨城市内の5か所には、災害公営住宅が震災の後、4年をかけて計144戸整備され、津波で家が流されるなどした被災者が入居した。災害公営住宅は当初すべて入居していたが、この15年で50世帯以上の被災者が退去するなどした。先月末の時点で入居しているのは89世帯で、その4割近くは70歳以上の単身世帯となっている。

列島ニュースアップ
記録した津波の脅威 自衛隊員の葛藤

きょうで15年となる東日本大震災。地震の直後、宮城県の上空からヘリコプターで津波の状況を撮影し、およそ2時間にわたって実況を続けた自衛隊員が取材に応じた。当時、仙台市の陸上自衛隊霞目駐屯地の隊員としてヘリコプターに搭乗していた山元清晃1等陸曹。任務は上空からの情報収集。カメラで捉えた被害状況を実況する役割だった。映像と音声は自衛隊の司令部や首相官邸にも送られた。5人の隊員が駐屯地を飛び立ったのは地震からおよそ15分後。当初は大津波が予想され、三陸海岸を目指して北上を試みたが松島湾上空で濃霧に阻まれ進路を変えた。瓦礫を巻き込んだ黒い津波が当時の想定を大きく超えて内陸へ押し寄せていった。濁流に取り囲まれた荒浜小学校。校舎は2階付近まで浸水。屋上で児童や地域の人たちが救助を待っていた。屋上で救助されたひとり、小学6年生だった男性が山元陸曹が撮影した15年前の映像を見る。自衛隊の映像をもとに救助ヘリが駆けつけおよそ320人は翌朝までに全員無事救助された。山元陸曹は「災害をゼロにすることはできないがなるべくゼロに近づけるために記録に残して次に生かすのは重要なことなのではないか」と話す。東北大学災害科学国際研究所・今村文彦教授は「科学的にも防災的にも極めて重要。迷わず早く逃げる判断材料は平時から地域で共有しておくこと」という。

鳥取局 昼のニュース
災害への備えについて 三朝町の小学生が考える

授業は東日本大震災の後に生まれた子どもたちに震災について知ってもらい、災害への備えを考えてもらおうと鳥取県三朝町の三朝小学校で行われた。授業には5年生の児童24人が参加し、担任教諭が東日本大震災の翌年にボランティアで宮城県南三陸町と気仙沼市を訪れた経験を語った。児童たちが災害への備えについて意見を出し合い、非常食や衣服、ティッシュペーパーなどの準備が必要であることや、家の中の避難経路を確保しておくことなどを確認していた。

震災体験を伝えるミュージカル上映

上映会は鳥取県鳥取市の公民館で開かれ、被災した人が出演したミュージカルが映し出された。宮城県東松島市の女性からは避難先の体育館に津波が押し寄せ、2階jにいた人が投げ入れたマットの上に乗って、差し出されたポールにしがみついて助かったと語った。震災で妻と息子が犠牲となった東松島市の男性は「妻の声が聞こえる気がする」と語った。

徳島局 昼のニュース
東日本大震災 伝えるパネル展

パネル展は東日本大震災の記憶を風化させず、南海トラフ巨大地震などへの備えについて考えてもらおうと、徳島県北島町の県立防災センターで開かれている。会場には被災地の当時の様子や復興の状況などを紹介したパネル19枚が展示されていて、このうち被災地の当時の写真を紹介したパネルでは、津波で建物が流された町の様子や、脱線した列車などの写真が津波の恐ろしさをいまに伝えている。被災から11年後の復興状況を伝えるパネルもあり、被災直後、大型の船が乗り上げていた宮城県気仙沼市の地区が住宅や飲食店が建設され賑わいを取り戻しつつある状況を写し出している。県防災人材育成センター・三木雄太主任は「被災地の記録を単なる過去の出来事として終わらせるのではなく、常日頃の備えをいま一度見直すきっかけにしていただければと思う」と話した。このパネル展は3月31日まで開かれている。

「個別避難計画」作成でステッカー配り 防災力向上へ

個別避難計画は高齢者や障害者など災害時の避難に支援が必要な人について、支援する人の名前や連絡先のほか、避難場所などを事前に決めておくもので、作成は法律で市町村の努力義務となっている。徳島県阿南市では策定率が3月1日時点で36.3%にとどまっていることから地域の防災力を向上させようと、計画を作成した市民にマグネット式のステッカーと計画を保存するケースを配る取り組みを今月から始めた。作成した計画をケースに入れて自宅の冷蔵庫で保管しステッカーを冷蔵庫の扉に貼ることで、災害時に支援者に計画の保管場所を伝えスムーズな避難につなげたいとしている。ステッカーなどは市役所と市内の公民館で無料で受け取ることができる。阿南市地域共生推進課・近久元寿事務主任は「取り組みが地域に広がることによって誰1人取り残さない地域防災が進んでいくことを期待している」と話した。

NHK ONE ニュース
31年前 漁船が気仙沼から神戸へ

31年前に神戸に向かった1隻の「マグロ漁船」。阪神・淡路大震災の後、救援物資を届けるために宮城県気仙沼市の人たちが送り出した東日本大震災が起きる16年前のこと。物資を届けようと発案したのが男性2人。2人は被害に苦しむ神戸の人たちの力になりたいと考え、生活物資の提供をよびかけた。生活物資を抱えた市民が次々に集まってきたという。神戸では水道管が破損し、水の確保にも困っていたことからおよそ3000個のポリタンクに飲料水を入れて運ぶことにしたという。道路はあちこちで寸断され陸路での速やかな物資の搬入は困難な状況だった。男性2人は大型のマグロ漁船を使って神戸まで海から運べないかと考えた。「第五光洋丸」の船主は無償で提供することを決めた。船長は過去に外国航路の貨物船で船長を務めていた男性。被災した港に入港するのは初めてのことだったという。発災から13日目、1月29日には神戸港に到着し、食料や飲料水のポリタンクなどが降ろされ救援物資を無事渡すことができたという。

列島リポート
京都の小型クロマグロ「都まぐろ」 ブランド化へ

京都府舞鶴市の市場に並ぶ「クロマグロ」。京都沖の定置網に入ったマグロ。乱獲などによって一時世界的に資源量が減ったクロマグロは10年ほど前から徹底した資源管理が行われている。都道府県ごとに漁獲枠が設けられ、超えそうなときは漁師が逃がしたり漁を取りやめたりすることもあるという。漁師たちの努力もあり資源量は徐々に回復し、いま京都で特によく捕れているのが30キロ未満の「小型マグロ」。昨年度の漁獲量はおよそ40トン。関西でもトップクラスの水揚げを誇る。関西の小型マグロ漁獲量グラフ(水産庁HPより)。1キロあたりの値段は脂が乗って高値がつきやすい大型クロマグロがおよそ4000円から5000円、大型クロマグロに比べてあっさりしている小型クロマグロはおよそ2500円から3000円。定置網漁を営む会社・言上精一社長は「大型に比べたらあっさりしてますけどしつこくないので食べやすい」と話す。京都でとれるクロマグロにもっと付加価値をつけられないか、京都府は小型クロマグロのブランド化をすすめることにした。公募の結果愛称は「都まぐろ」。先月中旬から市場への流通が始まった。舞鶴市・鴨田秋津市長は 「舞鶴としてはこれから象徴となるような魚としてブランド化を進めていきたいという強い思い」と述べた。舞鶴市水産課・真下了代課長は「京都府産のクロマグロというのは舞鶴の人でもあまり知っていないような状況。まず名前を知っていただいてアピールしていきたいと思う」と話した。知名度向上のため市内の飲食店などで「都まぐろ」フェアを開催する。

(気象情報)
気象情報

石川県金沢市、宮崎県日南市の様子を背景に気象情報が伝えられた。防災グッズは懐中電灯、簡易トイレ、ラジオ、電池、ヘルメット、アルミブランケット、救急セットや薬、マスクあやウエットティッシュ、アイマスクや耳栓、カイロ。

(エンディング)
列島ニュース

再び列島ニュース。

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