2025年2月22日放送 16:00 - 17:15 テレビ東京

海と灯台 未来への輝き

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。灯台に触れ、その地域の地理や歴史を紐解く。

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潮岬灯台生地鼻灯台野間崎灯台
(海と灯台 未来への輝き)
Chapter1 野間崎灯台

愛知県美浜町、伊勢湾に立つ野間崎灯台。その麓はウェディングフォトの名所として知られる。恋人達の聖地と呼べる場所で数え切れないほどの愛を祝福してきた。訪れた人は「自分たちの未来を照らしてくれる」などと語る。野間崎灯台に初めて光が灯ったのは1921年の3月1日、名古屋港と外洋を行き来する船の目印となった。そんな野間崎灯台の現代版灯台守が仙敷裕也さん・美佳さん夫妻。本来の灯台守は近くに住み明かりを灯すなどの役割を果たしたが、仙敷さん夫妻は野間崎灯台の発信を担う地域おこし隊である。2人を訪ねた2024年10月13日は野間崎灯台の一般公開日、2人とともに仕事をする美浜まちラボの林さんは10年ほど前から野間崎灯台を活かしたまちおこしを行っている。10時、灯台には多くの人が訪れる。林さんは灯台に関して解説しながら登っていく。滅多に入れない内部には建設当時の面影が残る。目の前には海と青空が広がる。この日は136人が灯台を登り、かつて灯台守をしていた方の甥だという人もいた。林さんは仙敷さんたちにとって先生のような存在だという。仙敷さん夫妻は名古屋市から美浜町に移住し、美佳さんはキッチンカーも運営している。キッチンカーには現在ではリピーターもついているという。野間崎灯台を身近に感じてもらう、美佳さんの夢は始まったばかりだという。

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もう一人の灯台守である仙敷裕也さんはプロのフォトグラファー。野間崎灯台でのウェディングフォトの先駆けと言える存在で、4年前に駆け出しの頃に野間崎灯台に出会ったという。灯台に恩返しがしたいと美佳さんと一緒に灯台守に応募した。この日は結婚3周年の記念だという御夫婦の撮影。裕也さんはフォトスポットで事細かくポージングなどを伝え、灯台の上で撮影のクライマックスを迎える。登ることでもう一度来たいというきっかけになればと裕也さんは語る。灯台の麓には訪れた夫婦がかけた南京錠が。町では毎年神社で祈祷し、南京錠のお焚き上げも行っている。

この冬、仙敷さんたちは新たな試みを行う。野間大坊でコロナ禍で中断していた楽市を復活させるという。5年ぶりに復活した楽市に多くの人が訪れた。お客さんだけでなく、お店を運営する方々も心待ちにしていた。メインイベントとして野間崎灯台に関するクイズを行う。仙敷さんたちは出演者との交渉など、企画のプロデュースを自分たちで行った。初のイベントに街の人達は継続した開催を希望するなど、評判は上々。イベントを終えると2人はこの街のためにどんなことができるか、希望を膨らませた。2人の活動は地域全体に活気を広めつつあるという。

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野間大坊
海と灯台 未来への輝き

灯台の歴史は紀元前にまで遡る。人々は海から出発地に戻るために自然物を目印としたが、やがて遠くからでも見える目印として灯台が作られた。世界で最も古い灯台とされるのが「アレクサンドリアの大灯台」。1500年以上にわたって使われた。日本では江戸時代以降に高燈籠と呼ばれるものが作られた。それまで日本の海は暗く、海外からは「ダークシー」と呼ばれていたという。外交貿易のために灯台の建設は急務。西洋式の灯台は日本では明治時代、観音埼灯台が作られた。それと同時に様々な技術が日本にもたらされた。当時徳川幕府は欧米の国と結んだ通称「江戸条約」で8か所の西洋式灯台の設置が義務付けられた。海と灯台プロジェクトでは灯台の価値を見直そうと呼びかける。その中心人物である海野光行さんのある1日に密着する。御前埼灯台ではその発信に携わる片山さん・増田さんと会う。以前行ったイベントで使用されたメッセージボード。灯台には人の関心を海に向ける力があると海野さんは語る。また灯台はチームを組んで役割を果たしており、地上でもその気持を持てればとした、灯台の歴史的価値や人の思いをもう一度あぶり出したいという。

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Chapter2 潮岬灯台

和歌山県・紀伊半島にある潮岬灯台。初点灯は明治6年、江戸条約で作られた灯台の1つである。潮岬灯台は現在灯台守が使用していた宿舎をホテルとして利用しようと試みている。プロジェクトの中心は地元で宿泊施設などを運営する南畑さん。官舎は当時のままで残されている。潮岬灯台は当初木造で、リチャード・ヘンリー・ブランドンの設計で作られた。周辺は岩礁が多く、地元の漁師を悩ませた。潮岬灯台は日本の近代化を象徴する場所と言える。潮岬灯台を後生に残したいという思いから始まったこのプロジェクト。南畑さんは地元・紀伊大島でキャンプ場を営んでいる。この地の魅力が伝わりきっていないと考えている南畑さん、宿に珍しさをもたせることで、関心を持ってもらえると考えたという。南畑さんはこのプロジェクトの始まりと同時に地元観光協会の宇井晋介さんに声をかけた。2人はこの地にあるもう一つの灯台「樫野埼灯台」に足を運んだ。ここの官舎は国の文化財に指定されている。ここは灯台守の名残を感じられる。南畑さんはホテルを通して灯台の歴史を感じてほしいのだと語った。日本初の灯台ホテル、そのキャッチコピーは「灯台守になれる」だという。そのイメージを明確にするため、南畑さんはスコットランドの灯台ホテルに足を運んだ。かつてこの地ではオスマン帝国のエルトゥールル号が沈没、生存者を串本町民と灯台守が救助しトルコとの絆を受け継ぐ場所ともなっている。

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南畑さんはある日新宮市にある神倉神社などを訪れる。神倉神社の近くにある古民家ホテル、ここには地域の風土や歴史を解説した資料が残され、それらに思いを馳せることができる。神倉書斎と呼ばれるこの施設は地元のアーティストなどが手掛ける芸術作品とも言える宿泊施設だという。南畑さんは宿泊した人たちのメッセージノートに記された「魔法」という言葉に着目。この場所を五感で味わうというコンセプトは南畑さんの考える灯台ホテルと共通していた。2026年の開業を目指し、南畑さんの旅は続く。

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Chapter3 生地鼻灯台

富山県黒部市の生地地区、人口3500人ほどの港町で秋にはたいまつ祭りが行われる。この街を照らし続けるのが生地鼻灯台。避難訓練の避難場所になっている。これは全国的にも珍しい。灯台の鍵は住民が共同で管理している。能登半島地震の際にも20人ほどが避難。高い建物がないこの地域では最も安全な場所になる。富山湾を照らす生地鼻灯台は昭和26年に初点灯。白と黒の姿からパンダ灯台と呼ばれ、地域の人の呼びかけから作られた。近くには食事処と物産展を兼ねた施設も。ここの松野均さんは灯台の鍵を管理する住人の一人。松野さんは灯台の歴史がわかる場所を案内してくれ、灯台が中心に街の歴史があると語る。海に出ると灯台の目の前には潮の変わり目が。また霧が立ち込めることもあり、灯台があることで現在地を確認できると地元の漁師である能登さんらは語る。灯台の光は30キロ先まで照らすという。

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この灯台を街の活性化につなげようと行われている生地鼻灯台マーケット。まちおこしのため有志で集まった住民が開いている。中心人物は岡嶋和悦さん。生まれも育ちもこの地域だという。会場には魚の塩焼きが用意される。訪れた日は生憎の雨、灯台への登庁はできないが、岡嶋さんは灯台をライトアップさせる。その光に人々は引き寄せられる。地域のつながりを保つためにこのイベントは必要だと岡嶋さんは語った。

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生地鼻灯台マーケット

年内最後の灯台の開放日は快晴、生地鼻灯台マーケットは青空のもとで行われた。この日、灯台の上に登ることができた。生地地区では高い建物がなく、街の人々もめったに見られない光景が広がる。夕方、岡嶋さんも灯台へ。灯台がつなげる地域の輪。岡嶋さんは生地鼻灯台を日常だと語ってくれた。地域の保育所では生地鼻灯台が作られたことを祝う「燈台の歌」が今でも歌われている。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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